郷里の実家の境界争い
2014年1月6日 雑文へ戻る
現在、神奈川に住んでいるが、郷里は私にとって、祖母の遺言の地である。
私は、祖母の奇妙な話を、とても大切に思っているのだ。証拠はなくても。
実家の隣家「富田」との境界争いは、母の生存中に始まった。
「県」が行った、裏山の土砂崩れ防止工事の際に、隣家と実家との境界にあった地面の段差を、
工事関係者が完全に消してしまったのが、始まりだった。
隣家の裏の地続きに、実家の所有地があるのである。
そもそも、その地に続く裏の山は、実家のもの「らしい」。
(母に登記簿の写しらしきものを見せてもらった記憶があるのだが、自分で詳細に調べたわけではない)
私が子供の頃、祖母はその実家所有らしい山の裾で、隣家の裏つづきになる、わずかな平坦地で、
野菜やお茶や果樹を栽培していた。
災害防止工事が始まった頃は、ほとんど放棄地のようだったが、隣家の裏と、実家の山続きの土地とは、
段差で区切りがついていた。
その段差が、「県」の防災工事で、完全に消されてしまったのだ。
母は憤って、隣家の所有者と境界の決め直しをし、「役場関係者」と、
母と隣家と「三者立会い」で境界の杭を、打ち込みなおした。(と、私は聞いたのだ)
その結果、段差もわずかに回復された。
防災工事のコンクリート壁で、祖母の畑はほとんどなくなってしまったが、
それでも、実家所有の、元畑は元畑である。
つまり、隣家の裏に、わずかに実家の土地が残っている、ような状態になっていた。
隣家は私が子供の頃、「井出(いで)」という家の所有だったが、私が高校か大学のころに、
現所有者の「富田」という家に売却し、それが貸されて、サーフィン関係者がしばらく住んでいた。
母が亡くなる前後には、隣家は空き家になっていたが、
数年前から、富田家の、私より2歳くらい年上の独身女性が、一人で住んでいる。(学校で顔見知りだったはずなのだが)
母が亡くなる前から、隣家は空き家だった。亡くなる直前の帰省の時だったと思う。
母が私を隣家の裏の、祖母の元畑へ連れて行って、
この土地は富田に狙われているから、気をつけるように、と、言うのだ。
私にはその瞬間、とてもそのようなことはありそうもない、と、思えた。
正気だろうかと、半ば本気で思いを巡らした。
ところが、母が亡くなって後の帰省の時、その地面の段差がきれいに無くなって、
完全に隣家の土地と一体化しているのを発見したのである。
私は焦って、応急に「石ころ」を並べて境界を作った。この時、境界の杭は見えなかった。
その後、富田氏に声を掛けた時、相手が(境界のことは)「わかっとる」
と偉そうに言うので見たら、黄色い杭の頭が、地面の両側に出ているのに気がついた。
おそらく、周辺に並んでいる小さな土嚢でも乗せて、隠してあったのだろうと思う。
富田陽子氏は「きたないのを、うちがきれいにしたりよんや。なにを言うことがあるんぜ。感謝してもらいたいわ。
うちは兄弟も親戚もようけおるんぜ。ここは私のもんぜ。親に住めえ言われとるんぜ。」
偉そうに、これでもかとふんぞり返って「(お宅は)きたない」と言い放ちつつ、
親兄弟親戚大勢と、優越感丸出し?でシラを切る、
その言い様に、私はすっかり頭に血が上ってしまって、
「何を言う」「(かくかくしかじか)」と叫んだその声も、
あとで息子に大笑いされるほどの上ずり方だった。
息子たちは、全然その危機が理解できないのである。土地を取ったりできません、
と、私の無知のように言う。
しかし、慣習で境界が決まっているだけなので、
黙っていたら、この土地は合法的に相手のものになるようだ。
ということを、今年10月の帰省で、役場関係者から聞いたのだが、
彼らが、住んでいない者、住んでいる者、と区分し、住んでいない者は当然不利で、
住んでいないものに味方はしない、というようなしたり顔に、
不在者に対して、郷里はこれほど冷たいものなのだと、驚いたものだった。
富田家はさらに、自分の土地でもあるまいに、実家の真南の擁壁の上も、
以前は背丈を越す草ぼうぼうだったのに、大量の石を入れて平坦に直してあり、
これも、一体何をするのかと、驚愕させられた。
神奈川に帰ってから、役場に電話した。担当者は、「聞いたことがありません。わかりました」
と言ったと思う。誰なのか名前は聞かなかった。これが問題だった。
次の年の帰省では、地面に多少の段差を、つけ直してあった。
そして今年、5月に帰省した時、実家側の境界の杭が掘り出され、50センチ程出て、
