1500年代フィリピンの産金情報

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的場節子著『ジパングと日本・日欧の遭遇』吉川弘文館2007より

p179

1521年以後に繰り返しフィリピン諸島に到達したスペイン遠征隊、および、1570年以降のマニラ総督府による報告書の数量は膨大なもので、

その大部分は現在もセビリアのインディアス文書館(Archivo General de Indias 略号AGI)に保管されている。

なかでも1550年から60年代のフィリピン諸島征服の報告書中には、各島の産金情報が顕著である。

フィリピン金の日本輸入に関しては岡本良知氏の指摘もあるが(3)、今回は岡本氏の指摘から漏れた数例に触れながら、

ワクワクやシーラあるいはツィパング、チャンパグの呼称で知られていた黄金諸島の実像と、南蛮金を目指した日本船の進出についての

総括を試みたい。

例えば、スペイン文書から、1565年以前の一報告書の記述を引用すると、

かの地の原住民にとって金採掘に努力は無用であり、

折りにふれて渡来するイスラム系や中国人の船との取引があるたびに、手近の場所で金を採る
と報告されている(4)。

(中略)

p180

このように、スペイン勢が伝承の黄金諸島を次々と征服していく過程で、スペイン報告書は、日本船の黄金諸島進出情報も伝えていた。

例えば1565年作成のファン・デ・イスラ報告は、ミンダナオ島の河川における金粒など各地の産金情報を報告した上で、
原住民は非常に貧しいが、金を産しない島など聞いたことがないと伝える(9)。

また、ルソン島には琉球人や日本人相手の交易に従事するモスレム(イスラム教徒)が居住し、

北方の銀産地である日本からルソン島に渡来する者は、中国絹などを購入する。

そして勇猛な日本人は、レケオ(琉球)と称される上質で片刃の刀剣をもたらす、などと報告されている(10)。

同じ1565年の5月28日付報告書にも、各島別の産金情報があるほか(11)、1567年7月23日付ミゲル・ロペス・レガスピ報告は、

中国人や日本人が金獲得を目的にルソン島やミンドロ島に渡来するとある(12)。

このように1560年代には、ミンダナオ・パナイ・セブなどのビサヤ諸島からミンドロ島、ルソン島に至るフィリピン諸島の産金報告が、

続々とメキシコ副王やスペイン国王に送られていた。

さらに、1572年4月20日作成とされるルソン島・ミンドロ島征服調査報告(ファン・パチェコ・マルドナドの書名付)は、

両島の産金が有名であるという事実を記した上で、金と交換する商品を舶載した日本船が毎年渡来すると伝えた。

その際の現地金と日本銀との交換率は、金1に対して銀2.5であったという(13)。      
                       (私注:日本人が、少しの銀でたくさんの金を手に入れていた、ということ)

以上の史料によると日本人のルソン上陸地は、北部カガヤン地方、北西岸のイロコ地方、その南部のパンガシナン地方、

そしてマニラ近辺であった。

カガヤン河口では日本人集落の存在が知られたほか、パンガシナン地方のアゴー(アグー、Agoo)港は、

金を求める日本人の渡航が多かったために、日本の港と称されたという(14)。

また、時代は1642年の話であるが、2人の日本人金堀師がアゴーで働いていた記録も知られる(15)。

この時代に日本船が寄航した黄金搬出地の原住民は、黄金と刀剣・雑貨を交換する、旧来のゴーレス交易の相手方であった。

そのうちの一部は、かつて黄金に惹きつけられて渡来した、イスラム系商人の影響でイスラム化していた。


注:
(3)岡本良知「1590年以前に於ける日本フィリピン間の交通と貿易」『キリシタンの時代ーその文化と貿易』八木書店1987、p556〜560

(4)AGI,Ms.Patronato,23,R.6/1 (文書番号表記について)
既刊の参考文献を見てわかるように、インディアス文書館の文書番号表記は、研究者の閲覧時期で異なる。

その理由は、1900年代後半まで使用された同文書館文書番号(旧番号の採用例として岡本良知前掲書の他、パブロ・パステルス著、松田毅一訳書『16−17世紀日本スペイン交渉史』大修館書店、1994年など)が、
その後に新番号に前面改正されたためである。(新番号の採用例として、高瀬弘一郎『キリシタン時代の研究』岩波書店、1977年など)。しかも2006年現在までの間に再び、文書映像化に伴う分類番号の微調整が重ねられて、映像化された文書に関しては、次のような表記形式となっている。(後略)

(9)AGI,Ms.Patronato,23,R.7/1-5
(10)AGI,Ms.Patronato,23,R.7/5. 類似報告に関して、岩生成一『南洋日本人町の研究』岩波書店、1966年、p213〜214
(11)AGI,Ms.Patronato,23,R24.1/1-3.
(12)AGI,Ms.Filipinas,6,R.1,N.7,1/2.  前掲注岡本書、p536−537に引用の邦訳史料は、日付が6月23日とあるが内容は同一。
(13)AGI,Ms.Patronato,24,R.25/1-3.  岡本前掲注(3)書、p552。また、前掲注(10)岩生書のp214には、1575年ごろとして同文書を紹介。
(14)岩生前掲注(10)書、p218−220
(15)Felix m.Keesinng, The Ethnohistory of Northern Luzon, California,1962,p53.