『フィリピンの事典』同朋舎1992より
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「ガレオン貿易」
フィリピン史においてガレオン貿易とは、
マニラとアカプルコとの間で約250年間継続された、重商主義体制下の制限貿易を指す。
中国産生糸・絹織物やインド産綿布を中心とする東洋産物をマニラで中継輸出し、新大陸の銀を輸入することを主な内容とした。
淵源は、1565年、セブよりシナモンを舶載してメキシコに帰着したサン・ペドロ号にある。
1571年のマニラ市建設以降、多数の中国商船の来航を得て、この貿易は飛躍的に発展した。
1580年代以降には、スペインのアンダルシア地方の証人の新大陸市場における利益を保護するために、貿易額などに制限が課せられた。
この結果、貿易年額はマニラからの輸出が25万ペソ(1593年)までとされた。
以後、細部に変更はあったが、この貿易体制は定着し、フィリピン諸島におけるスペイン人の経済活動の大部分を占め、
諸島内の産業や資源開発には関心が払われなかった。
18世紀の半ばころより、イギリスなどの海上活動の活発化や、ヨーロッパにおける繊維工業の発展と新大陸における密貿易の進展もあり、
ガレオン貿易は衰退していった。
また、経済的自由主義の立場からも、この貿易体制に批判が集中し、1813年の勅令に従い、15年に廃止された。(菅谷成子)
(私注:1815年のガレオン貿易廃止は、「自由に貿易活動をするため」となっている。
つまり、ガレオン船に限らず、もっと多数の参加者を認めるため、なのである。
ということは、太平洋航路を行き交う船は、さらに増加したことが考えられる。
そして、メキシコが、スペインから独立する動きも活発化する。