軍閥
2013・10・2
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中国関連の本を読んでいると、馬賊とか軍閥とかが出てくるのが、
どうもよくわからない。
国民党軍の悪行の話を読んでも、どうもよくわからない。
日本では、国内で見る限り、そんな状況が発生する余地はないからだ。
これに対する答えとして、河出書房新社・世界の歴史20・中国の近代・市古宙三
に、中国社会の描写があって、それを日本社会と比べると、どのように違うのか
が、少しはわかるのではないかと思った。
一冊ではもちろん、何とも言えないのは承知の上だが、
そういうことを書いてある本を、見つけることが難しかった。
これによると(p21あたりから)、清朝の正規軍(官兵)・八旗は、長い平和のおかげで、
内乱に対応できないほど堕落していた。
内乱から身を守るために、地方の有力者である郷紳などが組織した自衛団が、
さしずめ、軍閥のはしりと言えそうである。
1850年代の太平天国の乱の時、清朝は地方の郷紳に、
自衛軍(段練・郷勇)を組織することを命じた。(p87)
彼らは結束していて強かったが、国軍ではなく、いわば地方軍であって、
これが軍閥につながっていくようだ。
日清戦争時に日本軍に対抗したのも、清朝軍とは言えず、軍閥軍らしい。
中国では、ろくでなしでなければ、兵隊にはならない、という諺があるそうだ(p24)
これを日本の武士の事情と比べると、その違いは歴然としている。
そして問題なのは、日本人がそれを意識していないことだ。
中国人も、全くわかっていない。これが問題だ。
私知るところの中国での教育には、日本の歴史なんか、なさそうだ。
(日本でも、天皇家重視の人は武士を蔑視する傾向があって、
ネット辞書ウィキにも、武士はヤクザに通じるという表現があったりして、ビックリする。
だから日本の本を読む際にも、気を付けなければならないことはある。)
とにかく、その数や支配の実態において、武士なしでは社会は運営できなかった。と、私は思う。
日本でも諸派によっていろいろ見方があるから、以下の話は、武家でもない私の、現在の認識である。
学校の勉強では確か、武士の登場は、平安中期940年頃に起きた将門・純友の乱ということになっていると思う。
乱を起こした者も武士なら、乱を鎮めた者も武士であり、この内乱で、武力を持つ武士の存在感は高まった。
天皇家や公家は、こうした乱に対し、武士の手を借りずには、手が打てなかった。
800年頃、桓武天皇がすでに常備軍を解散してしまっていたのだ。
武士が中国風にならった律令制の中でどういう位置を占めていた人々かはわからないが、とにかく最初から、
鎧兜に身を固め、騎馬で帯刀、重装備の姿で登場し、武芸をたしなみ、郎党を率いて一家をなす、
しかも全国的に分布する社会層として出てくる。
(全国5200基の前方後円墳に対応するくらいの分布の仕方だと思うのだ。
地域自衛のために、武芸をたしなむことで一家をなす人々が、各地域に現れる、というのは
中国の例から考えれば、おかしいのではないか。何も地域の「家」である必要はない。)
武芸をたしなむ家として高い誇りを持ち、領地経営の実際に関与し、治安維持の警察権を持つ。
異民族がいない中、社会の隅々にまで分布している武士層は、
上級農町民である庄屋・名主層を支配の末端に取り込み、江戸時代は、かなり安定した社会を運営していた。
武士が警戒したのは、もっぱら同じ武士である。
中国の話に戻すと、白蓮教とか太平天国とか義和団とかの乱は、
もっぱら窮民・流民が、指導者を持つ秘密宗教結社に集合して大規模武装化し、暴動を起こし、
政府に対抗するほどの強大な勢力になって支配地域を拡大し、現勢力をおびやかすようになったものである。
こういう底辺層の乱が、地域を越えて大きくなるような状況は、日本ではない。
結局、南京大虐殺捏造事件については、近世日本と近世中国の、社会の比較が必要だと思うのだが、
それがない、ように見受けられる。
私たち日本人がよく知っている江戸時代の社会を、中国人も韓国人も、ヨーロッパ人も、
全く知らない、というのも問題だ。
日本人が歴史として取り上げることは、日本人としての常識の部分は当然として省いてしまい、
政治史に偏っているから、外国人には、相互の社会の違いが、よくわからないことになっている。
日本人からしても、日本の社会と比べて、外国の社会はどうだったのか、という部分がよくわからない。
たとえば、戦国時代には、農民が武器を持って自衛し、
さらには国司を倒して自治政府のようなものを作った例もあったように思うのだが、
こういう農民の力を完全にそぐために、刀狩というようなものも行われた。
したがって江戸時代には、武士層以外は、たいした武器が持てなかった。
そして大名は大名同士で、極めて厳重な相互牽制システムの中にくみ上げられていた。
また、国内の移動も、通行手形のような許可書が必要で、自由とはいかず、移住も困難だった。
こういう中で、安定社会を背景に識字率は上昇し、管理体制の中での交通や飛脚制度も発達して、
手紙や書類等の文書の往来は非常に多くなり、下達・上奏・相互通信の文が大量に残される事態が発生するに至る。
これに対比しての、海外の状況はどうなのか。こういうことに関しては、さっぱりわからないではないか。
少なくとも、中国で起きたような大規模内乱など、起きようのない日本社会、というのは、納得がいく。