秦郁彦『南京事件』中公新書
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第十章 南京事件論争史(下)
〔仁義なき泥仕合へ〕(p280)
第二次論争後半は3派の泥仕合。
研究家たちは、先入観に沿う方向で取材したり、史料を読み込んだりする傾向があった。
例:阿羅健一『聞き書き 南京事件』(1987)
現場にいた陸軍将校など66人からのヒアリング。兵士からはなし。ほぼ全員がシロ証言。
(本HP管理者注:何十年もたっていて、騒ぎの渦中の制限証言ではあるが、一応現場証言。)
著者(秦)は調査中に元兵士二人に出会い、「井家又一日記」「水谷荘日記」を手に入れる。(偕行社『南京戦史資料集』1989に収録)
(2006年、NHKが「日中戦争」の番組制作の際に、小西与三松・鍋島作二の、日記と証言を発掘紹介)
「大虐殺派」は、被害者の言い分を尊重するあまり、誇張・不自然な数字や描写を検証抜きで受け入れる傾向が強い。
商業ジャーナリズムの煽り。関連著作は100冊を超え、「南京産業」とからかわれ。しかしほとんど国内消費。
原理主義的傾向さえ見られる、建前上の論議に終始。リング場外の乱闘になりがち。
〔副産物としての珍事件〕(p283)
1、教科書誤報事件の波紋
1982年6月、高校教科書が「侵略」から「進出」に書きかえられた、と新聞が誤報
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中国・韓国、モスクワ放送までが「歴史の偽造」として対日批判に乗り出す。
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1982年8月、日本政府「宮沢官房長官談話」の形式で約束
*いわゆる「近隣諸国条項」 近隣のアジア諸国との間の近現代の歴史的事象の扱いに
国際理解と国際協調の見地から必要な配慮がなされていること
11項目については検定意見をつけない。
@侵略の表現 A南京事件 B強制連行 C沖縄戦 など
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1983年度検定から教科書の南京事件の記述が詳しくなり、10万・20万・30万以上という被害者数を記すものが増えた。
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日教組84年版白書が「アウシュビッツ=ナンキン=ヒロシマ」と位置づけ、南京を書くのは「絶対条件」と注文、過激化、偏向化。
2、田中正明の松井日記改竄事件
1985年11月、板倉由明が「松井石根大将『陣中日記』改竄の怪」〔『歴史と人物』(85年冬号)〕を発表。
松井日記(自衛隊板妻駐屯地資料館保管)の田中判読本を、批判。
田中が行った改竄(南京虐殺否定の方向へ、900ヶ所以上の削除・加筆・誤記・文章移動など)を指摘。
3、『朝日新聞』と都城連隊戦友会の苦い対決
宇和田弥一日記をめぐる、朝日新聞と都城歩兵23連隊戦友会(宮崎)との戦い
〔国際化の時代へ〕(p291)
南京事件論争史第3期(1997年)アイリス・チャンとラーベの著作をめぐる論議が盛り上がる。
(欧米諸国と中国を巻き込む国際的性格)
中国系アメリカ人の反日組織アライアンス、ラーベ日記を発掘。南京事件60周年を、以下の3点セット構想で盛り上げ。
1、英・独・中・日での出版計画を斡旋。
2、日記をアイリス・チャンに提供。
3、南京・東京・カリフォルニア・プリンストンなど世界各地でのシンポジウム。
ラーベ、「中国の申し立てでは被害は10万人だが、われわれ外国人は5万から6万と見ている」(ヒトラー総統あて上申書)
チャン、30万人以上を主張。ーーーこのかなりのギャップに、当惑広がる。
中国は、この頃から、30万という公定解釈に一切の妥協を許さない、きびしい態度を貫くようになる。
大虐殺派、犠牲者は20万人を下まわるという共通理解にトーンダウン。中国との溝を深める。
〔「つくる会」教科書の登場〕(p295)
1982年「近隣諸国条項」以来、左傾化を強めた教科書
文部省検定から(非公式の)日教組検定に転換(上杉千年・『日本「南京」学会報』第12号)
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例:84年度東京書籍:
「ナンキンを占領した日本軍は、数週間のあいだに、市街地の内外で多くの中国人を殺害した。
