『ジェーン・エア』
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人の見え方の食い違い、子供の時の精神的苦痛、そういうことを考えた時、
思い出すのは、シャーロット・ブロンテの『ジェーン・エア』の子供時代だった。
ふと思いついてアマゾンで、新潮社文庫のを上巻だけ買ってみた。1円だった。
子供時代の部分を読み返していて、130ページへ来てギョッとした。
本当にそこだけ、オレンジ色のマーカーで線を引いてあるのである。
「悲しい重荷から救われたわたしは、
このときから、あらためて勉強しはじめ、
どのような困難にあっても、わたしの進む道を切り開いて行こうと決心した。
わたしは激しく努力した。成功は努力に正比例した。」
自分も悲しい思いをしているけれども、激しく努力して、自分の道を切り開くのだ。
そのくっきりとしたカラー線は、そう言っているようだった。
前の持ち主は、どうやら、そこが気になったらしい。
この小説は4度も映画化されているので、ユーチューブなどで画像を垣間見ることができる。
本でいくら読んでも、線画のようにしかイメージできなかった、貴族の館の贅沢な様子が、
映像だとよくわかる。
私は中学の頃にこの本を読んだ。
兄の世界文学全集という分厚い本で、全部を読み通したのだが、
ハッピーエンドに終わる恋愛の成り行きが印象に残っただけで、
子供時代の話は、ささくれだった、厳しい異国の、赤の他人の世界のように思っただけだった。
そしてその中で、どうしても理解できない、と、ひっかかったことがあった。
p21「ずっとあとになった今、私にははっきりわかる。」
「彼らのなかの誰とも共鳴することのできぬものを、
彼らは愛情をもって待遇しなければならぬ義務はなかったのである。
資質や知能や性向の点では、彼らと反対の異質の人間であり、
彼らの利益をふやすことも、楽しみを増すこともできない無用のもの、
彼らの待遇には怒りの、そして判断力には侮蔑の芽をはぐくむ有害なもの、
そんなわたしに彼らは、優しくする必要はないのだ。
もしもわたしが陽気で、派手で、無頓着で物をねだったりする美しいお転婆娘であったなら、
彼らはもっと満足そうにしただろう。」
どうしてこんなにあっさりと、自分がいじめられた理由がわかる、なんて書けるのだろう?
そして、その並べた理由が上記のようなものとあっては、いよいよ理解できない。
しかし私は、50を過ぎて、ジェイン・エアの子供時代と、整理の付いた自分の子供時代に、
共通する部分があるのに気が付いたのだった。
寺島弘隆氏は可愛らしい子供でないと、好きではなかった。似ているではないか。
そして、何だか同じように悩んだ人がいるらしいのも気になった。
それにしても、「成功は激しい努力に正比例する」と自分を慰めたらしい前所有者と違って、
そうとは到底思えない状況に置かれた私は、
どうにも解決できない、落とし穴の中にいるしかなかった。
努力することは、「出る杭」なのである。
周りの子供たちのことを考えない「自己中心」なのである。
30代で亡くなったシャーロットの、この若さでの、この厳しい言葉には驚くが、
それが言えるだけの、確固たる自分自身の確立の成功ということを、感じないわけにはいかない。
激しく努力し、その上で手にした、表現力・発言力。
あの人たちに、何を言わせるものですか、と言わんばかりの厳しさである。
それは、寄宿学校での生死を分ける体験、それをくぐりぬけての現在の立場的な成功、
両方が関係しているのだろう。
私は寺島氏の好みではなく、
寺島氏の利益を増やすことも、楽しみを増すこともできない無用のもの、
うっかりすると彼の足をすくいかねない、有害なもの、
(アンケート調査で、世の中に尊敬できる人物がいない、と答えるほどに、
私は、自分の一面で、厳しい批判力をちらつかせていたとも言えるのだから)
そんな私を、彼が警戒して、これでもかと叩き潰すのは、無理もないのだ。
