人生は戦いである?
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「人生は戦いである」という言葉がある。
それで思い出すのは、寺島弘隆氏の、影に日に、私に加えたと思われる「逆」教育である。
私が彼から受け取ったメッセージは、
「他人に勝とう」などと思うことは悪である、ということだった。
(寺島氏本人がどう思っていたかには関係なく)
勉強は、「他人に勝とう」と思うことであるから、悪である。
努力は、「他人に勝とう」と思うことであるから、悪である。
もちろん、お金持ちになろうと考えることも悪なら、
社会的上昇を望むことも悪である。
「他人に勝つ」ということに繋がることは、全部、悪く感じられた。
他人と仲良く、平等に暮らす。それが善である。
私は長い間、この寺島弘隆氏から受け取った言説と、自分の心の中で戦い続けなければならなかった。
「人生は戦いである」という言葉でネット検索すると、他人に勝とうとという考え方は良くない、
というメッセージが出てくる。この言葉の受け取り方は、普通はそうなのだろうか。
他人に勝つ。それは、例えば、成績や徒競争、あるいは社会や会社での、
地位や収入の勝ち負けのように、基準が単一な場面においてわかりやすい。
ネットでは、そういう場面で、他人に勝とうと考えるのは疲労を招く、という話を展開していたりする。
しかし私の人生の戦いは、他人との勝ち負けや優劣の問題ではなくて、
他者が抱くあらゆる考え方・感じ方と、自分の考え方・感じ方と、
この両者の葛藤であり、これが私には、人生の戦いだと、思われるのだ。
他人との比較に繋がるような勉強や努力は、してはいけないような気がした。
だから私は、自分が生きる意味を、他人との比較のない世界、絶対世界、
宇宙世界から考える地球世界の像に求め、それをどうしても必要としたのだ。
自分が生きる意味に繋がる必要世界だったので、
これを否定するものは、排除しなければ自分の生存に関わると思われるほどの、重要問題だった。
自然科学と人間科学の二分論や、マルクス主義との戦いは、自分の生存に関わる戦いだったのだ。
Aにくっつかれていた中学時代、Aを含む周囲と自分を、心理バリアで極力切り離すために、
脅迫観念にかられて勉強した時期もある。
祖母が元気でテレビもなく、環境が良かったらしい兄が、京大へ行ったばかりだったので、
自分も同じレベルでなければならないような気がしたこともある。
だから、中学始めの2年間は、結構勉強したのではないかと思う。
しかし私の勉強の障害は、何と言っても家庭環境だった。
私の決死の思いは、親によって完全につぶされた。
私は、自分の勉強時間に、親が侵入してくるのを、必死で排除しようとしていた。
毎日宿題以外に勉強する、ような環境ではなかったので、試験前の数日は、
常に死に物狂いで勉強時間を取ろうとしていた。
私には、4時間だろうと5時間だろうと、成績を上げるためには、当然時間が必要だと思われた。
しかし、今考えると、勉強するために「一人で」何時間もこもる必要がある、というのは、
私の親たちには、理解できなかったのではないだろうか。
そして兄だ。兄は、勉強・勉強などとは、一言も言わずに京大へ入った、と、
母があてつけのように言うのである。
彼らは、私が勉強していると、何か怪しいことをしている、と思うようで、
何をしているのか調べようとして、勉強中にやってくるのだ。
私は、この親の行動は、不良化を防ぐ目的とかで、警察が新聞を通して煽り立てた、
子供の行状を把握しているのは親の責任、知らないのは親ばかり、
とかいうメッセージに、大いに関係があると思う。
とりわけ、実家に直接、警察と記した同内容のチラシが、狙ったように入れられたために、
親も決死の覚悟を決めた、のではないかと思う。
朋輩会の中には、警察署のメンバーもいた。
あの地域の結束力は、北海道から来た養子である、いわばよそ者の父親に、
とんでもない圧力をかけたと思う。
母親のおしゃべりなんか筒抜けだろうし、あれほどの心理調査で、
私の性格悪に確信を持っていた、母親に優しい寺島弘隆氏も、一枚噛んでいたのではないかと思う。
完全に何もかも間違う心理調査なんて、犯罪そのものではないだろうか。
勉強など、全く関心のない親が、大音声で私の部屋に乗り込んでくるのは、
気が狂いそうなほどの苦痛だった。
激しい言い争いが続いていた状況の中で、ある日、その事件は起きた。
「一体何をしているのか。言え。白状しろ。勉強などしていない。何の悪事をしているのか、言え。
悪事を白状しろ。勉強などしているものか。」
そして父親が、(私を)「鑑別所に連れて行ってやる。誰が何と言おうと、この自分が、
引きずってでも連れて行ってやる」と言い、
(『つみきくずし』でも、著者が娘に同じようなことを言っていて、不思議に共通点があった)
母親が「女は勉強しても役に立たない。勉強などやめてしまい」と言ったのである。
私の親は、私を極端に悪鬼と見なすことで、
自分の正当性を保とうとする所があったのではないかと思う。
他人を悪とみなすことで、自分を正しいとする、行動や思考の様式を持っている人というのは、
結構見かける。人を悪く言うことで、自分の正しさを主張する人である。
寺島氏は私に向かって、直接暴言を吐いたわけではなかった。
どれほど狂った見方しか、していなかったとしても。
ところが、私の実の父親、ということになっている人が、あたかも狂気のような暴言を吐くのである。
私が学年トップでも、「勉強しないで」邪悪なことに時間をかけている、と言う。
自分の努力が、父親には、「無」としか受け取られていない!勉強しないで学年トップ!。
頭が良いから?学年トップ!
