名古屋市長・河村たかし氏へのメール
現物写真版「井家又一日記」へ戻る
朝日・毎日・読売・産経、中日各新聞社、NHK、日教組・全教祖、
中央公論新社・平凡社・文芸春秋・岩波書店・小学館・講談社・青木書店、大月書店、柏書房、東大出版、その他出版社、
各種歴史学の学会、神奈川県立公文書館、愛知県立公文書館、日本共産党、チャンネル桜、
河村たかし市長、愛知県庁、外務省日中歴史共同研究事務局、
社会評論社、日中友好協会愛知支部、日本共産党名古屋市議団、赤旗、琉球新報、東京新聞、大阪市、
その他に送信済みのものです。
南京事件元兵士日記の文字遣いの奇妙さについて
現在、秦郁彦著『南京事件「虐殺の構造」増補版』中公新書p131の、
「井家又一日記」の手書き文字の写真版を、私ホームページにUPしています。
http://1st.geocities.jp/rekisironnsyuu/syasinnbanniiemataitinikki.html
捕虜335人を殺害したと証言する、異常な日の個人日記の一部です。
手書きしたことを考えれば、長い文だと思います。
しかしこの日記は、昭和10年の日本の著名人の筆跡に比べれば、非常に達筆流麗な文字です。
比較のために、昭和10年刊・平凡社『手紙講座』の当時の著名人170人、全部の手書き文字例をUPしました。
1901年から実施となった、
小学校での「現代ひらがな」教育の影響が、手書き文字に与えた影響を見るために、
1894年以降に生まれた人(南京事件の昭和12〔1937〕年に43歳から33歳の人)、
1890年から1893年までに生まれた人、
1885年から1889年までに生まれた人、等々、
「年代別の手書き文字」もUPしました。 (文字に関する詳細説明は、現在はこちらの方に移動しています)
http://1st.geocities.jp/rekisironnsyuu/nenndaibetutegakimoji.html
(手書きの画像画面から戻るには、パソコン最上段のタイトルバーのすぐ下の「←」で戻る必要あり)
変体がなの使用例で注意する点は、
書き手が、韻文をよくする人かどうか。
(詩歌をよくし、文中にそれがある場合には、傾向として、平叙文でも変体がながある)
受け取り人である相手が、韻文をよくする人かどうか。
受取人が、上位者であるか同位者であるか下位者であるか、です。(上位者向けの文に、変体がなを使う傾向がある)
井家又一日記の写真版を、下の解読文、前頁その他のリンクページと照合して、よく見ていただきたいと思います。
1、筆致・筆勢、
2、字形の整え方、
3、字配り、
4、画数の多い数字「大字」や草漢字風の変体がなの使用、
5、戦後に使われるようになった新かな遣い「いる」や、兵士は使わなかった「捕獲」という言葉遣い、
6、文章上の文法間違い「本日新聞記者に自分は支那売店に立っている時」とか「眺めらされる」
などは、昭和10年の著名人の、平穏な日常の、相手を意識した手紙と比べると、
戦場に不似合いな凝り過ぎた文字、逆にそれに反する奇妙な間違い、など、
戦場日記としても、戦前の日本人の手紙としても、あまりにも違和感があると思うのです。
ところが秦郁彦氏は、自ら検閲体制の厳重さを言っているにもかかわらず(p22)、
「これをどうやって日本に持ち込んだか」については「一言も言及しないで」、
証拠物件として扱っています。(これは笠原十九司『南京事件論争史』平凡社でも同じです)
検閲をくぐりぬけてどうやって持ち込むか、は、
兵士にとって非常にスリリングな課題だと思うのですが、「誰も」それを問題にしません。
本当に南京事件当時のものを、兵士たちが日本に持ち込んだのでしょうか?
戦後の中国の偽作ではないでしょうか?
南京事件では多数の元兵士の日記が発掘されています。
その内、A級戦犯として処刑された松井石根大将他、井家又一日記を含む18篇が、
偕行社(戦没者慰霊を目的とする公益法人)刊『南京戦史資料集』に掲載されています。
しかしこの井家又一日記の奇妙さが、
戦前戦後の変化のわかる、草書変体仮名の解読者にも指摘されないのであれば、
偕行社『南京戦史資料集』に掲載された他の17篇の日記も、
奇妙さがあっても指摘されないことになるでしょう。
つまり、発見された元兵士の日記は、「全部疑う必要がある」のではないか、
と思うのです。
南京事件関連の現代史議論の担い手は、原本の手書きに、関心がない方ばかりとお見受けします。
私には、この手書き・井家又一日記は、335名の捕虜を殺害した日に、
日本兵の手で書かれたものとは、思えません。
南京事件があったかなかったかは即断できませんが、「発掘された日記類の証拠能力は、全く検討されていません。」
本に、証拠として引用されている日記類がかなり多いので、全体像がどうなるのか、今のところわかりませんが、
南京事件の場合、この点(証拠能力の未検討)については、確信を持って言える、と思っております。
現在、あちこち問い合わせ中です。
*****************(以下は2月26日(日)に、アメリカ経由で返還された史料について、こちらへ追加した分です。*****
それで、秦郁彦『南京事件』から、
元兵士の日記を引用した部分を省こうと思ったのですが、
そこでまた頓挫しています。
p68に、「捕虜の処刑を記載した戦闘詳報が二つ見つかっている」
とあるのですが、
この戦闘詳報はどこから出てきたものか、という疑問がわいて、
そこからも前に進めません。
南京事件問題の専門家で、日記類の解読に当たられたと思われる方に、
藤原彰先生という方がおられる。
左翼系の「歴史学研究会」でも、重鎮だった有名な方ですが、
その方が、ある本で書いておられるのです。
<<敗戦直後に、米軍が官庁文書を大量に押収して、アメリカ本国に持ち帰った。
日本の陸海軍関係を主とする重要文書は、主なものがマイクロフィルム化され、現代史の重要な史料となっている。>>
(歴史科学協議会編『歴史科学入門』三省堂・1986年・p186)
秦著に引用されている戦闘詳報が、
もしアメリカからやってきたマイクロフィルムなら、
それが本物かどうか、確認のしようがありません。
私は、この国の偉い人達が、
史料(資料)の扱い方がどんなにズサンでも、
全く気にしないことを、非常におそろしいと思っています。
学会の上は何ですか?「学会」と名前が付いたら、
相互に尊重し合って、中身は見ないことになっているのでしょうか。
出版社は、学会や著名人、有力スポンサーが推せば、
社会的地位があれば、
自分ではその中身を検討しませんか?
あんまりな話が多すぎます。
新聞社も出版社も政治家も一般市民も、
自分でよく考えましょうよ。
史料がどの程度「事実」の証拠として使えるものなのか、
その判断の仕方は、私ホームページの以下のページに、
簡単に箇条書きしてあります。
http://1st.geocities.jp/rekisironnsyuu/rekisigakukennkyuuhou.html