明るくて素直で円満で、誰にでも優しい可愛らしい子なら、安心していられたはずなのだ。
(もっとも私は、そのうち彼が意見を変えるだろうと、かなり楽観していたため、
別に悩みはしなかった。また、この頃、寺島氏に批判的な意見など、持ったことはない。
彼の言うことを受け止め、飲み込もうと努力するだけだった。
だから、彼の白眼視を感じるにつけ、さっぱりわけがわからないと、ぼんやり感じていただけだった。
彼の言うことは、私の批判の対象になる以前に、さっぱりわからなかったというのが実情だった。
しかし彼は、私に対する意見を、変えたりはしなかったようだ。)
小学校の頃は、「性格の悪い子供に、勉強などさせてはいけない」、と言われ、
高校では、「性格が悪いから、勉強も伸びない。」と言われていたように思う。
そしてまた、一昔前に私が読んだ、通俗教育の本では、
能力があるのに伸びない子供は、性格的に問題があるのです。性格の悪い子供は伸びません。
と書いてあったりもした。
(何、アホなこと言ってるんでしょう。周りと合わないだけだと、私は思います。
私は、人が自分のものとして手に入れている情報が激しく違っていると、
それが何であっても、相互に相手がおかしいように見えるようだ、と思う。)
勉強の動機付けに、勉強の結果手に入れる、豊かな経済的生活、高い社会的地位、
をイメージせよと熱烈に吹聴する人もいます。
自分のために勉強するのだ、親や先生のためではない、と言います。(古くから行われている話術です)
しかし、親や先生の、努力や面子のために見えることもある、
親の顔を立てる、先生は自分の教育成果として誇れる、そういう側面も見えるのに、
そういう部分を無視して、「自分のため」という一面だけを強調しても、
ごまかしにしか見えないでしょう。
そして「自分のため」ということが、イコール「自己中心」という感じで受け取られかねない環境があるならば、
そういう話は、勉強に取り組む意欲を、そぐだけではないかと思うのです。
世の中には、正反対の言説が同時に吹聴されることがよくある。
「自分自身のため」に勉強せよと言いつつ、「自分のことだけを考える人間は良くない」、と言う。
誰がどういう立場で何を指して言っているかは、この際、考えないことにする。
この頃の私には、よく、全く矛盾することを同時に言われる、ような気がしたものだ。
言説が矛盾していることに鈍感になってしまった今、何を鋭くそのように感じたかについては、
よくわからなくなってしまった。
しかし子供の、何でもお初にお目にかかる、という感覚の頃は、この矛盾錯綜というのに、
極めて心が乱された。
そういう時期に、何が何でも性格が悪い、と言われることになった私は、神経がおかしくなりそうだった。
言ってることがおかしいのは「親」ではないのか。
しかし「親」は、孝行の対象であり、尊敬すべき人たちであって、動かすべからず、なのだと言う。
親が正しいのなら、私は、明るくて素直で円満で、誰にでも優しい、ことはないから、性格が悪い、のか。
自分が性格が悪い?
この世界は危険だと感じ、よくこの世界を見張っていなければいけないと感じた私は、
この世界を知ろうとする人間だった。
ところがそれが、親を奉らない、性格の悪い証拠、ということになる。
親たちは、私が危険だと感じたようなことは、思慮の範囲にもない人たちのようだった。
私が、知的作業に関しては、何でもかんでも吸収しようとする人間だったのに対し、
父親は、自分に対して、へへーっと怖れ畏まって、従順であることを私に要求し、
母親は、自分のように、可愛らしくて、つつましく?て、デタラメであることが、良い性格の見本のように言う。
私の性格の矯正は、勉強よりも何よりも優先事項ということになったから、
私の精神生活は気が狂いそうだった。
私の本質的なものが、社会に出たら生きていけないものだと言われたのだから、
親も私も、死に物狂いの闘争になったのである。
私は親から見たら、とんでもない悪魔のような人間に見えるようだった。
