ヴィジャロボス探検隊・ポルトガルとのにらみあい(伊東章『マニラ航路のガレオン船』鳥影社2008年より)
                                      伊藤著・ヴィジャロボス探検隊へ戻る

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ポルトガルとのにらみあい

(8月29日、つまりミンダナオの水田襲撃、住民の裏切りに対する復讐のため?兵を派遣して3日後)

ポルトガル人カストロは、
「テルナテ砦、モルッカ諸島、バンダ島、ボルネオ島、ミンダナオ島」
の隊長として、ヴィジャロボスに勧告する。

  「セレベス、パプア、ニューギニア、もポルトガルに帰属する。
  30年以内はモルッカ諸島の議論は話題にしないと両国間の協約に謳われてから、    (私注:協約:1529年サラゴサ条約)
  まだ14,5年しか経過していない。

  いかなる他のキリスト教徒君主も、規則によって行動し、それによればまず占有ありきで、領有には入らなかった。

  だから貴下の船隊はスペイン国王陛下から派遣されてきたのではないか。

  あるいはこの方面へ自由に立ち入れる、航路はずれか、
  でなければならない。

  閣下が信頼にたる本物の協約文書を示せば、その点が一目瞭然となるから、
  取引や破廉恥を行わずに、幸せに戻って遠ざかるように」

  「(貴下の兵士が?)ミンダナオ島に着いたが、破壊し、焼いて歩いて大勢の者を捕らえ、
  すべては神とわれらの主君ポルトガル国王への奉仕に反し、

  汝がした悪行と被害を、われわれが払わなければならない。

  このあたりにはムーア人の土地などもうなく、多くの人間がキリスト教へ改宗し、
  キリスト教徒になって5年ほどになり、カトリック教を広める大義も不要である。

  為す義務があるから、1度、2度、3度、権利上すべき回数を勧告し、
  両国王の前へ提出できるように、書類を私に渡す命令をする」

ヴィジャロボスはこれに対し、

 「サランガン島にいるのは、
 スペイン国王陛下と国の諸規定の、境界線内の土地を発見し、
 モルッカ諸島には入らないように、という命令を受けたためである。

 『スペイン国王陛下の境界線内ではない』という理由での妨害は認めない」、

とヴィジャロボスは回答した。さらに

 原住民へある程度の被害はあったが、裏切りには何らかの処罰が当然だ。
 いっさい破壊などはしておらず、むしろ保存し、国王からよき扱いをするように命じられている。

 この土地は糧食がなく、船舶を修繕して、モルッカ諸島から遠い、この一帯外の、他の場所を探すつもりである。
 貴下が私へ抗議するすべてに抗弁する」

と撥ねつけた。

  モルッカ諸島は丁子の島に限定すべきではなく、すべてがモルッカ諸島と名づけられ、
  モルッカ諸島のミンダナオ島にいるとして、

再び9月2日付けカストロは、2隻のパラウ船に抗議の勧告文を持参させている。

 「皇帝陛下と、われらが主君ポルトガル国王の名で、この島嶼と列島を我が所持し、平和裏に統治している
 と、フィリピン諸島全体からの退去を迫ったのである。

 遭難、何かの不足、海上の嵐で入ったのであれば、砦で貴下と要員の保護をするし、救援と供与のため
 メキシコへ船を出したいのなら、その確証の提出をするようにと、執拗に求めている。

 私は貴下へ奉仕する多大の義務がある一方、勧告への同意を望まなければ、要員に何かが起こって
 何らかの被害を蒙るから、すべきでなく、陛下の境界線内にない場所と承知で、

 探索はフスタ船の行状で明らかである。島には多数の死体しかなく、原住民がもどりたがらないのは、
 彼らのせいにしている被害も、否定しないで逆に白状していることになる。

 指示した書類を提出し、これ以上被害を与えずに立ち去るのなら、船隊をわれらのごとくしかるべく、
 糧食、必要品を供与するし、船舶修理の手助けもする意向である。」

しかし9月12日付けで、ヴィジャロボスは、このカストロの勧告を撥ね付けた。

 「最初の勧告で返事をした回答を確認し、陛下に代わってこれらモルッカの全島、
 モルッカのもっと先までも所有する」

と回答したのである。

 「航海で立ち寄って金で糧食が与えられるのは当然で、通過してかかる地方が国王のものになるのなら、
 全世界が1君主のものとなり、そうした論理は笑止千万である。

 アルメイダへ船隊を見せなかったのは、自分の弟にも見せないのと同じで、
 あなたの書簡で丁寧な言葉を使ったのは気遣いとお世辞で、 本当は慣れていない、

 ポルトガル国王は陛下の兄弟で、両君主が処理するように処理し、
 別途に命令されない場合には、 互いに遠く離れて抗議し、防衛する、」

という論理である。