藤原彰氏と『南京戦史資料集』

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以下はまだ仮説である。

秦郁彦氏は、かなりの確立で中国系譜であるニセ文書が1点、
日本の近現代史研究者を目当てにして、持ち込まれていることを知った。

しかし、そういう可能性がある、ということを思い付く人が、出てこないように、
行動している。

秦氏は、草書変体仮名の読み手としては年が若く、米国留学経験者という経歴の上でも、
井家又一日記の解読責任者になるわけにはいかない。

だから、井家又一日記を、偕行社『南京戦史資料集』(1989年)に掲載するために、
それを解読して「現代表記の原稿を作った人物」が別にいて、

その人物もまた、「中国系譜のニセ文書が、近現代史研究者向けに流れている」ことを、
知っていて隠したのである。

「偕行社」は、旧陸軍将校たちの親睦・互助・学術研究組織である。

しかし、「中国系譜のニセ文書が、近現代史研究者向けに流れている」ことを隠す、
戦史関係者を抱えていたことになる。

偕行社を代表する戦史研究者の一人でなくてはならないだろう。
つまり元将校の類の人物である。藤原彰氏は怪しいのではないだろうか。

偕行社は、1983年に、発行する雑誌『偕行』で、会員に対して、
南京事件に関する情報提供を呼びかけた。

ところが、「大虐殺はあった」という情報がかなり寄せられた。

  *参考:秦郁彦『南京事件』レジュメ、下の方の1982年以降の流れ
      http://1st.geocities.jp/rekisironnsyuu/hata.nannkinnjikenn.tyuukousinnsyo.9.html

1989年に、偕行社が『南京戦史資料集』を発行するまでの間に、
秦氏や、この偕行社の内部研究者によって、

     「ニセ文書が中国から来ている可能性がある」

という警告が発せられてもおかしくない状況だった。

しかし事実は逆に、収集された日記類を含む資料は、「これこそ確実な資料群」、
とばかりに、多くの研究者に引用される、重要文献となった。それが『南京戦史資料集』である。

『南京戦史資料集』を疑おうとしない研究者にまで、これをどう思い、経過をどう思っているのか、
対象範囲を広げたらどうなるのだろうか。

*****
1983年の偕行社の呼びかけで集まってきた日記や手記の類は、
現物はどのような物だったのだろうか。

『偕行』編集部の人たちは、自分の目で、しっかり現物を読んだのだろうか。
それとも、活字になった段階で目を通したのだろうか。

現物に読めない文字があれば、解読の熟練者に頼むしかない。

ただでさえ手書きは読みにくいだろうに、それが大量となると、
どこまで関わっただろう。

読みにくいだろうから、君たちは活字になってから読めばよい、
と、元陸軍の上級将校で、研究者として比類なき肩書きを持つ人物に言われれば、

編集部は、活字になってから見た、という可能性もあるのではないだろうか。

それとも、編集部も関わっていたのだろうか。

****
偕行社は、実在の人物名簿と照合し、その実在の人物が出したかどうか、
確認しただろうか。

その実在の人物に、確かに日記や証言記録を偕行社に送ったかどうか、
確認のための問い合わせを出して、本人との照合をしただろうか。

それとも、身辺安全のためと言って、匿名を条件に送ってきていて、
実際はどこの誰が書いたものか、全く確認できていないものなのか。

私が知っているのは、資料集を使う研究者が、そこまで配慮した、
という説明をしてこなかったことである。