宇宙からの接近
2013年9月30日
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1975年頃までの、人文学系のある方面では、
自然科学と社会科学を、はっきり区別する考え方があった。
私はそれで東大教科書との大衝突を感じたのであるが、
そのことについては、拙著『ものの見方の始めについて』第5章
http://1st.geocities.jp/rekisironnsyuu/mononomikata.2011.5.toudaikyoukasyo.html
に書いてある。
その大衝突に至る前の私の考え方については、それ以前に書いてあるわけであるが、
今ひとつ、それに加えて思い出すことがある。
アポロ月面着陸は1969年で、私が14歳の時である。
だが空想科学小説の世界では、それ以前にすでに、
宇宙から地球へやってくるという光景を、想像して書いた描写があった。
私はその描写を読んで、宇宙の中にくっきり浮かぶ、物体としての地球というものを、
非常に気にしたのであった。
アポロの話は、身近にそれほど興味を持って収集する人もいなければ、
特にとりたてて話題にする人もいなかったので、社会的には大騒ぎではあったけれども、
個人的には、ニュースとしてさらりと流れていってしまった。
しかし、空想科学小説での描写は、広漠とした宇宙から地球という物体の塊に接近する自分、
という感覚を、よく甦らせてくれたのである。
自分が住んでいる世界はこんなもの、という感覚を養うのに、
元は空想科学小説とはいえ、この宇宙からの接近感覚は、大事なものだと感じていた。
古代人が考えた世界像について、インドの、陸地は象が支えていて、その下にはさらに亀がいて、
というような、今では想像もできないような世界像の知識があったり、
あるいは聖書の世界観と、地動説との激しい衝突の知識があったり、
あるいは日本の戦前の、日本神話の世界の知識があったりしたので、
少なくとも、宇宙から接近する地球の物体感は、間違いないことだろう、
と、しかと心に留めたのだった。
それが、社会を考える学では、消えて存在しないのだ。
学問の科学性を標榜してやまないマルクス主義でさえ、それを無視しているので驚愕せざるを得なかった。
そんな馬鹿な、そんな馬鹿な。天皇は神なり、神話は歴史である、と教えていたのは、
ほんのちょっと前のことでしかないのに、私が直面した学問の世界観というのは、奇奇怪怪なのだった。
それは、近代に勃興してきた様々な人文科学の自然科学化?、そしてマルクス主義との対抗という意味で、
ヨーロッパでも同様の主張がなされているのだった。