第二節:時間的空間的な史料の発生経過による分類

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 次は、史料の種類を、時間的空間的な発生経過を追って考えてみよう。


  1のA、 事件・事実の当時その場当事者が、各自、自ら作った史料
        (例えば、「遺物」としては、足跡・血痕・指紋、作業の痕跡。
         あるいは言語表現による史料(証言)としては、連絡・指示のための手紙、事務的な記録、備忘のためのメモ・日記等。)
   
  1のB、 1が成立するための前提条項
        当該事件の時代や事実について、それが有りうる範囲内であるということを保証するもの。

           (当時の人々が残した、生活・慣習・制度・思考の、痕跡や記録のうち、
            当該事件について、時間や場所や内容の蓋然性を証明するのに役立つもの。

           また、紙質・墨色、筆跡・書体、文章形式、言葉、印章など、時代性を示すもの全般。
           物品の製作技術の傾向・度合いや材料で、時代性を示すもの。           

            あるいは、自然世界で有り得る範囲かどうか、
            地理、地形、地質、気象などの自然条件に合うかどうか。

            また、全体の歴史。全体の人間関係。)

  2、 時間や場所が隔たっているが、当事者が自ら作った史料。普通の覚書や記録の類。
      
  3、 1と2を根拠として、それらを関連付けてまとめたもの。各々の当事者系譜の家譜・伝記・覚書など。

  4、 それらを参考にしつつ書かれたもの。
     A、道徳的感化や芸術的効果、教訓や娯楽を目的に書かれた物語や小説。
     B、意図的な宣伝目的を持つ文献。
     C、公平を目指して?編纂された歴史書
     など。


  1のBのような、「当事者史料の前提条項」のように、
  それ自体では史実に利害関係などないものもあるが、
  大抵は、史実には、立場によって利害関係が発生する。
  それゆえに、史料の背後にある人間関係も重要になってくる。

例えば、林屋辰三郎氏発見の、1445年の「兵庫北関入船納帳」というのは、「1のA」である。

大冊であって、複数の筆跡を含み、複製や改ざんは困難である。
また作成者たち自身は、書かれた対象(入港する船の関係者)に対して、特定の人や集団の利益を代表するようなことはない。

しかし、戦いでの働きぶりを認定する短い文書などになると、とたんに偽文書が増えてくるらしい。

個人や集団の利害に関係する文書は、
当事者の作成とされていても、あるいは逆に、当事者が作成したとされるがゆえに、
むしろ信用できなくなることも多い。

利害を左右するとなると、これら当事者による情報は、時によっては捏造や虚偽も出てくる。
そのために、それが実物かどうか、内容は真実を反映しているか、
常に慎重な判断が求められる。

証拠となる痕跡や遺物、文献や絵画・写真等が「実物かどうか」を判断するのに必要なのは「1のB」である。

実物でないものは、意図的な偽作・贋作・捏造である。

しかし、実物ではあるものの、認定した時代や、関係する人物を間違っているという、錯誤の類であることもある。



私注:

 史料の発生経過というのは、今井著では、坪井博士が述べた史料の等級というところで、等級という形で出てくるだけである。

しかしながら、坪井博士が時間的・空間的に順序を追って等級を付けられたので、
時間的・空間的な発生順序というものが想定できる、ことに、気づくことができた。

今井著も、実例解説の部分では、結局同じことをしている。

私が、なぜこの史料の発生順序を特に取り出したかというと、昭和46年版『海部町史』に、
1575年の阿波海部の出来事を書くのに、1708年に土佐で書かれた『土佐物語』が、そのまま丸ごと、引用文として出てくるからである。

 史料が見つからなければ、古い文献なら、とりあえず何でもいいんじゃないの?
みたいな感覚が垣間見えるような気がする。

 それはしかも、司馬遼太郎氏の、長宗我部元親が主人公の『夏草の賦』でも同じであるし、
最近に至るまで、この、1575年頃の出来事を、1708年の『土佐物語』によって書く、という傾向は、
歴史家の間でも変らなかった。

 理由の一つには、史実認定に関する理論的な説明というものが、市販文献としては、存在しないことがあると思う。

 一般の人が、一目で、この本の史料の使い方はおかしい、と判断できるならば、
これらの説明は、淘汰されるはずである。また、流通することは、なくなるだろう。

 そのためには、史料の発生モデルがあった方が良い。あれば、理解と判断が簡単になるはず、と考えた。
 

  また、上記の説明には、今井著・実例に出てきた、離れた場所での同時代人の伝聞の記録というものがないが、
実際にはそのような記録も存在する。そして、今井著・補正に出てきて今井の理解を逆転させた訴訟文もこれである。
よって、このモデルは、補足が必要である。

 また、1のB「当事者史料の前提条項」は、元来、すべての史料の前提条項であるはずだが、
ここでは発生の時点にこだわったので、1のAについての、蓋然性の保証、ということにしてある。

 それに、普通は、4のA・Bというようなものは、史料とは呼ばない。

しかし情報かく乱の要素を構成する文献であって、
それ自体が、社会全体の当該事件に関する見方を生み出す。
だから、
「歴史事象の存在を考察するのに役立つ文献 」
と言う意味で、史料に含めている。