海部を船籍地とする船一覧表

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          林屋辰三郎編『兵庫北関入船納帳』中央公論美術出版・昭和56年(1981年)より

凡例    (私注:参考のために引用)
 1、本書は、文安2年(1445年)正月より翌3年正月にかけての、兵庫北関における入船に対する関税賦課の日記体の記録簿である。
 1、そのうち文安2年・2月の原本は東京大学文学部所蔵本としてつとに学会に知られていたが、文安2年三月以降の原本は、新しく京都燈心文庫の所蔵となったので、両者をご合冊してほぼ1年を通じた記録として公刊することとした。とくにご許可いただいた東京大学文学部国史研究室のご配慮に感謝したい。
 1、本書の書名は、東京大学文学部所蔵本の表紙名に従い、本文も原本によって舩の文字を用いた。ただし解説には、常用の船の文字に従った。
 1、本書の内容は、本文・解説の2部に分かち、本文はそれぞれ所蔵別に図版(私注:写真) と読み本を原形のまま翻刻し、解説は林屋辰三郎・武藤直・今谷明・小林保夫が、それぞれ分担した主題についての論稿を執筆した。
 1、本文の解読は、原本の形状が著しい虫害による破損のためと、記録者の独自な書体のために難読の箇所が多かったが、その場合はできる限り図版を参照していただくこととして、新しい作字は行わなかった。
 1、本書本文の記載は(1)船籍地、(2)積載品目・数量、(3)関料・納入月日、(4)船頭、(5)船主(問丸)の5項目より成るが、入船に当たっては(1)(2)(4)(5)がまず記載され、(3)は原則としてそれ以後の関銭徴収の日に別筆にて記載されている。そのほか本書の性質上、人々の寄合書きとなっているので、特定の筆者は定められない。
 1、右の記載内容については、解説担当者を中心に考証比定につとめたが、その場合正当と思われるもの、あるいは私案として提出できるものは、できる限り初出の個所、特別のものはその都度、文字の側に注記した。たとえば
(1)について、(中略)。「完咋」は正しくは「宍喰」であるが、文字としては宍が完と書かれているので、(宍)を注記した。
(中略)
(2)について、榑・材木等には数量の末尾に石メとある。これについて注記しなかったが、176頁、189頁に、石目とあるのを参考すれば、メは目の字を示すもので、米・塩の石と自ら区別しているのである。
(後略)