それが丁度、ジェインの経験のような具合なのである。
親が正しいのなら、私は、生きていてはいけない生き物だということになる。
どうやったら死ねるかと、シミュレーションを繰り返した。生きて戻れるなら、死んで見たい。
そういうことばかり考えるのだ。
ジェインは強烈に自己主張する。
今読むと、ジェインに、自分は正しいと主張できる力があるのに、私は驚くのだ。
まあ、小説だから、作り事に感心してもしょうがないが。でも、作っている作家は偉いではないか。
あの頃の私に「自分のため」に勉強しなさい、なんて言ったって、何の薬にもならない。
父親は、私が小学校6年の頃に、突然、ドスを利かせて怒鳴りつける、ということを始めたのだった。
父親が始めた仕事が製材所だったので、家ではたきぎでフロを沸かすことになっていた。
流れによっては、私もたきぎを運んだりすることもあったのだが、
その時は、私は、全く関係ないことをしていたと思う。大方、本でも読んでいたのではないだろうか。
すなわち、自分の行動の流れにないことを、
頭ごなしに怒鳴りつけられて、言うことを聞け、と持ってこられては、
はいはい、などということにはならない。
いやな顔をして無視していると、さらにこれでもかと怒鳴りつける。
思い通りにならないというわけで、激昂し始める。私はますます梃子でも動かない。
私が素直ないい子でないことを、証明し始めた、始めではないかと思う。
父親の行動は、長い間、私には理解できなかった。仮に他人に何を言われようが、
そもそも、この父親の行動の仕方自体が、私には、考えられないものだったのだ。
このテーマ?で、どこにそんな行動をとる人間がいるのだろう。
私には、父親の行動は、いくら考えてもあり得ない行動に思えた。
今の私の想像では、父親は、家庭訪問で、寺島弘隆氏に、性格が悪い、わがままで自己中心に育っている、
そう言われて、よし、試してみよう、と思ったのだろう、と思う。ここまでは、
ああ寺島弘隆氏が、家庭訪問で妙なことを言っていたなあ、とAとの関連付けで思い出した頃に、
想像できたことだった。
しかし、そう言われたからと言って、ドスを利かせて怒鳴る、なんてことは、普通はやるまい。
私の今の知識では、父親は尋常高等小学校を出て、北海道の自家の農作業の手伝いをしている内に、
海軍に志願して、巡洋艦に乗って海戦に参加したりした後?、海軍水雷学校で成績優秀と認められて、
3人乗りの特殊潜航艇の乗員として養成され、部隊が壊滅状態の中、
生きて本土決戦に参加せよ、という上官の言葉に従い、米戦艦がぎっしり停泊している港を、
父の主導で手漕ぎのボートで脱出し、漂流中に8月15日を越えて、米軍に助けられたのだそうな。
要するに、広大な北海道の農地では人に会うこともないし、軍隊では軍隊の人間関係しかないし、
金色夜叉のような通俗芝居は見ても、ややこしい心理描写の本も読まないし、
仕事に関係することは勉強しても、陸上生活者の人間の複雑さは知らない、
仕事関係の人たちは、父親を尊重して、少々手荒い態度でも、忍耐してくれていたのだろう。
それが、娘の私には通用しないことを、初めて経験した、ということではなかっただろうか。
というのが、今の私の考えである。
小説は虚構である。美しくも醜くも、作家が仕立ててあるものである。
現実の人間は、小説のような具合にはいかない。
自分では知ることのできない人間がたくさんいて、
中には恐ろしく陰湿で不可解な人間も多数いる。
戦争で多数の人が死んだ。自分の責任ではないことで死んだ。
この世界は、それだけで、その陰湿さを現していると、私は心で警戒するのだが、
私とて、うまく泳いでいるわけではない。
私が母親なら、「性格が悪いですね」の寺島弘隆氏の一言に対し、
「具体的にはどういうことですか?」と聞くだろう。
しかし私の母親は、ただ黙って聞いていただけだった。どんな顔をしていたのかはわからない。
