n3. ザビエルとの密約
小説:スペイン太平洋航路目次
海部友光は、長慶の妹を妻にして、細川にも三好にも、つくことができなかった。それに、
世の中の安定のために一肌脱ぐならまだしも、権力争いの私闘に加わるのは気が進まない。
長慶も、そういう友光を受け入れてきた。背後を固めてくれているだけで充分だ。
友光からは、武器その他の供給は続いていたし、資金供給も続いていた。
彼はどうも、南海方面に資金源があるらしくて、手が離せないのも事実らしい。
その友光が連絡してきた。
何かと思えば、「スペインの太平洋帰還路開拓に参加したい」、だって。
何という風変わりな奴なんだろう。
しかし、大きな交易の機会が舞い込んで来ていることも、確かなようだ。
「弥次郎の報告にあったフランシスコ・ザビエルという宣教師が、堺に向かっている。
彼がスペインの技術者派遣に口を利いてくれるようだ。
日比屋了慶が屋敷を提供してくれる。
伊達家の家老も来るから、一緒に立ち会って欲しい」
こういうわけで、長慶は密かに、堺の日比屋邸へやってきたのだった。
海部友光は、初の洋式船造船のための秘密港を提供しよう、と申し出た領主だった。
そしてもう一人、伊達家の家老だが、
伊達家の領地は、アメリカ大陸へ出航するための、日本最後の拠点になる予定だった。
彼らは言った。
すでに伊達家では、良い風を望める秘密の港を確保した。
南は、琉球や薩摩や豊後や土佐に、港が見つかるであろう。
そして堺に一番近い拠点港は、海部である。
どうか海部に、西洋の船の技術を導入させてもらいたい。
戦乱で危険な中央政権からは、遠く離れている。
木材は豊富だし、材料は堺の港で何でも調達できるだろうし、
船大工もいれば、鍛冶屋もたくさんいる。優秀な水夫たちもいる。
造船技術と操船技術を学ぶ方法があるならば、
まずは我々が、スペインの人々と共に、アメリカ大陸に行ってみよう。
メキシコの太平洋岸の拠点にたどり着ければ、
太平洋一周はできるはず。
まずは、造船と操船の技術者を派遣してもらいたい。
可能かどうかは、最終的には、技術者に検討してもらう必要がある。
ビリャロボスから聞いたペロ・ディエス(アルヴァレス)の話に始まって、
ヤジローがザビエルの所へ来た時から、すでにそれらしき話は持ち上がっていた。
しかし、いざ日本へ来てみると、布教が大目的であることもあって、具体的な話はどこへやら、
帰還路開拓の話など、なかなか出てこない。
雲をつかむような話になってきてはいないかと、不安になってきていた所だった。
しかしこうして堺までやってきて、この町の目覚しい繁栄ぶり、豪商の屋敷の贅沢な構え、
きらめかしい武将の身なり、人々の物腰を見ると、
切り出された話が、ようやく真実味を帯びてきた、と、感じざるを得なかった。
ビリャロボスとの約束が、実を結ぶ端緒が見えたのだ。
今は戦乱の世の中だが、日本の文化的な充実ぶりからすると、
日本からの太平洋横断船の出航は、成功しそうだと感じる。
ザビエルは3人に、技術者派遣を確約した。
そしてザビエル一行の後に続くスペイン人宣教師たちが、さらなる道を開いた。
スペイン人技術者たちは、宣教師に身を変えて日本に入り、海部にたどりついた。
ヤジローは、ザビエルが鹿児島を出て5ヵ月後、海部友光に詳細な説明をするために、
海部へと出発した。
ヤジローは、ザビエルが鹿児島を出てから5ヵ月後に「いなくなった」
ことになっている。(岸著p191)
そして後にやってくるスペイン人たちとの意思疎通のために、
日本人たちに、まずはポルトガル語を教えた。
ポルトガルとスペインは隣合う国であり、
日本へやってくるスペイン人たちは、インド経由でポルトガル領を通過してやってくる。
だからスペイン人たちは、当然ポルトガル語を勉強してくるし、
スペイン語とポルトガル語は、よく似た言葉であった。
そのために、ヤジローの教えるポルトガル語を学んでおくことが、最初に考えられたことだった。
こうして海部にやってきたヤジローは、スペイン人たちの通訳と世話のために、
そこに住むことになった。