2014・8・11
倫理的価値観と文化大革命
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嫌がらせというのは良くない、と、普通はそう思っている人が多いと思う。
しかし、自分のそばに、嫌がらせを押し進める、
周囲も認める羽振りの良い先輩格の人がいて、
自分もその仲間に入って、嫌がらせに加わるようにと、暗黙の要請があると感じたら、
自分はどう行動するか、
そういう場合、全く迷わないで、拒否する、というのは、
難しいことなのかもしれない。
紫式部日記に、左京の君をからかう、という話がある。
紫式部たち彰子付きの女房が、結託して、別のグループの元女房に、意地悪した話である。
高校の時、先生が「この紫式部の行動に共感する人?」と問うた。
誰も手を挙げない。
改めて「紫式部に共感しない人?」と問うた。
そこで私が、そろそろと手を挙げた。周りは誰も手を挙げない。
アレレ?私は、左京の君のような立場に置かれることは、
ちょっと状況が変わればありそうなことで、
そんなことで嫌がらせをするなんて、わざわざやることとも思えない。
ほっとけばいいでしょう。落ち目の人に、わざわざ関わって嫌がらせをするような、
そんなエネルギーがあるのなら、もっと建設的なことをしたほうがいい。
と思ったのだが、この時、私は全員対1という状況に置かれたのである。
しばらくして別の時間、先生が改めて古文の内容を説明して、
「この紫式部に共感する人?」と聞いた。
すると何と、ほとんど全員ではないかと思われるほどの手が、一斉に上がった。
次に「この紫式部に共感しない人?」と聞いたので、
私は、周りをキョロキョロしながら、そろそろと、低く手を挙げた。
座ったままなので、他に手を挙げた人がいたかどうかわからない。
それくらい、誰も他には、手を挙げる人がいなかった、ように思えた。
1回目と2回目で、周囲の状況が激変したのである。
私の周囲は、全員が、私の反対者なのだった。
当時も今も、あまり周囲には関わらないままで、
この間、何が起きたのか、私は知らない。
しかしこの激変から考えると、私以外の人たちは、この件について、
盛んに意見交換したあげく、私を否定する判断を下したのだろうと思う。
驚いてしまったけれど、この話は今まで、私の中では出てこなかった。
この話には後日談がある。
またしても、私の単独行動というのがやり玉に上がった、らしい。
伯母がこの話を、母に持ち込んだ。
母は、「みんなで一緒にやっつけなければいけない」と言う。
そして、みんなと一緒にしない、と、舌打ちしながら私を見る。
伯母は、顔をしかめて、「何を言う。紫式部がおかしいだろう」
というわけで、この場合は、伯母が肩を持ってくれたので、話題は通過してしまった。
私はただ、目を白黒させているしかない。
どうしてこの話を思い出したかと言うと、突然話が飛ぶようだが、中国の文化大革命だ。
良いと言われたことは悪くなり、悪いと言われたことが良いことになる。
知識や教養は悪いことになり、無知や乱暴が褒められる。
持っている物から盗むのは悪だったのに、武器を振りかざす物取りが良いことになる。
持っている者は貧乏人から盗んだのだ(とマルクスは言う)から、
持っている者から取り上げることは、
貧乏人が盗人から取り返すだけのことだ。
持っている者は悪者である。貧乏人は善であり、持っている者から取り上げる権利がある。
文化大革命というのは、こんな運動だった。
これと日本を比べる。
嫌がらせをすることは悪い、という常識があるはずの日本社会でも、
場所と状況が変われば、
嫌がらせをすることは良い、と判断されることもある、ということである。
日本で文化大革命をやれば、こういう田舎の人たちの考えが、社会を闊歩するようになる、
ということなのではないか、そう感じるのだ。
何よりも知識人を攻撃することが、我が身を守ることになる、と感じたら、
日本でも文化大革命は起きるだろう。
マルクスは、無知や乱暴を褒め称えたのだろうか。
マルクスは、そこまで言及は、していないだろう。