c 伝説
小説:スペイン太平洋航路目次
では友光は、どうしてここ阿波海部にいるのだろうか。
友光が聞いた話によると、
ヤマトが日本に定住してから数百年も後の紀元3世紀、
中国大陸の動乱が伝わってきたのだそうだ。それは、後漢滅亡の報告だった。
報告は続々と増え、大陸の状況が明白になってきた。
そしてヤマトの一族は、この島国の状況に、著しく不安を覚えるようになった。
ヤマトの一族がこの島国にやってきて既に数世紀。
懐柔と戦闘と征服を繰り返しながら、徐々に勢力を拡大してきたけれども、
ヤマトの勢力は、まだまだマダラ模様の地域支配に過ぎず、
国内の地勢の把握も人民の把握も、全くできていないと言って良い。
先祖が追われてこの僻遠の地に逃れ来て以来、
大陸の強大な武力は、伝説となって伝えられてきた。
それが今や、直接の伝聞となって、ヤマト一族の警戒心を煽り始めたのだ。
国内では見聞することのない大規模な戦闘、狡知の限りを尽くした策略・謀略の数々。
ヤマト一族は、我が身を振り返った。
この狭い島国で、我々はまだ、地勢も知り尽くしてはいないし、
どのような人民が、どこにどれだけいるかさえ、充分に把握しているとは言えない。
言葉が通じない地域がたくさんある。
このような状況で、もし中国がわが国に攻め込んできたら、
守るべき国という意識も持たない住民は、征服されたその地から、中国の支配下に入るだろう。
これはまずい。ヤマトの祖先がやっと足がかりを築いたこの土地を、
何とか大陸に対抗できる国として、まとめあげなければならない。
この島国を、隅々まで、ヤマトの言葉が通じる、一つの国にしたい。
この国は、ヤマト支配の地以外に、様々な言葉を使う地域・住民がいて、
相互に交易している。
やみくもに、武力を振りかざして征服する、などというような乱暴なことは避けて、
うまく一つの国にする方法はないだろうか。
ヒメコはこの国の現状を考えていた。ヤマトの言葉を話し、ヤマトの系譜と言える、
血統からしてもヤマトが支配する国々と、
諸々の言葉を話し、別の伝統を保ち続けている国々と。
ヒメコは、この島国でのヤマトの出自を、他の国々よりも、遥かに上位であると自認していた。
西方の高度文明からは遠くなったが、この地での影響力や文化の伝播力はヤマトが最強であり、
祖先の歴史と、知恵の源泉である文字と、
この地で勢力を拡大してきただけの、多くの能力の集積術は、
異国の血統を取り込みつつも、祖先の賜物以外にないと思うのだ。
繰り返し絶滅の危機にさらされつつつ、私達は生き延びてきた。
ここで中国の侵入を受け、侵食され、ヤマトがヤマトとして存続できなくなったら、
祖先が生き延びた意味がわからなくなる。中国の侵略に対抗できるだけの国を作りたい。
絶滅を避けるには、何より人口が必要だった。必死になって子供を増やした。
それでも、中国に侵略されれば、ヤマトやら何やらわからなくなり、
ヤマトだという芯がなくなってしまう。それは祖先の望む所ではあるまい。
私はヤマトの長として、ヤマトの拡大強化を徹底したいと思う。
格段下に見えるヤマト以外の国々を、どうにかしてヤマトになびかせ、
彼らを共に統合して、力の結集を図りたい。
ヒメコは、祖先が大陸で力を注いだという、巨大墳墓のことを考えていた。
「何のために、そのような巨大なものを作るのだ?大変なことをして、何の役に立つのだ?」
「ヒメコ様。物分りの悪い人民には、偉大さというものを目に見えるようにして、
怖れ畏まらせる必要があるのでございます。
大陸では、王や皇帝の住まいが巨大であるだけではなく、お墓も巨大なものにして、
その権威を見せ付けるために利用するのでございます。
他国の者も、その国の勢威を感じて感嘆し、国の力の程を計ることでございましょう。
それに人民は、巨大な物作りに参加して、自分も誇らしく思うものでございます。
これまでも、この国であちこち大きな墓が作られてきたのを見れば、
大きな墓には、力を見せ付ける働きがあると、お感じになるのではありませんか?」
「ふ〜ん。大きな墓は力の象徴。それを、さらに巨大なものにして、
王家の安泰を図る。逆に、うまくいかなかったのが始皇帝陵ということだね。」
ヒメコは、これをひねれば、何か解決策が出てくるような気がした。
自分が、これまでの首長の墓よりも、はるかに大きな墓を作ったらどうだろうか。
自分は神のお告げを聞く者である。
自分は死んで、この国の皆の幸せと、国の安泰を祈る神となる、と言えば、どうだろう。
その神を祭る祭壇ならば、皆が心安んじて築造に参加してくれるだろう。
祭壇は道案内のしるべとなり、外国からの訪問者には、勢威をみせる建造物のはしりとなるだろう。
築造の作業には、できるだけ多くの人の奉仕を頼もう。
神への祭りに参加してくれるならば、ご利益が有り余る、と伝えれば、
皆が参加してくれるだろう。
自分をまず最初の事例とする。そして、巨大祭壇を全国首長たちに広げれば、
皆が、神へのご奉仕として参加してくれるだろう。
こうして巨大祭壇という道しるべ、あるいは見せかけであろうとも、対外的な威圧建造物ができる。
交通路を開き、人民が交流し、言葉をヤマト語にすることは、別の側面での目標である。
そして、大陸への警戒を怠るな。目標はこの国の、ヤマトへの統一である。
ヒメコは、ヤマト族の重臣たちにその意志を伝えた。
「全国の首長たちに、ヤマトの血を伝え、その子孫に、祭壇の地域神となる許可を与えよ。」
「ヤマト族は増えねばならない。地域首長につながったヤマトの血は、その地で増えなければならない。
そしてヤマトの言葉は、増えなければならない。全国が、ヤマトの言葉で統一されるのだ。」
全国各地から、言葉や習慣を学ぶために神殿にやってきていたヤマトの諸部族の若者は、
この頃から、この島国の地勢と人民の調査に乗り出した。
同族は誰も行ったことがない、という土地へと、ヤマトの若者が繰り出していった。
新しい航路や交通路が開拓され、未知の部族が減少してゆき、
ヤマトの部族が進出し、同化していった。
ヤマトの言葉や文化が、人々の努力によって、全国へと広がっていった。
そして数百年たったころには、巨大祭壇は5千を超えるようになった。
(近藤義郎編 『前方後円墳集成全6巻』 山川出版社)
血族としての融和をうたい文句にした時代は、おおむね平和に過ぎた。
しかし、さすがに増えすぎた。疑問が沸き始めたのも無理はない。
友光は、こうして全国に築かれた大祭壇の内の一つ、
海部大里の大祭壇の下に葬られた人物の、子孫であると聞いていた。