昆虫や動物の認識

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 例えば机や貨幣という考えは、人間の見方が入っている。
人間から見て机や貨幣だったとしても、「そのような用途を必要としないアリの認識には、そんな区別はないだろう。」

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「」内について。

これは、昆虫学者や動物学者の感じ方などにも見られると思う。

昆虫の目の構造は人間と違うので、昆虫の目に写る世界は人間と同じではないだろう、
そしてこの小さな体で世界を認識するとはどういうことか、とか、

犬は、目は人間に劣るけれども、嗅覚は鋭い、その犬の五官で感覚する世界はどのようなものか、とか、

そういう考え方である。

マンガやお話などで、昆虫や動物が擬人化された話がよくある。

たとえばイソップに出てくるアリとキリギリス、
あるいは3匹の子豚、赤頭巾ちゃん、
みなしごハッチ(昔のテレビまんが)、など、すべてそうだが、

そういう「たとえ」のことではない。

昆虫や動物は、すべて人間の体とは全く違った構造を持っていて、その体で認識するから、
その見える(認識する)世界は、人間と同じではない。

従って、認識世界の違いに重点を置けば、「人間と他の生物は、全く別の世界を生きているのだ」
というような表現も可能ではあるが、

体で生きている世界については、この地球世界が別々のものである、というわけではないのは、明らかである。