私の理由
小説:スペイン太平洋航路目次
私が『小説:スペイン太平洋航路』の概要を書いているのを見て、
私が、自分を海部氏の子孫だ、と考えている、と考えては「いけない」。
私が聞いたのは、祖先はペルシャから来た、ということと、
地元古墳の被葬者の子孫だ、ということと、
教科書に載っている正倉院御物の写真のようなものが、家にたくさんある、と聞いたことと、
鳥毛立女屏風について、祖母がきれいな色をしたオウムの羽を貼ってあるのだろう、
と言ったこと、である。
そして自分が確かに、大量の竹のまきすのような物を、家の中で見た記憶があるのである。
しかし、それらはいくら探しても出てこないのであって、
完全に空中に浮いているのだ。
従って、自分の記憶が何らかの意味のあるものである、という証拠は、どこにもない。
その点について、私は、「証拠は何もない」という立場、であることは確かである。
しかし私がスペイン太平洋航路に目を付けたのは、まさに「祖先はペルシャから来た」、
という、祖母の言葉の記憶によるものなのだ。
祖母の話は古墳時代の話であって、中世の話など、祖母は全くしなかった。
しかし、現代まで祖母に伝わるほどに信憑性を持って語られてきた話ならば、
(証拠物件をともなって)
という仮定に立って考えるなら、中世にも伝承があったと考えるのは当然である。
また、中世に伝承があったならば、中世で何をしていたか、と考えると、
太平洋航路にからんだとしたら、どうなるか、と、想像をめぐらすことになった。
証拠は何もないけれど、史料が語る内容とは別の筋書きが見えて、
関連性を持って浮かび上がって来るのだ。
この専門家の言うことは、これこれの理由からおかしい、というような展開の仕方では、
なかなか理解してもらえない。
専門家の話を疑うという姿勢そのものが、反発を招きかねない。
では、と、考えたのが、小説、ということにして、
「別の筋書き」というものを書いてみたらどうか、ということだったのである。
祖母の話は、私が、小学校の低学年から高学年までの間に、
散発的に語られた、引っかかる発言である。
それは、私が父親や母親に聞くと、必ず、激しい反発と怒号と嘲笑と、
近隣へどう聞こえるかという恐怖となり、
祖母の立場を悪くし、私の祖母への信頼も減少していく原因となった、不幸なものだった。
だから、私が、他者の受ける印象というものを全く考えないで、ただおもしろいからと、
このようなスタイルで物を書いていると考えたら、それは大きな間違いである。
傲慢・不遜・うそつき、その他、様々な罵倒、牽制、憎悪の可能性もあり得ると考える。
私は、海賊の根拠地と言われれば、それを逆手に取って、
海賊で町起こしをしようと考えるようなのは、情けないと思うし、
『土佐物語』や司馬遼太郎の小説のままに、卑しく残酷な海部氏、という書き方のまま、
世間に拡大させる動きには反対する。
現代の長曽我部が、お金をかけて那佐湾に島弥九郎の追悼碑を立てたけれど、
地元の人々が、これをもって名勝の証しができたように思っているのは、
不愉快である。