あの話だと、「明るくて素直円満で、誰にでも優しい、可愛らしい子」以外は、性格が悪いことになる。
キュリー夫人がそのような人柄だったとは思えないし、
ナイチンゲールがそのような性格だったとは思えない。
内助の功の山之内一豊の妻がそのような人柄だったとは思えない。
列女伝みたいな話として知っていた「細川ガラシャ」も、とてもそのような人間とは思えない。
阿波しじらを創作した、徳島県の人物伝に出てきた女性(今ネットで見ると「海部ハナ」と出てくる)が、
そのような人物とは思えない。
しかし、自分の母親が(あるいは父親もしばしば)、理想の女性像としてそれを目指しているのが、
暗黙の内にわかるので、私は非常な混乱に陥った。
寺島弘隆氏も両親も、上から下へと、盲従する人間を理想に据えた点は同じである。
母親は、出るな引っ込め、自分のように、小さくなって畏まっているのが正しい、と、
躍起になって私の足を引っ張ったものだ。
母親が、つつましいと、人に評価されることがある。
しかしそれは、彼女が私に対しては、親として人間として、自分が正しくて、私のことは完全否定するという意味で、
私にとっては、傲慢そのものに思われた。
(田舎では、顔のきく母親からの見方 、「私が傲慢である」が、私の知る範囲の周囲にあったと思うことを前提に、
あえてここでは逆方向、私からの感じ方を書いているだけである)
私は、誰をも信じずに、すべてを疑って、間違いのない所から、この世界の見方を考えようと思っていた。
だから、「上に盲従する人間」という指示とは、真っ向から逆を行く志向である。
晩年近くでも、母親は、人に好かれるのはこの私、あなたのような人は、人には好かれない、
私が幸せになるべきで、あなたのような人が幸せになってたまるものか、
+と、あくまでも寺島弘隆氏の敷いた路線を、走る人だった。
ある意味では、寺島氏は、私の母親をもつぶしたと言えるだろう。
父親は、薪を運ぶくらいのこと、頭を下げて言うことを聞くのが子供だ、と思っていたのかもしれないが、
私からすれば、たかがそれくらいのことで、血相変えて大仰に怒鳴りつけ、
言いなりになるのを何としても確かなものにしようとする大人というのが、我慢ならない。
大して切羽詰まっているわけでもないその瞬間の「言うことを聞かない」という現象にとらわれて、
時を待つ、他にあるだろうもっと大事な話を披露してみる、
そういう、忍耐力、時を見越した腹の座り具合を見てみたかったものだが、
それとて、何一つ聞くことも見ることも、できないのだった。
「性格」という言葉で切り取る観察では、父親のことは全く理解できなかった。
そして私が持つ観測指標は、当時はそれくらいしかなかったのである。
だから、ただただ、何と嫌な人間かと、思っただけだった。
トンチンカンでわからない行動の人が多い。
Aは、4回もたたいておきながら、自分が正しいんだ、とばかりに私に諭すように、「人は仲良くするものなのだよ」
などと、こちらがギョッとするようなことを平然と言い、私が間違っている、と、どうして見下すようなことができるのか?
寺島氏は、どうしてあそこまで、私を性悪として、蛇のように執拗に、徹底的に追い回せるのか?
父親もとんでもなくわけのわからない人だった。
そして母親は、
「私は親に言われたら、ハーイとすぐに手伝ったものだ。私はいい子だった。あんたと違う。」
と、父親に怒鳴りつけられても動かない私をけなす。
その瞬間、私は、母親の状況は私の状況と違うだろうと思った。
目をすえて怒鳴りつける親だったはずはないし、
流れの中で自然に仕事になっていたことが、行われただけのことだっただろう。
その私と母親の、状況の違いを問題にしないで、私は悪い、自分はいい子、と結論を出す。
この人は、まともに頭で考えていないのだろうか?
それとも、状況の違いを知りつつ、娘は悪い、自分はいい子、ということにしているのだろうか?
状況の違いを知りつつ、自分だけはいい子、ということにするのは、
大人らしからぬ卑怯な精神活動ではないだろうか?
