1445年、阿波・土佐の主要港(兵庫北関入船納帳より)
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林屋辰三郎編『兵庫北関入船納帳』中央公論美術出版・昭和56年(1981年)、P268〜P271の表より
国 | 船籍地名 | 比定地(旧名) | 総数 | 〜100石 | 100〜200石 | 200〜400石 |
阿波 | 海部 | 徳島県海部郡海部町 | 56 | 50 | 6 | |
宍喰 | 宍喰町 | 20 | 1 | 19 | ||
惣寺院 | 麻植郡山川町川田 | 2 | 2 | |||
橘 | 阿南市橘 | 3 | 3 | |||
土佐泊 | 鳴門市土佐泊 | 3 | 3 | |||
平嶋 | 那賀郡那賀川町中島浦 | 20 | 9 | 11 | ||
別宮 | 徳島市上・下別宮 | 1 | 1 | |||
牟木・麦井 | 海部郡牟岐町 | 14 | 14 | |||
武屋 | 鳴門市撫養 | 2 | 2 | |||
土佐 | 甲浦 | 高知県安芸郡東洋町甲浦 | 26 | 7 | 12 | 7 |
先浜 | 室戸市佐喜浜 | 3 | 3 | |||
なわり・直利 | 安芸郡奈半利町 | 10 | 8(不明2) | |||
前浜 | 南国市前浜 | 1 | 1 | |||
安田 | 安芸郡安田町 | 1 | 1 |
**図版から消された海部
**海部を船籍地とする船の一覧表**
以上は、1445年(文安2年)に、東大寺領、「兵庫(現在の神戸港付近)」北関へ入港した、四国の「太平洋側の港」を船籍とした船である。
1467年に「応仁の乱」が始まり、大内氏が「兵庫」を占領して、瀬戸内海は大内氏の勢力下に置かれる。
そこで、遣明船の内、幕府船・細川船は、九州南端を回り、土佐沖・阿波沖を回って、「堺」へ帰港する。
ここに、後の、南海路を利用した「堺・琉球間貿易」が活発化するきっかけがあるのであるが、(勘合貿易に見る瀬戸内海事情と南海路)
上表は、その前段階の状況を示す一つの資料として、重要なものと言えるだろう。
これで見ると、南海の僻地とも言うべき遠隔地にありながら、
宍喰と合わせれば、なおさらである。
もちろん、漁港としての発達はまた別だろうし、「兵庫」以外の港との交通はわからないが。
「応仁の乱」をきっかけにして、京都から土佐の中村に移動した公家「一条氏」は、
兵庫北関入船納帳の、兵庫への入港数、四国太平洋側ダントツ1位という実績は、突然の数字ではない。
1352年の観応の擾乱、1392年の南北朝合一、1420年の黒衣の宰相の日記に登場と、
長期に渡る京都との関わりを前提としている。 参考:海部氏の中央政界との結びつき