ささっているだけの状態になっていたのである。
5月の帰省のあと、役場に電話したが、「脇の宮はまだ地積調査はやっていない。
(つまり、GPSで初期状態を復元できる状態ではない)だから、当事者同士の関係の問題である。」
と言うばかりだった。結局、全く取り合ってくれなかったようだ。
10月に帰省したら、杭はそのまま突き刺さっていた。
で、こんなに地面を上下させたり、杭を掘り起こしたりするようでは、
全くどうなっているのか、信用できない、と言っていたら、
夫が、「役場の建設課へ行けば、この辺の地崩れ防止工事の時の図面があるかもしれない。
それがあれば、以前の状態が確認できるかもしれない」と言ってくれた。
それで、役場の建設課へ行って相談したら、3人が顔を並べてくれて、
その内の一人の方が、県にかけあってくれて、当時の図面を見せてもらうことができた。
もらって帰ろうと思ったら、権利関係が確定していない場所のことで、
それに影響のある図面を、当事者に渡すことはできない、
とかいう、訳のわからない理由で、借りることもコピーをもらうこともできなかった。
とりあえず、県に図面があることはわかった。
それにしても、役場関係者の言葉も、当初は、私にはすんなり納得できるようなものではなかった。
住んでいない者は、住んでいる者に遠慮するべきです。
多少の地面のことで、波風を立てる様なことをするのはよくない。
土地は人間関係の問題です。
(と、私にはそう言ったように思う。)
しばらく説明していたら、別の方は、相手方に問題があるのではないか、という言い方になったように思え、
県にまで問い合わせるところまでやっていただけたが、この当初の発言には、今も引っかかっている。
しかもその時、とんでもないことを聞いた。
立会いや、その後の対応に出た役場の建設関係者というのは、
現在住んでいる富田陽子氏の「弟」以外にいないと言うのだ。
私たちも、1年に一度は帰省しているし、その度に草取りや掃除をして、防草シートで覆って、
と、できる限りのことはしているつもりなのに、
「一つも帰ってこんと、きたのうにしとるのに、私がきれいに掃除したりよんを、感謝もせん」
(全く帰って来ないで、汚くしているのを、私がきれいに掃除してやっているのに、感謝もしない)
「土地のことで役場に言いにいったりしな」(役場に言いに行ったりするな)
地面を一つにしたり、境界の杭を掘り出したりしても、一方の当事者は文句を言うな、
なんて、これは滅茶苦茶だ。
地面を自分のもののように一つに工事しておきながら、杭を掘り出しておきながら、
そのような言い方をされても、とても感謝する気にはなれない。
しかも相手は、除草剤で木も草もゼロにすることが「きれい」の基準らしく、
実家の擁壁の上も、自分の庭も、除草剤で処理しているのである。これも不気味だ。
半端な量ではない。それも感謝するべきなのだろうか。
役場から帰って来たら、富田陽子氏と、93歳?のお父さんが、二人で実家に来た。
陽子氏の弟が、以前、役場の建設関係者だったらしいことから、
役場へ行ったことで、すぐ情報が入ったらしい。
お父さんは、私の母と話し合って境界を決めたんだ、と
言ってくれた。とりあえず現況を確認しておこうということで、
杭の場所の写真も撮った。
そうこうしている内に、陽子氏と言い争いになった。
陽子 「ひとつも戻ってこんのに、土地のことで役場に言いに行ったり、すな。
私は家の前を毎日掃除したりよんや。
感謝するのが当たり前やのに、
この間は、私が掃除したりよると言うたら、
感謝どころか、「知っとる」言うて、
当たり前よとばかりに感謝もせん。何ということぜ。」
私「私はありがとうと感謝しましたよ。「知っている」というのは、
Oさんが、車庫の前に駐車している、ということは知っている、
と申し上げたんです。」
(Oさんは反対側の隣。5月の帰省の時、富田氏は、
Oさんと話している私に、連続駐車だと、告げ口に来た、その時の話である))
陽子 「何を言う。そんなことは聞いとらん。」
私 「聞いとらん、とは何事ですか」
陽子 「 一つも戻ってこんのに、きたのうしとるのを、私が掃除したりよんや。
感謝もせんと、何を言いよる」
私 「ありがとう、は、申し上げました。」
(前回、気に入らないながら、思わず「ありがとう」なんて、口が滑った、と、内心くやしかった。
それなのに、感謝もしない、なんて、事実とは正反対である)
すると、キッと目を据えて、