時には、あんたが悪いことにしておけば、何でもうまく行く、などと言うし、
また実際、そのように言い広げる人だった。
他人に正当なことを言われて返事に窮すれば、相手を「いやらしい」と言う。
「いやらしい」の意味がわからなくて、誰がどういうわけで何が「いやらしい」のか、随分戸惑った。
相手が正しいことを言っただけだとわかるのに、相当、時間がかかった。
まともに理屈が通っていれば、母親は、煙たいらしいのだ。それで嫌う。
少なくとも私が結婚する前の母親は、悪く言えば、幼児感覚でわけがわからないと感じられた。
私に積極的に強烈に関係してきた人々は、つじつまが合わない、難しい人間ばかりだったと思う。
私は、こうしたわけのわからなさは、自分が低レベルの世界に住んでいるからだと感じていた。
私の世界は生活水準も文化レベルも低い世界だろう、と。
しかし、近年ジェイン・エアを読みながら感じたことは、生活そのものの水準にも文化レベルにも関係なく、
異質の人間がいるのだろう、という予感である。
補足
母の父親は、昭和21年の南海大地震の際の津波で命を落とした。母が16歳の時である。
母には兄弟姉妹が9人いた。終戦直後の物資の窮乏する中、家と大黒柱を失って、
一家はさらなる困難に直面した。
亡くなった母の父親には姉がいた。大阪の大きな商店で働き、
その才覚で、嫁ぎ先の「雑貨・荒物・よろずや」の商売を切り盛りする、
質実堅実な人だった。
愛国婦人会の活動でも、顕彰がある。
その夫は、村議会議員をやったりもした人である。楷書カタカナ候文の質問草稿が残っている。
確か明治20年代の生まれだと思うが、残された金銭関係文書は、候文の変体仮名交じりで、
かなり古い体裁を守っている。
印刷物が「現代かな」になっている時代、活字文化人が使わないような字を、
田舎では金銭文書に使っていた例を見ることができる。
「現代かな」による言文一致運動というのは、最初は先進的?な文化人がやったもの、ということがわかる。
島崎藤村や夏目漱石が言文一致で文を書いていても、
田舎では変体仮名交じりの候文、という現象が見られるのだ。
自分の弟である母の父親が亡くなり、一家の窮状を案じたこともあって、子供がいなかったこともあり、
北海道で生まれて戦争から生還した夫の甥と、弟の娘である5番目の子供の姪を結婚させて、
成人養子とすることにした。
それが私の両親である。母が私の兄を産んだのは、18歳の時である。
結婚当時は、裕福な伯母の家の養女ということで、まずまず、幸せな結婚になる、ように見えただろう。
(祖父は私が生まれるのと入れ替わるように亡くなった。)
ところが、祖母は母に不満を感じることが多かった。
私が非常に強烈に覚えている出来事の一つに、こういうのがある。
「Sちゃん。嘘を言うたらいかん。嘘やか言よったら、地獄で閻魔さまに舌を抜かれるんよ」
激して言う祖母のその様は、子供の私にも不思議に思えた。
子供の私でも、祖母にそのような調子で物を言われることはなかったからである。
祖母は、晩年にまた、非常に困ったことを言ってくれた。
「Sちゃん。この子の方が偉いんぜ。あんたはこの子の言う事を聞かないかんのぜ。
トンビが鷹を産んどる。私がおらんようになったら、この子はどないなるんやろ。」
(「Sちゃん」は私の母で、「この子」というのは、つまり「私」である。)
祖母は「私と母を比較」して、私の方が偉い、と言い続けた。
これには困った。私は確かに子供である。子供なのだ。
母より偉い、なんてこと、言われたって困るだけではないか。
母は晩年にこうも言った。
「子が親より偉うてどないする。親が偉いのが当たり前や。」
私の妹の時、学校で子供に教えてもらいたいこと、というアンケートに、
一言、「親孝行」を教えてもらいたい、と書く母であった。
それを見ていた私は、複雑な気持ちであった。妹は妙な顔をした。
母としては、私が親孝行など期待できない子供になったため、妹に期待をかけたのかもしれない。
しかし、親孝行なんか、それ以前の親子関係の問題であって、学校で教えることではないと、私は思う。
私なら、親に、現代の子供について、教育してもらいたかったほどだ。
無学な古頭の親は、新聞で、中学の頃の「自我の発達」という文を読むと、
中学校で「反抗期」が来ると、「我」が強くなる、と読み違える。
古頭で考えると、何が何でもつぶしてしまわなければ「悪」になる、という解釈にしかならないようだった。
「我」をなくせ、と怒鳴るのだ。
私にとっては、正常な疑問や思考でも、考えることは「我」があるということで、
たたきつぶすべき「悪」なのだった。
気が狂いそう、というのは、正にこのことである。
新聞は、私の家族が巻き込まれた、そういう混乱には、一切考慮しなかった。
