海部氏の中央政界との結びつきへ戻る

瑩山(けいざん)紹瑾(じょうきん)禅師が、海部・吉田城満寺に住んだ時期については、

永仁3年(1295年)から正安元年(1299年)まで、
永仁4年(1296年)から正安2年(1300年)まで、
大師の化導時代初期の7年間、

と、諸説ある。  (昭和46年『海部町史』p39より)


曹洞宗大本山総持寺開祖となったほどの、
この人物の人脈と情報が、

海部氏の活動と、何らかの関係があった可能性も、
なきにしもあらず。

ただ、南朝と近かったらしく、北朝側に付いた海部氏とは、立場が反対のように見える。