ペン字

                                                     秦著『南京事件』レジュメ目次へ戻る


2010年9月以降、「井家又一日記」ニセモノ疑惑をあちこち持ちかけているうちに、
ペン字に関しても、若い世代の方と、大きな認識の差があるのに気がついた。

私は小学校のころに、つけペンで字を書いたことがある。
万年筆は、大学入学時に、カートリッジ式のものを入学祝いににいただいたことがある。

手紙や履歴書は、ボールペンや鉛筆はいけない。
万年筆かペン(つけペン)で書くのが正式だ、と、教えられた世代である。

つけペンは、ペン先を軸に差し込んで、インク瓶のインクをつけて書くものである。
小学生の印象では、鉛筆に比べると、頑丈さがなくて、不安なここちがしたものだ。

万年筆はつけペンよりはましだったが、やはり頑丈には程遠い。

正式にはペン、などという束縛がなくなって以降、ボールペン万能時代がやってきた。

しかし今回、若い方の意見を聞くまで、ペン字がどのようなものか、説明する必要がある時代になっているのだ、
なんて、思いもよらなかった。


その方は、私が、兵士が戦場でペンで字を書くのはおかしい、と言ったことに対して、
護国神社にはペン字がたくさん納められている、だから、戦場でペン字を書くのは、何も珍しいことではない、
と言うのだ。

(だから偽作日記の作者もペン字なのだろうか?)

護国神社にあるのは、手紙か遺書か、あて先のある文書であって、
戦場でも、時間や状況にゆとりがある頃に、ゆとりがある場所で書かれたものではないかと思われる。

一般兵士で、自分用の日記に、戦場でペンを使う人は、滅多にいないだろう。というよりは、私は、絶対いないと考える。

しかし、ペン字で書かれた日記であることを理由に、これまで、これはおかしい、と、疑った人がいないのが気になる。


私より上の世代でも、解読や編集にかかわるような文化人や元上層兵士は、
万年筆なんか、普段に使う普通の筆記具、というより、命より大事な道具であって、
ペン携帯は自分では普通、という認識でいた、のだろうか。

それにしては、解読に関わった元上層兵士は、戦場体験者としては、おかしいような気がする。
一般兵士が、戦場で、ペンで日記を書くことが、よくあったかどうか、そのあたりを、間違うはずはないだろう。

石川達三『生きている兵隊』にも、日記を書く兵士の話が出てくるが、この場合は「鉛筆」と、はっきり書いてある。

イーストウッド監督の映画『硫黄島からの手紙』でも、一般兵士が日記を書いている瞬間が映るが、これは鉛筆である。
手紙は何で書いていたのか、忘れた。
栗林中将は、机に向かって、付けペンで手紙を書いていた。考証だとこうなる、ということだろう。

私のような戦場未経験者が、戦場ペン字日記はおかしいというのも変だが、
でも、下記の戦場体験者は、おかしい、と言っている。

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ペン書きについては
宇和田弥一日記の記事を載せた朝日新聞に対して、
宇和田が所属していた都城連隊の抗議が、ネットにある。
「朝日新聞との戦い」

(1部抜粋)
昭和59年。(1984年)
連隊会「それはおかしいではないか。
戦争をしている兵隊が毎日毎日、日記がつけられると思いますか!

それに鉛筆書きならいざしらず、インクとは恐れいった。
当時は、ペン書きするにはインク瓶からスポイトでインクを補充せねばならない時代だが、
戦場へインク瓶を携行するなど考えられない。

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