成績の結果に見えた、私の勉強への情熱には、真面目さなど全く認めない。
「努力なし」の結果が、学年トップだと言うのだ。
一体どうやったら、「勉強しないで」成績を上げられるのか、
父親のふっかけた言葉は、私にとっては絶望的な難題矛盾だった。
この「大真面目」な、勉強しないで悪事をしているから、
「自分が何としても鑑別所に引きずって行ってやる」という、狂気の沙汰に、
私はガクンと来た。
これは、論理的には両立しない。親ということの通常理解にも反する。
人間であることの、私の理解にも反する。
こういう、極端なことを言いつのって他人を攻撃する手法というものがある、ということも、
知ってこそ、心理的に身構えることができる。知らなければ対応できない。
子供がやるようなこと?を、大人もやる。
(これは、58歳の私が、そう考えるべきだと、今、考えて言っていることである。
未熟な子供が、喧嘩の時に必死でひねり出すとんでもないやり方に、
なぞらえることができそうだ、と思うのだ。)
知的訓練を受けた大人(あるいは大人になりかけた正常な思春期)
の感覚で計ろうとすると、 とても信じがたい言動をする。
予告なしにそれを目の当たりにすると、
子供の側では、心理的な許容量をオーバーしてしまうのだ。
論理的には両立しないことを、凶暴に罵り吐きかける。
そうすることで、子どもをたたきつぶす。それが親の意志である。
そして母親は、私の勉強への意志そのものを、正確に、断固として否定したのだ。
こうして私は、勉強しなくなった。
と言うか、神経がやられた、という感じだった。親が、ふたり揃ってたたきつぶすのである。
(私の経験した世界では、こういうことが常態のような具合なのだ。
マルクス主義者が、プロレタリアは未来を先取りする階級であると、言ったことは正しいか。
親の権威とは何か。
社会の騒乱、人間同士の対立としての革命とは何か。
中国における文化大革命とは何か。
人間や社会についての学問とは何か。
私の経験した世界の話は、葛藤における言葉の表出という意味で、
それらの検証も含んでいる。)
親たちの生活では、私が勉強するような静かな環境を作ることなど、邪魔でしかなかったのだ。
おまけに、念を入れて、勉強よりも「性格」を直すように、と6年担任が指導したこともある。
勉強などと「ほざく」私は、彼らには邪魔でしかなかった。
ところが、あれほど私の胃の腑をつついていたAは、
私が勉強しなくなった、と言って、
私を馬鹿にして離れて行った。滑稽で奇妙な行き違いである。
私が、勉強もやめ、何もせず、ぼんやりと怠惰に過ごして、親に、正しい行動様式だの思考様式だのと、
文句を言わずに、静かになった中で、
大学に進学したのは、父親にはとても素敵なことだったらしい。
中学時代の父親の言い分は何だったのか、まるでわからないが、私には好都合だった。
だから私は、大学に行けたのである。
母親は、自分の苦労が続くのが厭わしかったようだ。
しかし私は、ここで彼女を思いやったりするようなことは、しなかった。
まるで身中の虫のような具合に、私を悪とみなす人だった。
逆に彼女からすれば、私が、同じように思われただろう。
(ただし、母親には私のことを言いつける親姉妹がいたが、
私は、母親のことを言いつけるような、相手が誰もいなかった)
相互に自己存在を否定しあう関係だった。到底、気を許せなかった。
どうにもならないこともある。時間も役に立たない食い違い。両親に幸せを望んでも、彼ら自身が拒絶する。
彼らは決して理解するということがないのだ。人は、自分の理解の範囲の外には、出ることが出来ない。
地方では地方に適した教育を、という意見が出てくると、私は不安になる。
女は勉強してはならない。これがその地に適した教育だ。そういう意見が出てきたら、どうしよう。
だから私は、そういう意見が出てこないように、永遠に頑張るのだ。
問題を抱えている子供について、具体的な状況というのは、知的訓練を受けた人々でも、
いや知的訓練を受ければ受けるだけ、想像しにくいことが非常に多い。
私は、実例として、書く責任を感じるのである。