1.海部友光
小説:スペイン太平洋航路目次
遥か海上を渡ってくる暖かい黒潮の風が、友光の全身を強く吹きあおった。
海部川河口の島は、海上の監視だけでなく、
上流からやってくる木材の監視や他所との交易の監視、
水夫の集落である鞆浦への連絡に、便利な地であった。
この度、古くからあった砦を、強固に建て直して城の体裁を整えたのは、
どうしても海を臨みたかったからである。
風雨が強く危険も多いが、地の利を考えれば止むを得ない。
緊急の際には、島の端から集落へ向かって叫べば、
水夫たちが即座に応じることができる。
海上への警戒を強化し、他所からの侵入に備えるには、島城は便利な場所であった。
近年は、昔に比べれば人の往来が極めて激しくなり、僻遠の地であるこの阿波海部も、
知られざる地とは言い難くなった。
全国に下克上の大名たちが跋扈する時代、
どこの誰と、その名を数え上げるだけできりがない。
その大名たちが常に、自分の領地の周辺を、
さらに侵略しようと様子をうかがっているのだ。
長らく未知の者を寄せ付けなかった海部刀の産地、太平洋岸の僻遠の地を根城に、
せっせと武器を生産できたのは、強力な海運力のおかげであった。
古くからの、細川氏と海部氏のつながりがそれであることも、
今では消息通には知られた話となってしまった。
海運と日本刀。この二つによって、隠れていたはずの海部の地も、
今ではすっかり世にさらされている格好なのだ。
しかし、一番危険な土佐勢との間には、急峻な山と、室戸岬の荒波がある。
まだ時間はあるだろう。
そして万が一、落ち延びる必要があったとき、
海という、慣れた道は好都合であろう。
島城から海部川を挟んで北岸の上には、海部氏の先祖が眠る巨大な墓が見えた。
二つの頂上を持つこんもりした山である。
友光は、先祖がこの地にやってきた時の気持ちを考えた。
京や堺に近いが、陸路は難路であり、秘密の海の根拠地にふさわしい。
知られずしてはやっていけないが、知られても具合が悪い。
ひっそりとやっていくなら、ここは一つの可能性のある場所だと。
3世紀の探索の旅は、阿波南端を流れる海部川を目印にしたので、
ここはヤマトの地として、有力候補になった。
そして、友光の祖先が死んだ時、遺骸を土地の神として祭る、巨大な塚が作られた。
友光は聞いていた。祖先は世界の遥か西、ペルシャから来たのだと。中国ではない。
もっと西から来て、打ち続く戦争を戦い続け、追われて、この島国にやってきた。
そしてはるか昔、このヤマトの一団のリーダーだった巫女が、言ったのだそうだ。
ヤマトの一族よ、増えよ、この国に満ちよ。そしてその証しに巨大な塚を作り、
陸海の交通の道しるべとなり、皆の安全と幸福を祈るのだ。
友光は思った。私は、この地の守護神の末裔だ。ここで頑張るはずだったのに、
今のこの情勢はどうだ。安泰の保証はない。しかし、行ける所まで行くしかない。
話に聞くヤマトの末裔って、武士らしいのだ。
しかし、伝説のヤマト族と今の武士というのは、違いすぎるではないか。
今の武士とヤマトの末裔って、一体どういう関係なんだ。
そこのところが、自分に伝説を教えた身内の、誰に聞いても、わからないのだ。
それに、同族として平和にやっていくはずだったのに、
誰もそんなことは知らないし、戦争して殺し合いばかりしていて、
平和も安全もありはしない。どうなっているのだろう。
風の息が、再び友光を強く吹きあおる。
世界の果てから、異形の人々が、巨大な船に乗ってやってくる。
この人々は、ペルシャを知っている。
異形の人々が持つ、世界の地理についての知識は、彼らの世界図で何度も見た。
ペルシャは、異形の人々が、その故郷からこの大和の国へ来る、途中にある。
ペルシャ人というのは、自分が知る、大和の国の「人と成り」とは、まるで違うらしい。
自分の先祖はペルシャから来たと聞いているが、
それは今から1800年くらいも前のこと、
島国の土着の人と一緒になり続けたら、痕跡も残るまい。
それに、この島国でそれほどの混血が起きたのなら、
故地のペルシャで混血が起きないわけもない。
元いた、元祖ペルシャ人、友光の先祖に当たる人々の別の一団は、1800年の間に、
同じように、別の場所へ民族移動して、混血してしまって、痕跡を残さないのかもしれない。
今ペルシャにいるペルシャ人と、自分の先祖とが、同じ人々であるかどうか、
これは確かめようもない話だ。
ただ、ペルシャが途中にあるというのは、
インド・マラッカ・ベトナム・中国を回ってくるルートを取る、
ポルトガル人の場合である。
友光が迎えるようになったのは、ポルトガルの隣国、スペインの船だった。
スペインの船は、ポルトガルとは反対回りで、目の前の東の大海の向こうからやってくるのだ。