浜矩子著『グローバル恐慌・金融暴走時代の果てに』岩波新書・2009年1月
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P46以降
第2章 「なぜ我々はここにいるのか」
1971年8月15日、アメリカ、ドルの金交換停止(ニクソン・ショック)
1930年代半ばまでは、国際金本位制。
1920年代半ばから、英・米・仏3カ国間の為替切り下げ競争(為替戦争)。金本位制崩壊。
第二次大戦後、世界の貨幣用金の3分の2がアメリカに集中。
1944年、ブレトンウッズ体制。基軸通貨ドルの確立。
アメリカの保有金量よりも巨額のドルが世界中に出回り、ドルの価値が怪しくなってきていた。
1960年代半ば以降、財政膨張による需要創出。需要膨張、インフレ圧力。
財政収支悪化、対外収支赤字化。(双子の赤字)
1970年代(ニクソン・ショック以降)、インフレ経済化。石油ショックの影響も。
インフレ率二桁。金利二桁。金融引き締め政策。
その中での銀行の預金金利規制。
*1933年グラス・スティーガル法による。
(世界恐慌が、銀行の高利貸し商法の行き詰まりだった面もあるための規制)
インフレ経済では銀行から預金が逃げる。
銀行が企業にお金を貸せなくて、金融仲介機能が麻痺しかねない。
預金金利規制撤廃、金利自由化へ。
1970年代半ばから証券市場改革、証券委託手数料自由化が進む。
高金利の新金融商品の開発が進行、激しい預金流出。
預金金利の自由化促進要因に。
1979年、FRBボルカー議長、金融政策の目標を金利から通貨供給量に切り替え。
通貨量を減らして金利上昇を放置。金利急騰。
1980年、預金金利規制緩和。
1986年、すべての預金金利規制撤廃。
金融商品、百花繚乱。金融スーパーマーケット化。
いかに高利回りで、いかに利便性の高い資金運用手段を顧客に提供できるか。
金融のIT化が貢献。金融分野の商品イノベーションの爆発。
他分野からの金融サービスへの参入(大規模小売業など)
金融のIT化は金融の工学化へと展開
新たな売れ筋商品として登場した、くだんの証券化商品。
その出発点は、融資拡大が公的使命である準公的金融機関に対して、
融資拡大を可能にする手段を提供することであり、目的限定型だった。
何でもありの証券化が進んだ。
1999年、グラス・スティーガル法の3本立ての金融規制がすべて消滅した。
*3本立ての金融規制:1、銀行と証券の兼業規制
2、預金金利規制
3、州際業務規制