奇怪な話
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(以下は2010年11月下旬に、書き込んでいたYAHOO掲示板トピックスの維持に失敗して、コメントがなくなったために書いた文)
気になることはたくさんある。
私の原点である「空中写真で見た世界」に関わる、一連の理論問題しかり。
スペイン太平洋航路についての話の行く末しかり。
南京事件元兵士の日記の偽作問題しかり。
そしてまた、私が聞いている、祖母の話に関わる、一連の奇怪な話しかり。
私も、人生に限りがないわけではないので、それを思うと、終わらない話にはやきもきするが、
祖母の奇怪な話は、40年以上も前に見聞きしたことが元で、私だけが聞いていて、
周囲にまともに話せば物議をかもすばかりである。
しかしながら、どうにも納得できず、日本史の初めの話にまで連想が及ぶ。
また、自分が聞いている、ということに、自分に継承の責任があるのではないかと感じるのだが、
しかしながら、何の痕跡もないからには、身内の誰にも承認されない、というジレンマに悩まされる問題である。
今から45年くらいも前に、祖母は言った。
私が古墳に興味を持って、未発掘の古墳なら、発掘したら宝物が出るかもしれない、と言った時のことである。
祖母「亡くなった人が眠っている所を掘るなんて、とんでもない」
私「だって、もう誰のお墓なのかわからないものでしょう」
祖母「誰のお墓かわからないだって?」祖母は怒っているようだった。
「あなたは古墳の被葬者のシソンである。私やSちゃん(私の母・祖母には姪に当たる)は違うけれど、M夫(祖父には甥に当たる)さんの子どもなんだから、あなたはシソンである。」
シソンの意味が取れなかった。音にしか聞こえない。そこで母に聞いた。
母親は失笑罵倒であった。父親も警戒して祖母を怒鳴りつけた。
奇怪な話はまだまだある。しかし、痕跡というものが何も出てこないからには、話をしてもしょうがないではないか。
しかし、起点をその奇怪な話に置いて考えると、スペイン太平洋航路という、次の段階の、日本史の動向にかかわる大きな問題が出てくるのだ。
祖先はペルシャから来たんだ、と、祖母は言う。
私が西遊記の絵本を見ていた時のことだ。
祖母「天竺より西の国があるけれど、どこかわかる?」
私「?」
祖母「ペルシャ」
私(ははん。魔法のじゅうたんとか、空飛ぶカバンとか、アラジンと魔法のランプとか、あのあたりの話だな)
祖母「ご先祖はペルシャから来たんだ。白も黒も混じっているそうだ」
私「???」
スペイン太平洋航路の話は、実はこれが起点なのである。
混血しつつペルシャから来た古墳時代の人がご先祖で、
海部に海運が盛んだった中世に、なお力を持っていたならば、
それが現代まで伝わるだけの強力な伝承ならば、中世にもその伝承はあった可能性がある。
西にたどり着く航路と港が存在する限り、
(実際、島伝い・港伝いに、東南アジア方面の航路は、古くからあり続けたものである)
先祖は、西に興味があっただろう。
スペインやポルトガルが日本近海までやってきた時、先祖はとても興味があっただろう。
しかし、この元多国籍人は、別面、竹簡という記録様式に興味があったりしたらしいのだ。
そして、「海部」という海運に関係する地名は、全国あちこちにあるらしい。
兄や妹からすれば、私の実家に対するこだわりは、郷里を出て行った権利のない者の、
我欲の話である、ということになる。
彼らには、私が聞いたような話は、全く存在しない問題なので、土地とお金と便利さの話でしかないのだ。
私が自分が聞いた祖母の話を持ち出せば、
頭がおかしいんじゃないか、
空想を持ち出して自己主張する、クレージーな欲深人間、という話にしかならない。
それなりに実体のある問題なのだ、と、言おうとしても、
彼らには聞く耳がない。
そして、自分で考える人でない限り、私が提示した歴史学上にも及ぶ問題に、実体があると、感じることはない。
とどのつまり、何らかの明瞭な手ごたえがない以上、私は、身内にとって、
クレージーな欲深人間以上のものにはならないのだ。
