阿波の海賊について書かれている資料
海陽町の歴史記述の問題点へ戻る
以下の文献については、筆者はまだ見ていない。
【回答.阿波海岸の略奪の証拠文献について】
「略奪」とは書かれていませんが、
阿波の海賊について書かれている資料は、以下のとおりです。
d.『徳島県史 第2巻』徳島県史編さん委員会/編 T209 /トク3 /15-2A 相互貸借可
p130〜132(2枚)「第五節 阿波の海賊」に、
「元来阿波東部の海は、鎌倉時代末から海賊の出没が多く、
北条氏はこれに対し南方海賊の押えとして、小山石見守経幸を関東から上洛させ、
紀伊の牟■(本文「ろ」の字は、「串」の下に「女」となっていますが、パソコンでは変換できないため、「呂」とします。以下、同様。)郡瀬戸崎を守り、紀伊室郡三箇荘に居住せしめた。」
とあります。
紀伊牟呂郡田辺町小山文書からの引用もあり、「阿波国海賊出入所々…」と書かれています。
その他、淡路の沼島の海賊が懐良親王を守護して小豆島に送ったことなどが書かれています。
b.『阿南市史 第2巻』
p25〜46(12枚)「三 森氏と椿泊」は、森氏について解説する中で、p25〜28(3枚)に、
阿波の海賊についての記述があります。
資料d『徳島県史 第2巻』と同じ例の他に、
観応元年(1350)6月、足利義詮が淡路由良城主安宅備後権守頼藤に沼島の海賊討伐を命じたこと、
応仁2年(1468)「阿波州鳴渡浦の大将軍源朝臣義直」の名が朝鮮の「海東諸国記」に出てくること
などが書かれています。
e.『勝浦郡志』勝浦郡教育会/編 T231 /カツ /2A 相互貸借可
p94〜95(1枚)に、資料d『徳島県史 第2巻』と同じ小山氏文書(鎌倉時代)が引用され、解説されています。
f.『徳島歴史散歩』佃実夫/著 T210 /ツク /1A
p34〜38(3枚)「山岳武士と阿波の海賊(水軍)」のうち、p36〜38(2枚)に、
阿波の海賊についての記述があります。
上記資料の例のほかに、「阿波の海賊と北朝軍の海賊との海戦は『太平記』の記述にもみられるが」とあります。
g.『土井本太平記 本文篇下』西端幸雄/編 913.435 /ニシ /1-2 相互貸借不可
「太平記」巻三十九のうち、p1457〜1459(2枚)「高麗人来朝の事」の段に、
勅書で日本の海賊被害が述べられています。
その後に、「賊船の異国を犯し奪ふ事は、皆四国・九州の海賊どもがするところなれば、
帝都より厳刑を加ふるに拠所無しとて、返牒をば送られず。」と書かれています。
この部分は、略奪行為について書かれていますが、「阿波」の名は出てきません。
『新編日本古典文学全集 57 太平記4』小学館 918 /シン /57 では、
巻第四十p417〜420「高麗■(「ならぶ」という字が書かれていますが、パソコンでは変換されません。)びに太元の使節至る事」が、
土井本の「高麗人来朝の事」にあたります。底本が違うため、文章が違います。
『日本三代実録』にも、
阿波とは書かれていませんので、阿波の海賊がその中に含まれていたかどうかはわかりませんが、
西国の海賊の被害や、追捕については、たびたび出てきます。
例として、
h.『訓読日本三代実録』藤原時平/その他 210.08
/タケ 相互貸借不可
p164の貞観四年(862)五月二廿日、
p326〜327貞観八年(866)四月十一日、
p390〜391貞観九年(867)三月廿七日、
p410〜411貞観九年(867)十一月十日など。
以下の資料は、『土佐日記』の阿波での寄港地などについて論じたもので、
海賊については、あまり論じられていません。
i.『阿波文化論集』多田伝三先生古稀記念論集刊行会/編 T040
/タタ /1A 相互貸借可
p55〜74「土佐日記における阿波国での寄港地 −海部郷の場合−」松本隆義著
j.『阿波の交通
上』「阿波の交通」編集委員会/編 T682 /アワ2 /1-1A
相互貸借可
p113〜124(7枚)「土佐日記の旅」
【その他】
k.『木瓜の香り』森甚一郎/著 T204 /モリ /1A 相互貸借可
森甚五兵衛の子孫である著者の遺稿集で、森家のことが書かれています。
p3〜6(3枚)「森家の出自と家系」では、
板野郡沖野原「ここに移って諸国より浪士を集め城を修築して、
着々と海賊大将軍への地歩を固めていった。」としています。
p21〜35(8枚)「文久二年・阿波御水主分限帳」は、著者の家に残っていた分限帳です。
各々の、氏名、扶持方、支配高が記されていますが、出身地などは、わかりません。
l.『郷土研究発表会紀要 第21号 宍喰町及びその周辺』阿波学会/編 T204 /アワ /1-21A 相互貸借可
p151〜162「文化九年(1812)宍喰浦棟附帳」猪井達雄著
御蔵加子、安宅御水主の説明が詳しいです。
この資料は、徳島県立図書館ホームページで、全文を見ることができます。
当館トップページ下部「デジタルライブラリ」の「紀要」を、クリックしてください。
相互貸借可と書いた物は、相互貸借可能ですが、
国立国会図書館に所蔵されているものも、多いかと思われます。
他にみつけた資料を、ご紹介します。
【回答.阿波海岸の略奪の証拠文献について】
a.『阿波上代史』飯田義資/著 T209 /イイ /2 相互貸借不可
徳島新聞の連載を切り抜きしたもので、連載38(1枚)が「阿波の海賊」となっています。
「藤原氏の摂関政治が栄華奢侈(しゃし)にふけって堕落するに及んで、
東国に武士の勃興(ぼっこう)を促進し、西海に海賊の興起を誘発した。」としています。
海賊については、先のメールで紹介しました『三代実録』の他に、
『大日本史』の一条天皇の
源忠良が阿波の海賊を平定したことが記されているとしています。
b.『譯註大日本史 第2』徳川光圀/その他 210.1 /トク /2 相互貸借不可
p57(1枚)
c.『大日本史料 第2編之21』 東京大学史料編纂所/編纂 相互貸借不可
p905(1枚)
史料b,cは、おそらく、お住まいの地域の図書館にも、所蔵があると思われます。