h2   ペロ・ディエス

                                 小説:スペイン太平洋航路目次

ペロ・ディエスは、
フィリピンにスペイン艦隊が派遣されたのに呼応して、
東アジア情勢を探査していた、スペインの秘密調査官だった。

表向きは貿易商人だった。彼はポルトガル人と見分けが付かなかった。

薩摩にやってきて、交易の話をしながら、それとなく東向きの風について探りを入れた。
しかしこれが彼の存在を際立たせた。

薩摩は目下、堺・種子島・琉球・中国・ポルトガルの船が出入りする拠点になっていた。

しかしポルトガル人は、見たところ、目前の通商のことばかり気にしているように見えた。

彼らとて、スペインが東向きの風を探しているのは百も承知だったが、
そのようなことを聞くのは、スペインを利するだけである。

だからポルトガル人は、あえて東向きの風を聞くようなことはしなかった。
しかし、ペロ・ディエスは違っていたわけだ。

「東向きの風」とペロ・ディエスが口にしたとたん、
まだうまくないポルトガル語を操るその日本人の表情が、さっと変わった。

ペロ・ディエスはギクリとしたが、
こちらをスペイン人らしいと見て、向こうが興味を持って来たとわかってほっとした。

日本の堺商人始め南海路関係者に、スペインとの通商要望があったのだ。

東の風というのは、南海路よりはずっと北を吹く風らしい。
しかしそれも、海路をたどれば何とかなるに違いない。   

   その日本人は池端弥次郎と言った。
   「今、南方にスペインの艦隊が来ているな」と言う。
   「随分とよく知っているではないか」と驚くと、「その艦隊に連絡は取れるか」と聞く。

   「取れないわけではないだろう」と答えると、「では是非連絡を取って欲しい」と言うのだ。

   一体何の話かと思ってよく聞くと、
   「ここからずっと北の方に、東ヘ向かう風と海流がある。
   スペイン人が探しているのはそれだろう。」と言うから驚く。

   「どうしてそんなことを知っているのだ」と聞くと、

   「知っているさ。マラッカが陥落した後、今スペイン人が来ている島々に、
   以前にも、何度も来ただろう。

   また来た、というので、なぜこんなに、失敗しても失敗しても、また来るのか、
   と、いろいろ聞くと、東へ帰る航路を探しているとわかったのさ。
   
   実は我々は、マラッカが陥落する何十年も前から、マラッカへ行っていたんだ。
   日本刀を高値で買ってくれる、いいお客さんたちがいたからね。

   マラッカが陥落したと聞いて、どれほど驚いたかわかるかい?

   随分乱暴な奴らだと腹を立て、その武器を研究した。

   ラプラプから救援依頼が来た時には、こちらの軍師が出かけて行って、
   戦争の仕方を教えたのさ。

   追い払ってヤレヤレと思ったのに、それからもしつこい。

   失敗の連続なのに、これはどういうわけか、と、人を介して情報を集めた結果、
   ポルトガルとは別のスペインの勢力が、
   東向きの風を探しているのがわかった、というわけさ。」

   「で、スペイン艦隊に連絡して欲しい、って、どういうこと?」

   「日本を北上するなら、途中の港で通商したいということだよ」

日本に約1年いる間に、ペロ・ディエスは、
南海路関係者に内在するスペインとの通商要望を、
航路開拓につなげる努力をした。

太平洋沿岸を、通商と補給をしながら北上できれば、後は東へ行けば良い。
東北の、陸上最後の拠点となる地点にも目処が付いた。

そして水先案内人については、
堺商人や南海路の関係者が請け負う向きを明らかにしてくれたのだった。

さらには、
  「まだまだ要望がある。
  自分の港でスペイン式の船を作って、自分たちで太平洋を渡りたいという御仁もおられる。」
こういう話も舞い込んできた。

こんなに話が進んでいいものか。

そう思っている内に、モルッカ諸島の紛争で、
薩摩武士が、ポルトガルに対抗する現地勢力に、軍事顧問として加勢する、
という話が耳に入って来た。

すぐそばにスペイン艦隊がいるらしい、というところまでわかった。


ビリャロボス艦隊が出発してから、もう3年になる。
こんなにいい情報をつかんだのに、艦隊の人たちはまだ何も知らないのだ。

とにかく早く、彼らに教えてやらなければならない。
しかし、話を確実にするためには、日本の内部に侵入して、実情を把握できる体制を作らなくては。

やはりザビエル殿に頼もう。彼なら日本を歩き回れるだろう。宣教師たちを先導して、
日本に情報拠点を作れるだろう。
宣教師なら、日本各地を歩いても、ポルトガル人にとっても、そう奇妙ではない。

しかし通商の話は、こちらでも、まだ煮詰めなければならないみたいだ。

そこで池端弥次郎に、こちらで準備ができた時点で、
誰か、マラッカにいる宣教師ザビエルを、迎えに行ってくれないだろうか、と聞いてみた。

池端は、「了解した。準備ができたら誰かを迎えに行かせる。」
という上層部の約束を持ってやってきた。

こうして、準備ができたらマラッカまで、フランシスコ・ザビエルを迎えに行く、
という約束ができた。


そこで、ペロ・ディエスは、年取った薩摩武士が乗ったジャンク船に乗って、
ブルネイまでやってきたのだった。

同船した船の上で、その薩摩武士は言った。
  「1521年にマゼランが来た時に、マクタン島首長ラプラプに戦略を授けたのは、この私だ」

  「見ていろ。ポルトガル人相手に、原住民がどんな働きをするか。
  マゼランの時も、背後に私がいたのだ、ということを証明してやろう」

それでペロ・ディエスは、戦争の成り行きにも、非常に興味を持ったのだった。

ブルネイからは別の船に乗り換え、テルナテのポルトガルの砦に、商人として入った。
彼はポルトガル人として行動する。


こうしてペロ・ディエスは、日本情報と、交易と、メキシコへの帰還路の情報を持って、
ビリャロボスに報告しに来たのだった。