〔1445年兵庫北関入港の、阿波海部(かいふ)を船籍地とする56隻の船の一覧表

月日 積載品目・数量 関料・納入月日 船頭 船主(問丸) 備考
文安2年
2月3日
榑180石 520文・2月12日 孫左衛門 次郎三郎
3月17日 榑140石 400文・3 18日 枝舟三郎左衛門 次郎三郎
3月17日 榑150石 445文・3 18日 庄菅兵衛太郎 次郎三郎
3月17日 榑280石 740文・3 21日 九郎左衛門 次郎三郎
3月29日 榑140石 317文・卯月7日 左衛門三郎 次郎三郎 赤松
3月29日 榑160石 460文・卯月7日 中司太郎 次郎三郎
3月29日 榑180石 520文・卯月7日 四郎左衛門 次郎三郎
4月10日 榑140石 400文・4月20日 枝舟三郎左衛門 次郎三郎
4月13日 榑150石 445文・卯月21日 助兵衛 次郎三郎
4月13日 榑180石 545文・卯月18日 孫左衛門 次郎三郎
4月16日 榑120石 360文・卯月19日 藤衛門 次郎三郎
4月16日 榑140石 (空白) 太郎兵衛 次郎三郎 オク
5月17日 榑100石 300文・6月10日 左衛門三郎 次郎三郎 赤松
5月17日 榑180石 520文・5月17日 孫左衛門 次郎三郎 トモ
5月17日 榑140石 420文・5月17 孫左衛門 次郎三郎
5月17日 榑140石 420文・6月1 藤衛門 次郎三郎
5月17日 榑170石 480文・5月23日 中司太郎 次郎三郎
5月17日 榑150石 445文・5月27日 庄菅兵衛太郎 次郎三郎
5月17日 榑140石 420文・5月20日 枝舟三郎左衛門 次郎三郎
5月17日 榑180石 540文・5 26 四郎左衛門 次郎三郎
5月17日 榑280石 780文・6月5日 九郎左衛門 次郎三郎
6月22日 榑150石 430文・6月26日 庄菅兵衛太郎 次郎三郎
6月23日 榑140石 400文・6月26日 枝舟三郎左衛門 次郎三郎
6月29日 榑150石 445文・7月5日 介兵衛 次郎三郎 トモ
6月29日 榑180石 530文・7月13日 四郎左衛門 次郎三郎
7月1日 榑150石 430文・7月18日 左衛門三郎 次郎三郎 赤松
7月6日 榑180石 545文・8月3日 孫左衛門 次郎三郎 トモ
7月6日 榑140石 400文・7月10日 枝舟 次郎三郎 トモ
7月6日 榑170石 480文・7月10日 中司太郎 次郎三郎
7月6日 榑350石 945文・7月17日 九郎左衛門 次郎三郎
7月12日 榑140石 410文・7月24日 枝舟三郎左衛門 次郎三郎
7月12日 榑150石 480文・7月24日 藤衛門 次郎三郎
7月29日 榑150石 (空白) 庄菅兵衛太郎 次郎三郎
8月11日 榑140石 300文・8月21日 枝舟三郎左衛門 次郎三郎 トモ
8月12日 榑150石 450文・8月16日 助兵衛 次郎三郎 トモ
8月13日 榑180石 500文・8月21日 孫左衛門 次郎三郎
8月13日 榑100石 300文・8月21日 中司太郎 次郎三郎
9月2日 榑150石 445文・9月3日 左衛門三郎 次郎三郎 赤松
9月2日 榑180石 520文・9月3日 四郎左衛門 次郎三郎
9月2日 榑350石 945文・同日 九郎左衛門 次郎三郎
9月13日 榑160石
560文・9月19日
藤衛門 次郎三郎
9月20日 榑180石 530文・9月28日 孫左衛門 次郎三郎 トモ
9月20日 榑170石 480文・10月1日 中務太郎 次郎三郎
9月20日 榑160石 445文・9月27日 庄菅兵衛太郎 次郎三郎
9月20日 榑140石 410文・9月29日 枝舟三郎左衛門 次郎三郎
9月20日 榑130石 400文・9月30日 枝舟孫左衛門 次郎三郎
9月23日 榑150石 445文・10月5日 助兵衛 次郎三郎
10月18日 榑140石 400文・11月9日 左衛門三郎 藤二郎 赤松
10月18日 榑180石 510・11月12・
クレ120支上内殿へ立用
四郎左衛門 藤二郎
10月18日 榑350石 945文・11月18日 九郎左衛門 藤二郎
11月15日 クレ140石 410文・11月20日 枝舟孫左衛門 藤二郎
11月15日 クレ140石 400文・11月27日 枝舟三郎左衛門 藤二郎
11月15日 クレ160石 445文・11月27日 庄菅兵衛太郎 藤二郎
11月15日 クレ170石 (空白) 中司太郎 藤二郎
12月5日 榑150石 430文・当日 藤二郎 赤松
12月5日 榑180石 500文・12月13日 四郎□ (欠)

                           ** 「備考」にあるのは、「海部」の文字の脇に小さく書かれた文字である

木材の単位木材の量は、通常、立方メートルで表す。
林業や木材関係者は、今でも「石」と言っている。
1石とは、10立方尺の事である。 10立方尺=1尺(30.3p)×1尺(30.3p)×10尺(3.03m)
100石は、約3メートル×3メートル×3メートル

私感想:
入港数56回と書いたりしてきたが、5隻ないし9隻の船団で行ったりしているので、56隻が入港した、と言う表現が妥当だとわかった。

1981年版林屋『兵庫北関入船納帳』を見て、平成7年版『海南町史』の表を修正できた部分もあるが、
何分急いで入力したため、間違いもあるかもしれない。細かい部分はいろいろある。最終的には写真版を見るしかない。
宇野と書いた脇に海部とあった例外、を一つ見たような気がするが、後で表を見てみたら、拾っていなかった。

関料に、管領過書などというおもしろいものは、残念ながらなかった。