2014・8・22  社会進化論

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社会進化論とか社会ダーウィニズムとか呼ばれる思想のことを聞いたのは、
高校の時だった。

その時、その先生が、これは社会進化論とか社会ダーウィニズムとか、
そういう名前で呼ばれています、と言ったかどうか、
までは、私ははっきりとは覚えていない。

ただ、話の内容からして、先生の話は、社会進化論(社会ダーウィニズム)の話だ、
と、私が整理したのは確かである。

つまり、生物学の進化論を社会に適用して、
社会の進歩は、優秀な者が生き残り、劣位の者は廃されることによって達成される、
というような考え方が、かつて流行したことがあるけれども、

これは間違いである、自然科学と社会科学は別のもの、
社会に自然科学を適用してはいけない、と話したのだった。(私の記憶では)

そこで私は思わず、社会に自然科学を適用するのは当然じゃないの?
と、割りとよく言葉を交わしていた人に話しかけた。

私が考えていた、自然科学的に考えた社会というのは、以下のページに説明してある通りである。
 「物質世界と人間」
 http://1st.geocities.jp/rekisironnsyuu/bussitusekaitoninngenn.html

つまり、先生が説明した社会進化論の話とは全然違うことを考えてそう言ったのだが、

私に言われた人は、さっと表情を変えて、
「それって、優秀な人は生き残り、敗者は死ね、ということよ」
と私に言った。

   私は絶句した。同じように、生物・化学・物理と、高校で勉強してきて、
   高校の生物・化学・物理は、みんなが勉強することになっているのに、

   自然科学で社会を考えるな、とは、
   今まで高校で勉強してきた科学を、否定すると言うのだろうか。

どうして自分の言うことが相手に通じないのだろうかと面食らっている内に、
吹聴する調子が、少々激しい人から、激しくなじられる段となった。

「自然科学を社会に適用するのは当然だとは何事か。違うと言え。」

なぜそういうことを言われるのかと思って、ノーと首を横に振れば、
相手は逆上した。

「あんたは優秀な者は生き残り、敗者は死ね、と言うのか!」

どうして前の言葉と後ろの言葉がイコールなのか。全くわけがわからない。

別の人も、同じように私に迫るのだ。しかし、どうしてイコールなのか、さっぱりわからない。
私が「ノー」と繰り返すので、彼女たちは完全に頭に来てしまって、

私が「優秀な者は生き残り、敗者は死ねという思想を持っている」
と、吹聴することになったようだ。

私がそう言った、というのである。

私に反感を持っている人たちや、足を引っ張りたい人たちは、これを大いに利用した。

    この先生の説明の仕方は、マルクス主義の渦の中にいた人たちにとっては、
    別方面の物議をかもすだろうこれども、それはちょっと横に置いておく。

ここで問題にしたいのは、
「自然科学を社会に適用するのは当然だ」と「優秀な者は生き残り、敗者は死ね、と言う」

が、どうして他の人たちの頭の中で「イコール」になるのか、ということである。
私達の間には、高校での自然科学の勉強という共通項があるにも関わらず、
その共通項がどうしても出てこないのだ。

私は、直接言葉を交わした三人のうち二人が、

  私が、優秀な者は生き残り、敗者は死ね、と言ったことは、絶対に間違いない、

という態度を固めて、絶叫スタイルで、否定しろ、と迫ったのを、今でも苦々しく思い出す。

私が通った高校では、こんな具合に理屈が飛んでいくのだった。

高校で殺人事件など起きると、自分も何が原因で殺されたかわかったものではない、と、
寒々しくなるのだ。

しかし、問題の一つは、人の言ったことが、まるで違った話になって仰々しく喧伝される、
ということにあるのは確かだろう。


昔、母が、私に面白おかしく噂話を聞かせたことがあった。

あんまり大げさなのではないかと思って問いただしたら、
案の定、実際よりはるかにオーバーな話を、わざとしていたらしい。

「何、話は面白くしなければいけない。面白いじゃないの。」
同意を求めて私の顔を見るけれど、私は拒否の表情である。

母は「何?(自分と)一緒じゃない。一緒じゃない?」と顔色を変えて戸惑う。

面白ければいいと言うものではあるまい。
しかし、私の母は、話は面白くするのがいい、と言うのだ。