幸せにならないかんのは、この私よ。 2014・12・12
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「あんたが幸せになって、どないするんぜ。幸せにならないかんのは、この私よ。」
何をもめていたのかわからないが、母が私にこう言ったのは、
私が結婚してから、相当時間がたった頃だった。
10年たっていたのか、15年たっていたのか、それとも、もっとたっていたのか、
とにかく、かなり時間がたったころだった。2000年以前ではあると思う。
私は母の目に、幸せを求めている、という風に見えたのだろうかと、キョトンとしたのと同時に、
(私が焦っていたのは、マルクスと世界思潮の問題だった)
母が、自分では、
娘(私)のような人間は駄目だ。
自分(母)は、娘よりもずっと、自分が幸せになるはずだ、と思えるような、
正しい努力をしている。
と思っているらしいのに、怪訝な思いを抱いたものだ。
理解できないことは理解できないままに記憶に残って、後から反芻しては、
ああだろうかこうだろうか、と思いを巡らす。
この記憶につながって浮かんでくるのは、中学の頃に、父親と激しいいがみ合いをやっていた時のことだ。
「私は皆にいじめられて可哀相なシンデレラや。」と、母親。
母が可哀相なシンデレラなら、いじめているのは父親と私で、
黙って不平を言わずに何もかもやっている母親が、シンデレラなのだろうか。
しかしこの想定は、当てはめるには、とてもチグハグな構図だった。
黙って何もかもやっていれば、いつか王子様がやってきて、自分が幸せになれる、
なんてことが、母親の立場で、あるわけないじゃない。
しかし、母親が一生懸命努力したことがあるとすれば、
黙って不平を言わずに何もかも自分がする、
だったなあ、と、私は思うのである。
しかし、それが幸せになる努力だなんて、そういう思考展開がある、という可能性も、
私は自分では、長い間、全く認めなかった。
しかし人は、自分では思いもよらないような、摩訶不思議なことを考えているものである。(と、今では思う)
父親は決して、説明をしない男だった。いや、母親もだが。
忙しいのだから、母親を手伝ってやれ、とか、一家が協力し合ってやっていかなければ大変なんだぞ、
などというようなことは、父親は決して言わなかった。
怒鳴りつける。そのことによって、私を自分に服従させること、のみに、集中していた。
私は、この父親の、威嚇・脅迫・恫喝という態度だけは、絶対に受け入れられない、という感じだった。
母親は二人のいがみ合いを横目に、なにもかも抱え込んでいたが、
決して不平を言わずに、何でも際限なくやってやる、という点にかけては、間違いなく努力していた。と、思うのだ。
これだけ、自分のことを言わずに、すべてをやってやる、という正しい道を歩んでいるからには、
必ず報われて自分が幸せになる、というのが、世の中の正義でなければならない、という風に、
母親は思ってでもいたのだろうか。
戦時中の辺地で育った貧しい世代は、天皇は神様である、以外のことは、碌な勉強をしていないと思う。
母親が私の母親であっても、その手に入れた情報量や質、境遇の差は、私とでは、天と地ほどの差があっただろう。
母親の世代は、気の毒な世代だった。
それは、父親に関しても言えることである。
もっと豊かで平和な時代なら、父親も母親も、全く別の人だっただろうと、私は思う。
ともあれ、昔のシンデレラには、必ずと言ってよいほど、
「シンデレラは、何一つ不平を言わずに、継母や義理の姉たちのために、優しくしてやりました」
という文句が入っていたと思う。
最近の本からは、この文句は消えているようだが、昔の編集者は、この文句がひどく気に入っていたのだ。
と、現在の私は思う。
何も言わない女は、男に好かれる、という固定観念を押し付けるのが、
好ましく思われた時代もあったのだ。
と、私は思う。