人体
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こういう世界では、人体は、膨大な数の細胞群の一集合形態であって、原子でできた分子構造物が絶えず出入りしている生命なのだ。
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高校の生物学と化学の知識を背景にすると、こういう認識は自然なものである。
近年は、テレビの科学番組や医学知識普及の場面で、よく出てくる。
ちなみに「人体の成分」というキーワードで検索したサイトから、一例引用させていただこう。
「 人間の体を作っている元素は全部で29種類あります。
人体の大部分は水ですから、
水素原子(H)が半分以上(60.3%)を占め、次いで酸素分子(O)が25%、
炭素分子が10.5%、窒素分子(N)が2.4%と、
この4種類の元素で98.9%を占めます。」
この調子の話は世の中にあふれている。
動物の多くは有性生殖で、最初は一個の受精卵から出発して、細胞分裂を繰り返して成長する。
外界の物質を体内に取り込んで消化吸収し、不要なものは体外に排出し、その過程で自分の体を成長させ、あるいは恒常的に維持する。
人体は独立個体である以上、社会の基本単位であることは間違いないが、
人文科学分野で人間を「原子」になぞらえるのは、この日常からすると、なんと非常識かと思う。
ましてや、物理でいう「原子」というのは、学校物理では、人間とはかけ離れたイメージである。
哲学で分割できない最小単位という意味があった、という背景を聞かされなければ、意味不明になる。
だれもが中学・高校の「自然科学」で「原子」を勉強するのに、
「人間」のあり方のたとえに使うのは、具合が悪いのではないだろうか。
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私は一個の受精卵だった。
どっこいしょと、最初の細胞分裂を実行した。
それからどんどん細胞分裂して、栄養を吸収して、なにやら複雑な器官を持った生物に成長した。
最初の一個からすると、この膨大な細胞群の中で、私はどこにいるの?
大事なのは心臓かな?違う。どきどきしてるけど、その周りにある肉や骨や手足や目鼻がないと、私ではない。
では脳かな?違うな。目や体がないと、感じることができない。感じる体がないと、脳だけでは私にはなれない。
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最後のこの文章だけを心理学の心得のある人に読んでもらうと、
一個の受精卵では「私」という意識が発生するわけがないのだから、
こういう発想はそもそもおかしいのです、なんて言われたりする。
軽いからかい・あげあし取り、ジョークのつもりかもしれませんが、
私のような素人の立場で発言する者には、きわめて攻撃力のあるものになります。
マジにそのまま受け止めて、この人(私)は馬鹿なのね、
偉い先生が言うのだから、「この人」は無視すべし、あるいは、
発言者本人に対する、発言者が説明方法を欠くことによっての、自制による発言封じ、
という反応を呼び起こすのです。
そこで説明しておきますが、上記の私の発言は、物質的な塊としての「私」の成長に力点があるのです。
「意識する『私』」の発生に重心があるわけではありません。
心理学では「意識する『私』」の発生しか問題にしません。
私は、宇宙から見た地球世界、そこに生まれた体組織を持つ物質的な塊としての人体、
人体特有の体センサーによって内世界を構築する人間、
それを各人に、イメージとして確かなものにしておいてほしい、
そういう意味で書いています。