20220502    壺井栄『二十四の瞳』(感想)  

                       戻る


寺島弘隆は、壺井栄『二十四の瞳』が好きだと言っていた。

最初に読んだ頃は、私も、可哀そうな話だなあ、と、
切ない気持ちになったものだった。

しかし寺島弘隆が、暴力男子との関係で、私に非常に重大な被害結果を
もたらしたことを何度も考え直している間に、

壺井栄『二十四の瞳』も、不快なことばかりが目に付くようになった。



以下は青空文庫より、富士子が親に売り飛ばされたといううわさの場面
         Ctrl+F 富士子 で検索して、終盤の方

 仁太が、富士子に会うた、というのは、
 遊び女としての富士子との出あいにちがいなかった。

 仁太の顔にあらわれたものでそうとさとって、わざとききかえさなかったが、
 噂はとうの昔に小ツルから聞いていた。
 富士子は親に売られたというのだ。

 家具や衣類と同じように、今日の一家のいのちをつなぐために、
 富士子は売りはらわれたのだ。

 はたらくということを知らずに育った彼女が、

 たとえいやしい商売女にしろ、売られてそこではじめて人生というもの
 を知ったとしたら、
 それは富士子のためによろこばねばなるまい。

 しかし人は富士子をさげすみ、おもしろおかしく噂をした。



売り飛ばされて売春婦になって、はじめて人生というものを知ったのなら、
それは喜んでやらなくては、

って、何を馬鹿なことを言っているのでしょう。

加藤陽子氏の『満州事変から日中戦争へ』の冒頭、
「本土大空襲で人間がきれいに消えた」の文並みに、ひどい内容だ。

この本、好きなのは学校の先生に多い。
もっとも、本を読んだ感想ではなく、映画を見ての感想かも知れない。

映画は、ここの部分は、変えてあるみたいだ。


「人は富士子をさげすみ、おもしろおかしく噂をした。」
ああ嫌だ。田舎は何でもこんな調子だから。


富士子の家の「重い家柄」って、家柄と言うからには、
名主や庄屋ではないのだろう。

ちょっと、私の郷里では、どんなものか想像もできない。

何年も傾きかけたまま続いて、挙句に娘を売り飛ばす「お家柄」
って、どんなものかなあ?

しかし富士子が暗くて、周囲に馴染まない、壁のある、
無邪気さのない、人好きのしない様子というのは、

人に打ち明けることのできない、人生の困難の真っただ中に、
いたからではないだろうか?

その子が、さらに卑しめられるような売春婦の世界に堕ちた。
それはその子のために喜んでやらなくては、って、あんまりです。

それを、田舎の人は、おもしろおかしく噂をするんだって。
どこがおもしろい?嫌だなあ。こんなの。

まあしかし、観光資源でもあるらしいので、あまりつついても、
どうかと思われる。