その死者の数は、婦女子をふくめ一般市民だけで7〜8万、武器を捨てた兵士をふくめると、20万以上ともいわれる。
また中国では、この殺害による犠牲者を、戦死者をふくめ、30万以上とみている。」
1997年〜2001年、中学歴史教科書7社の内6社が「虐殺人数」を明示。
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1995年、藤岡信勝、自由主義史観研究会を設立。
1996年、「新しい歴史教科書をつくる会」(初代会長・西尾幹二)結成。
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2001年、「つくる会」教科書、文部省による137ヶ所の修正を受けて検定に合格。
中韓両国を含む内外の猛烈な採択阻止運動。採択率0.04パーセント。
その一方、中韓両国の歴史教科書における反日的記述が反発を買う。
中国「教師指導本」: 「教師は教室において、日本軍の南京における暴行を記した本文を熟読させ、
生徒をして、日本帝国主義に対する深い恨みを植えつけるようにしなければならない」
日本では、2002年から、犠牲者数の記述は8社の内2社に減。全体にトーンダウン傾向。
2003年度山川高校日本史教科書にて、加藤陽子、犠牲者数を「数万から40万人」と前例のない数字に書き換え
〔「やらせ」の残虐写真〕(p299)
2000年、「日本〈南京〉学会」誕生。(初代会長・東中野修道)
大虐殺派や中国への対抗意識が強い、戦闘的な運動家や局所に熱中するマニアが多い。
南京事件生き残りの語り部をニセ被害者と呼んで訴訟問題を引き起こす
(日本側が敗訴した李秀英ケース・夏淑琴ケース)
実証面を重視する会員による、新資料の発掘、データベース分析の導入、写真の検証作業。
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1、国民党中央宣伝部の役割(第9章紹介のティンパーリーとの関係について、北村稔の研究)
2、虐殺写真の検証:『南京事件「証拠写真」を検証する』2005
写真マニアたちによる
「写された影の長さを計測して季節を特定し、
関連刊行物との照合によって写真の初出を突き止める」式の手法が成功。
『レイプオブ南京』収録の残虐写真10枚の内、9枚が実写ではないことが突き止められた。
*作業中に台湾で「撮影課工作概況」(国民党中央宣伝部国際宣伝処)の文書を発見。
1938年春に始まった、プロパガンダ写真を作る大がかりな撮影工作。
3、データベースによる解明
乱立した内外諸情報を、争点別にデータベース化して再検分 (冨沢繁信『南京事件の核心』2003)
中国軍実施の清野作戦(焼却、破壊など)に関する海外報道が38件、ラーベ日記に16件、
中国便衣兵などの難民区への潜伏を報じる外国文献が75件ある。
難民区の公私にわたる記録を足し合わせた殺人は、二ヶ月間で94件(うち目撃2)、
強姦は、243件(うち目撃17)
ティンパーリーの記述は誇大
〔東史郎と百人斬り裁判〕(p303)
2000年前後から、中国と、従来の大虐殺派との間に、溝が発生。
原因:この派の研究者たち(南京事件調査委員会)が、かつての「20万以上」から「20万以下」に切り下げたこと
彼らがアイリス・チャンや後述の東史郎、松岡環ら最左派に、批判的立場をとったこと
2003年、南京虐殺記念館入場無料。→最近の入場者数は年間220万人を超えた。
抗日戦争関連の戦争博物館は中国全土に220ヶ所。南京には2007年に「南京民間抗日戦争史料陳列館」新設。
資金面を含め、協賛している日本の親中グループの活動について(時沢和男『正論』2004年11月号)
記念館から表彰 04年 松岡環(南京大虐殺六〇ヵ年全国連絡会代表)(大阪の小学校教師)
06年 本多勝一・故洞富雄
1、東史郎と郵便袋裁判
マスコミや運動体に担がれて、不正確かつ誇大に罪行を告発する例
告発された元上官が勝訴。郵便袋による殺害は物理的に不可能、日記も数年後に書いたものとして、名誉毀損が成立。
2、百人斬り裁判
二少尉の遺族が、名誉毀損で毎日・朝日・本多らを提訴。原告の請求棄却。
〔南京守兵数からの再計算〕(p308)
略
〔残された論点〕(p313)
p318、中国政府は物理的に不能な構図や計数でも、宣伝と割り切ってか、平然と突きつけてくる例が多い。
展望(p319)
略