私が新聞を読み違えないのだから、読み違える親が悪いのである。
新聞やメディアで昔の父親は強かった、という回顧文を読むと、
何が何でも偉そうにしなければならない、
と、勘違いでもしたのではないかと思うほどだ。
寺島弘隆氏は、私の母親に、私がわがままな子供だから、厳しく当たれ、と言った。
彼は私にとって、正に「悪魔」であった。
正邪の判定を逆にしたあげく、外の世界では誰も言わないようなことを、
正しい善として目標に掲げたのだ。
父親が乗っていたという3人乗り特殊潜航艇など、日本軍には存在しなかった、
沖縄脱出など大嘘である、と言ったのも寺島氏ではないかと思うし(私がこの人に、同じ話を二度聞かされた)、
父と娘の二人を誹謗し、母親には間違ったことを言い聞かせ、
これほど、正しい善なることを言っていると、本人も信じ、他人を納得させつつ、
悪魔のような仕業をなしとげる人物が、いるだろうか。
こうして私に「厳しく」当たることが最重要であるかのような展開になったのだから、
正にクレージーな世界が展開した。
母親が父親を、けしかけた面もあるのかもしれない。
これを修正する手立ても何も存在しなかった。
私の時は、こういうアンケートに、母は、家の手伝いをするように指導してほしい、と書いたのかもしれない。
中学校では、やけに家事手伝いの調査が多かったような気がする。
そういうことをするよりも、家事手伝いのメリットについて、子供自身のためと家族のためと、両方の意義を、
自分で子供に説いて聞かせるくらいの知恵と配慮があれば、
それが親の権威の証明になり、子供もすんなり手伝うはずである。
家族関係が悪化することの方が、弊害が多い。
私も、自分の場合、息子たちにそこまで説明解説など、する余裕もなかったが。
自分の子が親より偉くなる例はいくらでもあり、親がそれを楽しみにするケースもよくあるはずだが、
母は私の志向を嫌った。母には理解できない、わけのわからないことばかり志向していたからである。
母は、「偉い人の世界」に、恐怖とわずらわしさを感じていたようだ。兄が京大へ進学しても。
祖母は、祖父や戦前の話を、特に父親を恐れていたようで、しないまま逝った。
父は、悪く言えば単細胞な男だったから、複雑な話は、避けるしかなかっただろう。
祖父が草書変体仮名候文の書き手であることに、どのような意味があるのか、
誰も何も言わなかった。私はそれをちらりと見たことはあったが、
祖父が生きた時代の確認もしなかったし、私には、遠い先祖のような気がしたものだった。
私は、祖母の奇妙な話を思い出した40歳前後以後に、
家の中を探索していて、ようやく、おぼろげな記憶と証拠を結びつけた。
だから、兄や妹は、私の言っていることは、知らない。
私が思い出したこと、鳥毛立女屏風のことや、竹簡らしきもののことは、
今も静かな喧噪の種となって、続いている。
父親を騙して失踪した男がいた。そのくどき文句が「男の友情」だった。
ろくな家族ではない、と、こぼしていたではないか。
しかし自分は決して裏切らない。それが男同士の約束であり、男の友情だ。
家族なんかあてにはならない。お前と私は、固い友情で結ばれているのだ。
その男の友情を裏切れるのか。
もちろん、3人乗りの特殊潜航艇乗員だったことや、沖縄脱出時のリーダーだったという話も信じるとも。
ねちねちと家までやってきてかきくどく、異様な雰囲気だった。
何だかよくわからなかったが、あれが切羽詰まって人を騙す人間の様だったのだとわかったのは、
それからしばらくたってからだった。
結局、家族内の不和、私の行状?性格の悪さ、人を信じる単純さという弱点を狙われたのだ。
かえすがえすも寺島弘隆氏のデタラメが憎い。
世界では、まだまだ女性差別が多いし、対話をしようにも対話が成り立たないことが多い。
日本の私の郷里での経験など、どこにも通用しない特異体験だと思う人もいるかもしれないが、
私は、性差別、人の評価、教育問題、飛躍する思考、一面的思考、事実とは何か、
問題解決のための学問のあり方、
そして発展途上国で出てくるであろう、親世代と子世代に、極端な経済格差・情報格差が出るケース、等々、
ごく日常的なことで気になることが山ほどあるのに、
それすら問題にされずに惰性で流れていくことが心配なのだ。
無駄や無理、不快を最小限に留めて、人をスムーズに有為へと導くことは、社会問題だ、
と思うので、私は自分の個人的な経験を書く。
人同士の適切な対話や了見で問題が解決できるなら、激情が原因の事件はかなり減るだろう。
それは社会をよくするだろう。
だから、そうした問題解決に役に立つことが導き出せるのではないかと私は思って、自分の経験を書くのである。