2014・12・14  いつか必ず役に立つ

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私たちは、息子にはよく手伝ってもらっている。
長男が中学の頃、夫が、飛び上がるような大声で、その名前を呼んでいた。
怒鳴りつけて手伝わせようとしている様子。

夫の「あほ馬鹿とろい」という妄言罵詈雑言に、神経が参っていた私だが、
息子には、大声を上げさせてはいけないと思った。

夫には「怒鳴るんじゃない」と強く言い、息子には

 「お父さんのしていることを見ておくことは、
  今すぐ役に立つことは無くても、その経験は、いつか必ず役に立つ。

  だから、お父さんの手伝いを、しておくのよ。」

そう言ったのが効いたのか、長男は父親の手伝いを、実によくしてくれる。
それ以上に、何かしら工夫が細かくて、作業の精密さが信頼できる。

というわけで、車のボディの修理、テレビのアンテナの設置、
フェンスの修理、植木の撤去、浄化槽ブロアーの設置、
トイレの貯水槽の器具の交換、等々、いろいろやってくれる。

私がペンキ塗りをした時は、手が届かない高所は、
彼に頼まないと、手に負えなかった。

パソコンの知識は充分だし、食器洗いまで手伝ってくれる。

私たちは大助かりの暮らしをしているのに、
私の親は、私の手を借りることはできなかった。

私の中学時代の、家の中の騒動のテーマは、
私の「自分」というものを殺す、ということだった。手伝いではなかった。

  「滅私奉公ということを知らなければならない。
   自分などということを言ってはいけない。

   自分の意見などというようなことが、あってはならない。」

こんな調子だった。

田舎育ちの戦前の世代には、私というような人間は、想像を絶する存在だった、
というようなことがあるのだろうか?

とにかく、私の存在そのものが問われていた。
私は、精神破壊の危機の壁を、すれすれに歩いている感じだった。

そして私は私で、戦前の世代が、自分というものが「無い」ままで、
精神崩壊に至らない理由がわからない、感じだった。

自分が「ない」のが正しい、という親。彼らは完全に、私を押しつぶす壁だった。


寺島弘隆は私にとって、正に悪魔であり、教育者の仮面を被った詐欺師である。
あんな暴言・虚言を吐く人間が教師をしていたなんて、あってはならないことである。

そしてそれでも、そういう教師にぶつかろうとも、
われわれは、そのインチキを乗り越えていかなければならないのだ。