陽子 「何ということぜ。この人は自分の間違いを認めん。」
(私は、口頭の争いでは、相手の滅茶苦茶にいつも絶句するだけで、反論するのが下手だった。
内心、今回は、我ながらきちんと主張できた、とほっとし、
また、相手の言い分がかなりおかしいのに気がついて、紅潮した相手の顔を、黙って見つめていた。
私、58歳になる直前である。)
実家の前で、私たちは大声で、このような言い争いを演じた。
5月の、私としては思わずの失言だと思った「ありがとう」は、
その場に居合わせたOさんも、聞いていたと思う。
ただ覚えているかどうかはわからない。
そして余りに腹が立ったのか、富田陽子氏は、これでもかとばかりに力んで、言い出した。
しかし、その内容は、きわめておかしなものだった。
陽子 「私は奥浦で育った人間ぜ。」
奥浦とか海部とか、とにかく地域の名前を言った。
奥浦は、例の寺島弘隆氏が参加する、朋輩会がある地域で、彼女の実家もそのあたりという認識はあった。
私はこういう場面で、相手が、生まれた所を言わないのに、優位を感じた。
ひょっとしたら、引っ越して来た人間かと感じた。そこで言った。
私 「私は、ここで生まれてここで育った、H家の人間」
さすがに絶句したようだった。
私はここに来て、富田陽子氏が、私が何者なのか、半知半解状態だったのを知った。
しかしおかしいではないか。
私は、彼女が住み始めてからでも、毎年帰ってきて大騒ぎで草取り作業をしている。
私は、境界に、石ころで応急の境界を作った人間である。
ご近所では、私は○○ちゃんで通っている。
では、私は一体何者だと、彼女は思っていたのだろうか?
とにかく、言うことが滅茶苦茶である。
中国や韓国のやることと、共通するところがあると、私は思う。
日本社会でも、このような人たちは、いるのである。
かの国で政治を牛耳っているのは、このような発想を持っている人たちなのだろう。
滅茶苦茶でもとにかく要求はするし、声高だ。
しかし、相手を正論で説得できるという保証もない。
様子を見ながら、力関係というのを、様々な手法を試みつつ、行使してみるしかない。
富田氏が、他人の実家の土地まで、自分の土地と一つに整地してしまい、
「きたないのを、きれいにしてやった」
と言われて、私はみっともなくも逆上してしまった。
ところがこれを富田陽子氏から聞いたらしい伯父が、私を叱責するではないか。
「裏をきれいにしてもらって、何を腹を立てることがある?
感謝するのが、人として当たり前だろうに」
現在、私が彼女たちを警戒しているのは、彼女たちがこのように事実と正反対のことを吹聴して、
伯父のように、うまい具合に丸め込まれる人が増えることである。
親切で真面目で、人の悪を言わないことを良しとしている、この伯父のような人は、
見事に丸め込まれるのである。
だから、私は富田氏を極めて警戒し、
何としても、そのイカサマを阻止したいと、私は思っているのだ。
中国との関係も、似たようなものではないか。
2014年1月11日
最初に境界が消された時、応急に石ころを並べて境界を復元したが、
それは、後から現れた黄色い杭の示す線と、数センチと違わないものだった。
私はそれを見て、自分の正確さに誇りを感じたものだった。
ところが今回、杭を見たところ、以前にあった場所とは違うような気がする。
しかも、ささっているだけの杭を、富田陽子氏の了解を得て、打ち込もうとすると、
何と、下に頑強なものがあって、刺さらないのだ。
前は、杭は確かに地面の両端にあったので、元あった場所ならば、
刺さらない、というようなことはないはず。
私は、どうも場所が違うのではないかと思った。
しかし、役場で県の工事の図面を見せてもらうと、
現況の杭の位置と、ほぼ同じように見えた。
土地の権利関係が確定していない場所だから、図面を渡すわけにはいかない、
という理屈も、非常に奇妙に思われる。
3者立会いで境界を再決定したはずのものが、どうしてまだ、権利関係が確定していない、
ということになるのだろうか。しかもそれが、「県」関係者の言い分なのだ。
この図面だって、現況のように修正したものが、コピーで来ているのではないか、と疑っている。
つまり、県関係者もグルではなかろうか、ということである。
刑法(境界損壊)
第262条の2
境界標を損壊し、移動し、若しくは除去し、又はその他の方法により、
土地の境界を認識することができないようにした者は、5年以下の懲役又は
50万円以下の罰金に処する。