頸(くび)
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以下は私の雑感である。
「頸を切る」という話は、高校で古文を勉強しなかった人や、歴史に全く深入りしなかった人には、
どっきりするテーマだと思うので、ここで一言。
ただし、素人の私の雑感なので、専門的な話ではない。
「頸を切る」話で、日本人の知識の初歩たるべく取り上げられているのが、
有名な『平家物語』の「敦盛(あつもり)最後」の段である。
しかし、私は教科書で見たような気がするのだが、参考書かもしれないので、
一般知識かどうかは判断しかねる。
とにかく、今井登志喜著を見る前、すでに高校時代に、
平家物語の敦盛の段で、頸を切る話が出てくるのは知っていた。
熊谷直実という武士が、弱冠17歳の平家の若武者を殺さざるを得なくなって、
泣く泣く頸を切り落とすという話だ。直実はこれをきっかけに出家する。
ちょっと古典文学の内容を知ろうと思って、あちこち読めば、これは有名な話なので、
知っている人は知っているだろうと思われる。
(『平家物語』では、頸を取る話はたくさん出てくる。
「首級を挙げる」で検索すると、「戦国時代に始まる」と出てくるが、大間違い。
また、「首級をあげる」で検索すると、「首狩り」の風習の項目が出てくるが、
「首狩り」は首そのものを集める風習であり、「首級を挙げる」の場合は階級上昇が目的だったので、
ネットでの用法は、言葉の使い方の大間違いである。 2012・11・26)
現代では何という野蛮な、という感想もあるかもしれないが
(原爆やクラスター弾で多数を殺傷するのは、野蛮ではないのか?)
戦闘での論功行賞の際に、
証拠の一つとして出されたものが、この頸らしい。
入り乱れ、見えない広い範囲で走り回り、そして戦闘が結局、どのようにして勝敗を決したのか、
それをどのように判断し、適切な論功行賞で公平に慰労するか、
これは、長にとって、非常に重要な問題である。
「首級を上げる」という言葉もあるが、これは辞書に寄れば、
中国の「秦」の法で、敵の首を一つ取れば階級が一つ上がった、ことによるそうだ。(広辞苑)
つまり、中国古代の「秦」の戦闘作法が、12世紀(1100年代)日本の戦闘でも、用いられていたということである。
そしてかなり長く続いた。
(中国本国、ヨーロッパや、その他の海外では、戦闘の論功行賞はどのように行ったのだろうか。)
この文書の「頸一つ」というのは、戦闘の大局にはあまり「関係がなさそう」だ。
しかしだからこそ、 「虚偽の可能性が少ない」、という意味で、
重要視されている。
そこに、注意しなければならない。
それにしても、頸一つに感状を発給する、文書システムがある、というのが、
私にはちょっとわからない。専門家の先生のお話を伺いたいところである。
右筆(文書担当者)が書いたもの、あるいは書きためてあったものに、
トップは花押だけ、という説明もあるが。