1518年マゼラン報告書の「琉球」
                  
的場『ジパングと日本』p91より

                                          
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マゼランについて

マゼラン
は最初、@ポルトガル船でアフリカ南端・インド洋・マレー半島、さらに東へと進んで「マゼラン報告書」を書き、(1518年)
        その後、Aスペイン船で南アメリカ南端を回ってフィリピンに到達した。(世界一周時の「マゼラン遠征隊報告」・1521年)
                                                   
マゼランは、1509年から1512年まで、ポルトガル艦隊で東進した。
そして、マラッカおよび東方地域まで足を延ばし、現地海域を巡って、アジア海域報告書(「マゼラン報告書」)を作った。
情報源と時期において、トメ・ピレスの情報に近い。

1518年マゼラン報告書の原本は行方不明であるが、スペイン海軍博物館図書館には、
原本から1793年に直接転写した写本が所蔵されている。(的場著p90)

以下は琉球の部分である。


〔琉球〕1518年マゼラン報告書より)(的場著p91)

  前述の中国に面した海には、先に述べた島々の彼方に、大陸とも伝えられる大きな島があり、

  ここ(琉球)からマラッカに毎年3、4隻の船が来る

  大商人の上に金持ちといわれる、中国人とよく似た色白の人々が扱う商品は、
  大量の金塊、銀、生糸、大量の良質の絹布、大量の小麦、美しい磁器などであって、

  それらの中国人(訳注:琉球人)は、大量の胡椒を、
  琉球と称される島に持ち帰る。

  彼らは前に見た中国大陸の中国人よりも人当たりが良く商売上手であって、
  しかも金持ちで身なりが良いうえに勇気もあると、
  マラッカでは言われている。

  ポルトガル人が占領(1511年)して以後は、幸いなことにマラッカに来ないので、
  今のところ我々は、あまり彼らについて情報を得ていない。

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