「まだら理解の古墳時代」 2013年・9月6日
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古墳時代が「前方後円墳体制」とか「前方後円墳国家」とか呼ばれて、
弥生時代の個別文化の時代を超えて、
国家的な広がりを持った共通性のある世界になった、と言われるようになったのは、
ウィキペディアによれば、1991年頃かららしい。
こうして20年くらい前から、考古学では、その方向で考えが進んできたようなのだが、
これが、他の分野には全く波及してこなかった。
ちょっと考えただけでも、歴史学・国語国文学・教育・政治分野での国家論・比較文化学・観光説明など。
たとえば歴史学では、古墳時代は記紀の世界を前提にしてきている。
「古墳時代は文明以前の世界」「7世紀以降が日本文明」という理解が、
政治的バイアスもかかっているのか、通用してきた。
少し前の良心的学者精神だと、日本神話は歴史ではない、古墳時代は前文明、というのが良心的だった。
それは、戦前の約40年間は、日本神話を歴史と教え、天皇は神である、と教えていたのに比べれば、
「良心的」ということだったのだ。
戦前、天皇は神だった、ということを、今の学校の歴史では、あまり深くは教えない。
しかし、すべての学校には奉安殿というものが備えられ、天皇の写真を、神の像としてお祭りし、
前を通る時は一礼し、という具合であった。詳細はウィキペディアの「奉安殿」等。
全国の学校でそうしていた、ご真影(天皇の写真)が守れなかったという理由で校長が自殺した、
なんて話は、実に恐ろしい話である。
それに比べれば、日本神話は歴史ではない、と言うことは、「良心的」ということになったのである。
それでも、右翼がウヨウヨいる世の中で学者を稼業にしていると、
天皇神話の権威を疑うような発言は、自分の首を絞める。
だから誰も、積極的には言わない。
天皇は一面、日本文化の象徴であり、価値体系の頂点であり、それに疑問をはさむと、
日常の価値あるもの、という認識も、根底からぐらつくことになりかねない、ということもある。
すると、考古学の中でいろいろ起きても、外の世界には広がりにくい。
しかし私が今、一番の緊急の課題として気になるのは、南京事件や従軍慰安婦問題の根底に、
日本人は、古代から現代まで、中国や韓国に比べて遅れた、野蛮な蛮族だった、
という、海外からの目線があること、
さらに日本人の自己認識が形成されてきていること、である。
「全国に前方後円墳5千基以上」の体制が「なかった」ことの上に立つ説明は、
日本が曲がりなりにも日本語の通用する世界になったのはいつか、
天皇はなぜ、突然、律令制度で全国支配ができるようになったのか、
こうした疑問に答える「鍵」をも与えない。
日本語は、かなりの領域・人口を擁する、大言語という特徴を持つ。
この世界的な視野で見た時の特異性を、日本独自の社会体制上から説明する必要もあると思う。
小言語の国で、武力制圧による支配者の出現を見ることなく、国家ができた国というのは、
まれなのではあるまいか。
日本は、律令制度を採用した時には、既に日本語が通用していた、らしい。
漢文の指令書と、口頭の説明が、全国に行き渡っているのである。
これは、小言語が林立する社会から考えれば、驚異的な話である。
どうしてそのような体制が準備されていたのか。
それを解く「鍵」が、前方後円墳体制の中にあるのではないだろうか。
***
私たちは、明治維新で世の中がひっくり返った時代を、数多くの資史料・写真で確認でき、
映像で、早回しで幕末から明治への激変を、想像することができる。
古墳時代と奈良・平安 時代を比べるなら、
明治維新の激変に近いような変化があったのではないかと思われるのだが、
誰も、明治維新の映像の早回しのような世界を、想像しない。
明治維新の時のように短期間ではないかもしれないが、私は、
曽祖父・祖父・父・子・孫・ひ孫・玄孫と、世代を重ねるに連れて、
古墳時代から奈良・平安時代へと移り、
同じ系譜の人々が、別の姿形をして、別の社会的立場で、別の場面に登場するようなものを想像する。
このように、古墳時代と奈良時代の社会は、人のしていることとして見るなら、
必ず連続しているはずなのだ。しかし、社会が連続していると、考える人はいない。
2013年9月7日
今生きている人で、ある時代から先祖がいない、というようなことは、
生命原理で考えるならば、あり得ない。
人は無から生じることはない。だから、先祖がいないのではなくて、
どうしていたかを知ることができない、だけである。
だから、古墳時代は、なにもわからない世界ではなくて、
確実に私達の先祖の世界なのである。
この時代に、先祖がいなかった現代人はいるだろうか。
いや、必ずどこかで、私達の先祖も、生きていたはずなのである。
広瀬著『前方後円墳国家』を読んだが、こういう見方ができる、ということが書いてあるだけで、
議論や疑問に答えるものではない。
私が前方後円墳5千基以上という知識を披露してみたら、素人の疑問というのが出てきた。
「ものすごい流行だったんだ。みんな競って作ったんだね。」
「そうではなくて、前方後円墳に階層性がある所から考えると、社会のヒエラルキーが反映しているのであって、
勝手に作ったのではなくて、許可や贈与でもって、社会秩序が構成されていたらしいよ」
「そんな馬鹿な。競争で作ったんだろう。」
「同じ型から作られた鏡が、ある所からあちこちへ配られる、というように、
勝手に作ったわけではないらしいよ。技術者も必要だし。許認可があったんじゃないの?」
「そんなことはないだろう。手に入れたい者が、手を打って手に入れただけだろう」
こう言われると、私もそれ以上のことについては、返答に窮してしまった。
こういう素人考えをも、しっかり否定するだけの理屈を備えている本が欲しいのだが、まだ読んでいない。
それから、前方後円墳の被葬者は、古墳時代の中央からの派遣者説、なんてのもあった。
私は昔から、
弥生時代の地方首長層が主に前方後円墳被葬者となり、
相互のネットワークによって結束を固めつつ築いたのが前方後円墳であって、
その子孫は、
その社会の中での、被葬者の社会的立場を引き継ぎ、仮に直接の血統系譜でなくとも、
地方武士として登場してくる人たちだ、という説である。
前方後円墳被葬者と武士層を結びつけたのは、私独自の説であって、
随分持って歩いたけれど、全く相手にされていない。
私の説を言うと、前方後円墳の被葬者たちは、律令制の時代になると、すべて権力闘争に敗れ去り、
新たに土着の武装勢力として力を蓄えてくるのが、地方武士である、と言われたりもした。
これについては、中央から派遣された武芸者が、土着して地方武士になった、
という、専門家の間?での武士の起源論争もある。
(むしろ教科書記述論争かも。天皇の権威を強調したい人々と、在地領主論である)