堺の歴史A 百舌鳥古墳群
中世堺の琉球貿易へ戻る
堺は、行基・晶子と行った人物の輩出、梵鐘(〔河内〕丹南鋳物師)・鉄砲・庖丁・自転車といった金属産業など、
どれ一つをとっても他都市がうらやむほどの歴史的伝統にあふれています。
その中からあえて一つを選べと言われれば、
世界一の面積を有する〔と思われる〕大仙古墳(仁徳陵〔として宮内庁が管理している古墳〕)を初めとする百舌鳥古墳群か、
〔千利休らの人物を輩出した〕国内最大の中世自由都市
のどちらかになると思います。
百舌鳥地域には、もともと100基以上〔107基という(藤井1984)〕の古墳がありましたが、
現在残っているのは45基ほどです。
〔半壊を含め46基。最近は47基とする。〕
国内の古墳の大きさ(墳丘の長さ)で比較すると、
約480メートルの大仙古墳が1位。
ミサンザイ古墳(履中陵)が3位。
土師古墳(ニサンザイ古墳)が8位ということになり、
日本屈指の大古墳群ということになります。
ただ、百舌鳥古墳群の東方、羽曳野市・藤井寺市にある古市古墳群にも、
第二位の誉田山古墳(応神陵)などベストテンに入る古墳が三つと、
その他にも200メートル級の古墳が三つあり、
規模ではこちらが勝っているかもしれません。
両古墳群は関連性があり、古市・百舌鳥〔百舌鳥・古市〕古墳群ともよばれています。
長尾街道・竹内街道といった古代の官道でも結ばれています。
所在市域の違いにこだわらず、全日本的にみて、最大の古墳群であるということもできるでしょう。
古市・百舌鳥古墳群でもう一つ特筆されるのは、周知のとおり世界最大の面積をもつ大仙古墳があるということでしょう。
政界最大の古墳は、一般に三つあると言われています。
〔墳は土盛りの意ですが、ここでは石造墓も含める〕
高さが147メートルあるクフ王のピラミッドと、
墓域を含めると東西役1キロ、南北役2キロになる秦の始皇帝陵、
そして大仙古墳の三つです。
〔世界的な認知は進んでいないようであるが、大きさでいえば〕
世界三大墓の一つが堺市にあるということは、誇るにたることといえるでしょう。
「ふるさと百舌鳥野構想」などに基づき、
古墳群とその周辺地域の〔周遊路や誘導看板などの〕整備が進められているところです。