検証:中国の日本に対する姿勢
櫻井よしこ『異形の大国中国』新潮文庫(2008年当時のものを2010年文庫化)
勉強のはしきれへもどる
中国問題のことは全く知らないので、上記本より抜粋してみることにした。
かなり右よりと定評のある著者なので、内容がどの程度公正なのかは、検討する必要があると思う。
しかし私にとっては珍しいという印象のことが多く、それに、尖閣諸島の漁船衝突問題以降、
反日暴動と中国政府の対応の記憶を重ねると、さもありなんという感じもして、
それがどれくらい検証できるものかと、以下に抜粋してみることにした。
p33
2005年4月、中国で猛烈な反日暴動。
日本の国連常任理事国入りに反対する署名、
日本大使館への無法な攻撃、日本企業への狼藉。
中国外相「日本政府が台湾問題、人権問題、歴史問題など、
一連の問題で中国人民の感情を傷つけている」
「これまで中国政府は一度も日本国民に申し訳ないことをしたことはない」
日本が謝罪と賠償要求をしたことは言わず、日本が反省とおわびを表明した、と報道。
p37
07年まで、中国は「田中上奏文」を本物だと主張していた。
p41
櫻井氏コメント:中国政府は、日本は押せば必ず引く国、叩けばうずくまる国だと見なしている。
だからこそ、常に押し、常に叩いてくる。押すのも叩くのも、
それが日本に言うことを聞かせる最善の方法だと考えているからだ。
たとえ1パーセントでも日本に隙があれば、そこを突き日本を後退させ屈服させ、自分の主張を通すのだ。
彼らはその際の最善のカードが歴史問題だと心得ている。
p46
譲ることはこの国(中国)では感謝もされない。
p60
中国教科書の捏造記事について。
チベット軍事侵略を平和解放と教える。
実際の朝鮮戦争は、1950年、北朝鮮が突然韓国に軍事侵攻。
米国は軍事顧問団500人がいただけ、韓国軍も備えがなかった。
北朝鮮は韓国の南部深くにまで迫り、290万にのぼる中国人民解放軍は、
北朝鮮を助けて韓国領土の90パーセント占領した。
それを、アメリカ帝国主義が国連軍を指揮して朝鮮を侵略、中国辺境まで攻め上り、
中国の安全をひどく脅かした、と書く。
済南事件について、虐殺されたのは日本人だったのに、中国人が虐殺されたと書く。
新しい歴史教科書は「南京大虐殺」を軸とした日本批判で、中国の子供たちに、
日本の子供たちにあてて手紙を書くように指導。双方の子供たちに、心に深く刻みつける効果を狙う。
南京大虐殺記念館改装で、歴史問題で日本への国内外の信用と信頼を徹底的にそぎ落としてゆく長期戦略
が伺える。
p80〔尖閣諸島問題〕
1968年、国連アジア極東経済委員会(ECAFE)が、
尖閣諸島周辺海域に豊富な石油資源が埋蔵されている可能性があると発表。
その後、日本・台湾・韓国が共同で民間レベルの油田開発に入る合意が成立。
1970年12月、中国政府が、日本による尖閣諸島とその周辺海域での資源開発に、初めて異を唱える。
日台韓の共同合意ご破算。
1972年、日中国交樹立。田中角栄首相、尖閣諸島の領有権問題に決着をつけようとする。
周恩来首相、「ここで議論するのはやめよう」と日本側をいなす。
1978年4月、100隻以上の武装中国漁船群が尖閣諸島周辺に集まり日本の領海を侵犯。
「釣魚島は中国領土だ」と気勢を上げる。
ケ小平「偶発的な出来事」「このような事件を今後は二度と起こさない」と確約。
半年後、ケ小平、日中平和友好条約締結のために訪日。
尖閣諸島問題を「いまの世代の我々」が解決できないのならば、「子々孫々」の世代が
じっくり話し合って解決するのがよいとして「尖閣諸島の領有権問題の棚上げ」を提案。
櫻井氏のコメント:日本の領土のことで、棚上げも何もないものだ。
にもかかわらず、外務省は日本の立場をまったく主張せず、中国に譲歩し、
巨額の政府開発援助(ODA)を与え始めた。その決断は福田赳夫首相。
1989年 天安門事件
1992年2月、中国は領海法を作成。尖閣諸島も南沙諸島も西沙諸島も、その他全て中国領だと宣言する内容。
6月、東シナ海に鉱区を設定し、国際入札を呼びかけ。
櫻井氏のコメント:子々孫々の世代と言った日中平和友好条約締結から、わずか14年後。
「棚上げ」と言って時間を稼ぎ、その間に着々と調査を進め、
有無を言わせぬ状況を作り上げたと見るや、問題を「棚おろし」したのだ。
日本(宮沢喜一首相、渡辺美智雄外相、橋本恕中国大使)、口頭による抗議のみ。
(マレーシアやベトナムは文書抗議、領海法から削除を要求。)
10月、そんな中国との友好を深めるため、天皇皇后両陛下のご訪中を実現させた。
国際法は他国の排他的経済水域(EEZ)での資源調査を厳禁しているが、中国はそれを無視して海洋調査を実施。
海上保安庁も海上自衛隊も警鐘をならしたが、外務省がその都度、警告を無視。
95年末頃、民間から、尖閣諸島の灯台建て直しの申請。日本政府保留。
96年10月、中国外相「尖閣諸島の重要性を充分認識し、
日本が二度と問題を起こさないことを希望」すると、日本に書面送付。
(20年足らずで立場が逆転)
2000年8月、森喜朗首相・河野洋平外相、中国側に海洋調査の「事前通報制」を提唱。
調査が申請どおりに行われる保証はなく、中国に、日本の海での自由行動を許したに等しい。
外務省の国益への背信行為である。
中国に東シナ海での自由な資源調査を許す一方で、
1960年代から資源調査の申請を出し続けてきた日本企業には許可しないできたのが、外務省と親中国派の政治家たち。
2007年12月末、福田赳夫首相、東シナ海問題を置いて、中国が欲しがっている環境・省エネ分野について優先協力。
櫻井氏のコメント:善意の協力を申し出れば、中国も応えてくれ、日中友好が高まれば、
東シナ海の資源開発問題も解決に向かうと考えるのは、読みが甘い。