蜂須賀 旧家臣団

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私がこういう想定をする理由。

改ざん・削除事例が学会の上層部関係にあって、
特に阿波「海部」が対象であること。

 (延々と海部が標的にされていると考えるとわかりやすいし、

  江戸時代の権力意識で考えれば、海部を抹消して叩き潰すことは、
  何も悪くない、と思うかもしれない人々。)

   「海陽町歴史記述の問題点」
   http://1st.geocities.jp/rekisironnsyuu/rekisi.ime-jiup.html

○児玉幸多『日本交通史』の兵庫北関入船納帖の港の地図からの削除。
   出版社に質問したところ、執筆者が削除したのだから、わが社には責任はない、
   という、高圧的な対応だった。

  (歴史学関係の老舗出版社で、『古文書学会』誌を出している吉川弘文館である。
   史実の歪曲を掲載した本を出しても、関係ないと突っぱねるのは、普通ではないと思う)
   
 しかし、兵庫北関入船納帖で「卒論」をお書きになった皇太子殿下の、
目に付きやすい所から、抹消しようという意図が感じられるではないか。

児玉幸多氏は、皇太子殿下の指導にあたられた方である。

執筆者は別の方だが、一人でここまでむき出しの削除なんて、
良心があれば、到底できない。

私は、児玉幸多氏からの削除の指示があったか、
蜂須賀旧家臣団からの指示があったか、ではないかと考える。

非常に学会でも高い地位にある人々に接触できる、専門家を擁した人々で、
「海部を消したい」人たちがいるのだろうと思えば、蜂須賀旧家臣団の上層部だろうと思うのだ。

江戸時代の阿波藩古文書が読める人たちである。


○『足利一門守護発展史の研究』小川信著・吉川弘文館の改ざんも、
指示されたのなら、高度に専門的過ぎる。

○『徳島県の歴史』山川出版社・2007年p96
   1392年『相国寺供養記』の管領細川頼元の随兵の順序で、海部の格下げという例でも、
   非常に微妙で高度に専門的である。

○今谷明氏の『戦国三好一族』でも、略奪を生業とする海部沿岸の住民、と出てくるし、

その他、歪曲事例は、個々の先生たちには些細なこと(全体の1・2箇所)ですむから、
大したことはないのかもしれない。

しかし、「海部を標的としている」という視点で見れば、それは「巨大で長期に渡る陰謀」である。
1708年の『土佐物語』から陰謀が始まっているとすれば、長大な陰謀である。

『土佐物語』を確認したわけではないのだが、『土佐物語』を頼りに、
司馬遼太郎氏が『夏草の賦』という長宗我部元親が主人公の小説を書いたのだとすれば、

『土佐物語』には、「室町時代の阿波国人と細川氏」の関係が全く出てこない、
応仁の乱後の「阿波細川氏と阿波の国人の活動」も、全く出てこない、

「三好長慶」も完全に無い、だから、

司馬氏の本からも、完全に抜けているのだろう、という推測になる。

どうして司馬氏は、応仁の乱とか、細川氏の争いとか、三好長慶を書かなかったのでしょう。


☆それから、「方法論の知識を流通させたくない勢力」がいるおかげで生じている問題がある。
「今井登志喜の史料批判」を、抹消したい勢力である。

左派歴史の中枢を牛耳った南京大虐殺宣伝隊と、右派の天皇擁護派隊である。

知らされない人たちは、古文書や漢文が読めることだけを頼りに、あっちの文献ではこう、
こっちの文献ではこう書いてあるから、多分こんなことだろう、
というやり方で歴史を書く。

頼りにした文献が確かなものならそれで良いけれど、
歪曲が入ったものも、そのまま使って良しとする傾向がある。

こういう人たちが海部を扱うと、歪曲をそのまま受け入れて宣伝することになる。