6、西から東に吹く風

                           小説:スペイン太平洋航路目次



フィリピンに、またスペイン艦隊が来ているというのは、
海上交通路の人々に間に、すぐ広まった。              (参)

ポルトガル人と敵対する立場にあって、東の大海を帰ろうとしているのだが、
風が逆にしか吹かないので、目的を果たすことなく、
いつもポルトガル人の捕虜になってしまうのだそうだ。

それにしても、失敗しても失敗しても、懲りずに大船団で出て来るらしい。
みんな死ぬ、と、言っても言い過ぎではないのに、何をやっているのだろう。

東の大海の向こうには長大な大陸があって、本国とは別の、
彼らの出張根拠地があるそうだ。
北の果てから南の果てまで、ほとんどつながっているそうだ。

この大海を、東へ直進できるような風があれば、
ポルトガル人と接触することなく、彼らの根拠地へ戻ることができる、
ということらしい。

誰か、西から東へ吹く風のことなんて、聞いたことがあるかい?
さあね。このあたりでは、風は西にしか吹かない。
北の連中に聞いてみればどうなんだ。

中国人も知らない。リキウも知らない。あとは、ゴーレスはどう?

こうして、琉球人を始め、南海路関係者の間に、
東へ向かう風があるかどうか、という話が広まり始めたのは、
当然だった。

アジアの東南端で頑張っていた少人数のポルトガル人にとっては、
ビリャロボス達の到着と、海上交易路のこのような話は、
極めておもしろくない出来事だった。

これでもしスペインが、フィリピンにさらなる人員を投入し、
自活経済を形成し、長期戦で台湾、琉球、日本へと手を伸ばし、
やがて太平洋帰還航路を発見する、などというようなことになったら、
全くおもしろくない。

リキウ(背後に日本の南海路関係者)のかねてからの要請に対し、
ポルトガル人は、遂に応えることにした。

もっとも、リキウの口上はこうだった。

スペインがまたフィリピンに来ているそうだ。
種子島殿が心配して、島の防衛の一助にと、鉄砲を二挺、
買い受けたいと言っている。小さな島でも、鉄砲があれば心強い、と。
我々?我々には、二挺にそれほどの大金は用意できない。

大金が手に入ると言うし、こんな離れ小島なら、大して大事にはなるまい。
と言うわけで、二挺売却の交渉が成立した。

それが1543年8月(旧暦)の種子島の話である。
種子島では、堺の関係者が控えていて、種子島氏に大金を用意した。 


海部友光は、西洋人のもたらす「世界の話」に、強く興味を持った一人だった。
ポルトガル人の世界の図は、友光の興味をひどくそそった。

東へ行っても、別に端から落ちるわけではないのだ。
どんどん東へ行くと、陸地が見えてくる?

私の先祖は、何と言っても、1800年前に、はるばるペルシャから来たんだ。
ポルトガル人は、そのペルシャのさらに向こうからやってくる。
スペイン人は、反対廻りで日本の南にやってきている。

それを考えれば、東の大海を渡るなんて、
成功しさえすれば、そんなに大したことではないだろう。

船でどんどん東へ行けば陸地が見えてくる。
なんておもしろいのだろう。

そうこうする内に、ついに、関東からやってくる船の関係者から、
有望な話が伝わってきた。

東へ向かう風だって?あるとも。
それにつかまったら、海の底に引きずりこまれて、決して戻っては来られない。

それだ。よし、そんな話なら、私も行ってみたい。いや、そうはいかないか。
しかし、何とかして確かめる方法はないだろうか。


京都、堺、兵庫といった近畿の中心部では、常に大物がその勢力を争っていて、
その混沌ぶりは目まぐるしいものがあった。多少の安定などあてにはできない。

いつどこで鎧兜の集団が動き出しても、全く不思議ではなかった。
人々は、身近な不穏の方を警戒していなければならなかった。

そのために、鉄砲の拡大は耳目を集めたが、遠い異国の異人の話や、
東向きの風の話などは、すぐにどこかへ飛んでいってしまった。

しかし南海路廻りの交易に関係する人々は、逆にもっと関心を強めた。
これほどの命がけの探検の話である。
加勢すれば、きっと大きな見返りがあるに違いない。

堺商人を中心として、南海路交易の関係者は、
黒潮を北上するスペイン船がもたらす利益を、考えないわけにはいかなかった。
鉄砲も手に入れたことだし、危険の軽減は成った。

関東以北の港湾の状況を確認して、ルートが付けられるものならば、
それを準備して、スペイン船を、こちらへ招いてみよう。


海部友光はまた、海部の港が、その寄港地の筆頭であると自負した。

是非とも海部の港に寄港してもらい、船大工に、
スペイン船の製作技術を教えてもらわなければならない。

そして、操船の仕方を教わり、海部の衆として、太平洋を横断してみたい。

それは、水軍としての技術の向上にもつながるだろうし、
京や大阪で活動している、義兄弟、三好長慶の懐を潤すのにも、役に立つだろう。

この頃、海部友光は三好長慶の妹を妻にしたことで、後方から支援していたのだった。
細川氏と三好氏のゴタゴタからは、一線を引く形で対応するしかなかった。