対華21か条要求       2013・10・8

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市古宙三『世界の歴史20・中国の近代』河出書房新社1990、P221、

対華21か条要求について、
  「要求の提出の仕方がまったく突飛で、駐華公使日置益が、大統領官邸に行って、
   直接袁世凱に提出したのである。外交慣例をまったく無視したやりかたである。」

とあるが、この文章の根拠は何だろうか。

日本人が、慣例を全く無視する、なんてことは、やりそうにないことである。

江戸時代でも現代でも、ちょっと責任の発生する仕事に就く場合は、
日本人上司は、慣例を叩き込むものだ、という先入観がある。

江戸時代は間違ったら本当に自分の首が飛ぶので、上の様子を伺い、
先例を踏み外さないように四苦八苦、したはずだったのに、

対華要求では慣例を全く無視、なんてことが、ありうるだろうか?
             (あるかもしれないけれども、根拠が気になる。)

南京大虐殺さえ史料批判ができていないのに、
「対華21か条要求」は確かである、と言い切れるだろうか?