秦郁彦『南京事件ー虐殺の構造・増補版』中公新書2007年

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秦著の中で、南京事件に関する情報の、初出から現代までと、それに関連する論争史の部分、
1・2・9・10章の要点を、レジュメ化することにした。

情報がどのような状況から出てきたのか、それを押さえておくことも大事である。



第1章    ジャーナリストの見聞

第2章    東京裁判




第9章    南京事件論争史(上)

第10章    南京事件論争史(下)



尖閣諸島問題の緊張感が、私を「史料批判の要諦」作成に向かわせた。
そしてその要諦を考えていた時、それがどのように実践できるか、考える必要を感じた。

そこでふと、論争の激しかった「南京事件」のことを思い出し、図書館に行ってみたら、
たまたまその図書館にあったのが、秦郁彦著『南京事件ー虐殺の構造・増補版』であった。

読んでみて、そこで仰天した。

どうも史料として使われている文書の内容が、何だかおかしい。

それに、兵隊さんが戦争で駆け回りながら書いた日記って、どれほどの走り書きだろう、
と、思って見た「井家又一日記」が、

自分が持っていた、昭和10年平凡社『手紙講座』全8巻・手書き実例170篇、の知識から考えても、想像もできないような、
清書したような文字、画数の多い難しい数字、草書、変体がな、なのだ。ペン字のように見えたのも変だった。

これはニセモノに違いない。そう思って活動を始めたのが2010年の9月末だった。

史料・情報は、ある状況の中から出てくる。
偶然の発見ということもあるが、状況というものが、情報の出現をうながすこともある。

その出現をうながした状況の中に、どのような要素がどれくらいあるのか。

史料は、それらを考えながら見る必要があるだろう。

その意味では、この手軽な新書版から手に入れることができるものも、多いと考える。

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10章要約からわかるように、「井家又一日記」は、秦氏が調査中に、
二人の元兵士に出会って渡されたものの一つである。

「井家又一日記」がニセモノなら、もう一つの日記もニセモノだろうし、
二人が元兵士というのもウソだろう、ということになる。

そして、秦氏は手にとって、全く疑わなかったらしいことから、
日記の外見は、疑いようもないくらいに古びて見えて、
二人の元兵士も、疑うに至るほどの不審さはなかったらしい。

その日記の文章写真は、1986年2月に新書に掲載されてから多くの人の目に触れたが、
誰にもその奇妙さを指摘されなかったらしい。

また、偕行社『南京戦史資料集』に掲載の運びとなった1989年にも、
手書き日記から解読されて出版原稿に起こされた時点でも、誰にもその奇妙さを指摘されていない。

「井家又一日記」の奇妙さが見過ごされてきたその背景には、何があるのか。

秦氏は、虐殺数4万と言っているところからすると、虐殺があった証拠を探していたひとりなのだろう。

元兵士たちを見て、実物です、と言って手渡された古ぼけた日記の奇妙さに気がつくほど、
戦前の日本兵の日記や、日本人の文字使いには、詳しくなかった?

読めない字を見たとたんに、誰かに読んでもらおうと思って、自分はそのまましまってしまった?

草書や変体がなを解読した人物は、ペン字で丁寧に書いてある戦場日記の奇妙さ、
画数の多い数字や、草書や変体がなを書く兵士の奇妙さについて、何も言わなかった?
「捕獲」の用語や「いる」の奇妙さについても、何も言わなかった。?

この、解読者で気がつかないはずはないだろう、と思われるようなことで、
何も言わなかった、そういう人物もいた、ということが問題だと思う。

なぜなら、偕行社『南京戦史資料集』だけでも、18篇の日記が収められているが、そのうちの1篇がそういう状態であるならば、
他の17篇について、この人物がどうして問題点を指摘するだろうか。
問題があっても、指摘されなかった日記が、他にもある可能性が高くなる。

日記の判読が苦手な人たちは、活字になったのを見て、何だか妙な文章だなあと思いつつ、
第1級の史料です、と言われれば、それを証拠に史実を考えるしかない、みたいな雰囲気になってしまう?

現代史をやっている人たちは、日本の古い時代のくずし字よりは、
中国語や英語など、外国語が堪能である方が、研究を進めやすい、と言われた?

明治以前の文字や文章の知識が、学校で扱われないために、
その複雑難解さに、ついて行けない学生が多い。また、研究も深化しない。

江戸時代から戦後にいたるまでの、文字や文章の変化が、
研究者の手によっては、まとめられていない。教育方法も研究されていない。

中国やアメリカに、捏造の動機があるかもしれない、ということを、深くは考えなかった。
スパイ暗躍なんて、想像を絶した。

歴史学において、史料批判の内容を説明する本が、消えている。
(あっては不都合だと考える勢力があるからかもしれない。)

このことから、歴史学者自身から、常に偽作の可能性を考える必要がある、という心構えが、どこかへ行ってしまっている。

等々、わからなかった理由というのは、いろいろ想像できる。あくまでも想像ではあるが。私はそう考える。


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ここに抜き書きしたレジュメは、「井家又一日記」がニセモノである可能性を考えあわせると、
以下のような、まるでどこかで見た、反中国宣伝みたいなことを連想させる。

中国は、スパイを操って日本で活動させ、情報操作に関与し、
日本から自信を奪い、卑下させ、
日本国内を分裂させ、

日本から資金や技術を巻き上げ、

自国民や世界に向かっては、日本残虐民族というレッテルを貼り付けて、
日本をたたきのめす、

そういう国家的な政略でもあるのだろうか、と、思わせるに足るだけの、

南京事件をめぐっての、事の経過を、
あらまし書いてくれているように思う、のである。

秦氏は、ご自分では、中国国民に心からお詫びしたい、
と書いた部分もそのままにしておられるので、

私が、1・2・9・10だけを要約して書く感想は、
秦氏の真意からはそれるかもしれない。

しかし、1・2・9・10だけを書き出すと、そうなのかも、と思えてくる。

どこかで見た反中国宣伝は、それだけでは内容がないけれど、
秦著の要約の部分だけで、見ているとそんな気がしてくるのだ。