どこかで踏ん切りを付けて、実家にかかわる実質問題(まだ出てこない実家の物がある、ということ)に対する
私のこだわりを解決する必要に迫られた場合、
私はどのように解決するべきなのだろうか。
兄や妹は、何もありはしないのに、と、完全に私の話を無視して生き始めるだろう。
そして私は、考えていたことを、空中分解させなければならないのか。
実家への権利を完全に放棄して、私の考えていることは、この世界に継承できるのだろうか。
私は、自分が考えていることは、この世界に継承するべき内容を含んでいると思うのだ。
神奈川での居住と、嫁ぎ先の名前だけで、祖母から聞いた実家についての伝承を、継承できるのだろうか。
(2010年11月29日)
国宝指定になっている東寺百合文書など、中世史料によれば、
私が、ご先祖になるかもしれない、と、擬している中世海部氏は、
細川氏と深く関係して、足利幕府方の、北朝方だったらしい。
古墳時代のことを言っているのだから、全然移動していないということが前提になっている。
中世有力武士から江戸時代まで継続した武家の一団は、トップの移動に従って、普通は移動しまくりなのだが、
徳島県史あたりを見ていると、海部氏も国人だったけれど、
中世国人として存在していた地元勢力は、地元で名前を現代まで残しているように見えるのだ。
(もっとも実家は名前も全く無関係。ゆえに、継続の実体となるものは、全然ないように見える。)
阿波細川氏が力を失った後、三好長慶が他の阿波の国人達と姻戚関係を結んで安定化を図ったのと同じく、
海部氏も三好長慶と姻戚関係を持つ。
(参:長江正一『三好長慶』p261・p185・出典史料の成立年代や成立事情は不明)
江戸時代に黒田家の所有となり、現在、福岡県文化財となっている三好長慶旧蔵の海部刀「岩切海部」は、
このような姻戚関係によるものらしい。
(ただし、祖母の話には、「海部刀」に関係するような話、中世は武士だった、というような話は、全然なかった。
私が聞いているのは、古代関連の話ばかりである。
しかし、家の中にあった、細長い、四角い繰り抜きのある古ぼけた丸い金属の古物を、刀の鍔(つば)だと言っていた記憶はある。
これも不審の元だった。商家になぜ刀の部品があるのか、おかしいではないか。しかしそれも、もう存在しない。)
1575年の海部の落城で、海部氏は追い払われたようである。
戦闘らしい戦闘があったとか、捕縛されて処刑されたとか、落命したとか、そういう情報は一切ない。
これからすると、長宗我部氏の攻略による内部分裂、勢力交代、下克上が発生したのではないか、
と、私などは考えるのだが、田舎の話で、真実はわからない。
しかし、1708年に高知城下で成立した、長宗我部氏が主人公の『土佐物語』の筋書きは、適当もいいところだろうと思う。
もし仮に私が思っているような古墳時代からの血脈を受け継ぐ海部氏が生き延びたら、
『海南町史』にあるように、蜂須賀氏の小姓になって徳島城下へ出て行く、なんてことは、しないのではないだろうか。
系譜は長いのだから、地元の血脈は、海部継承者明示でなくとも、あたり一杯だった、ということになりかねない。
無名の半農半商人?として、ほそぼそと江戸時代を生き延びたとする。
この時代、うっかり出るとつぶされかねない。
明治になって、天皇神話や大和民族、逆賊足利氏などという話が教育で始まると、これがまた厄介をもたらしそうである。
(2010年12月9日)
由水常雄『正倉院ガラスは何を語るか』中公新書2009年が目に留まった。
読んでいて、白瑠璃碗ひとつでこんなに語ることがあるのかと、すっかり興奮してしまった。
白瑠璃碗は、全世界には確認できるだけで数百点、未確認のものを加えると、千点から2千点も実在しているのだそうだ。
その分布は、東は日本から南はサウジアラビア、北は南ロシア、西はイタリアに至るまで分布。
ササン朝ペルシアのキッシュ王室工房で作られたもので、単純技術、完璧なデザイン、高度の製品管理、
大量生産、大量販売という、きわめて工業生産的なシステムによって製造販売されていたことが推察される、そうである。
どうして私が興奮したのかというと、鳥毛立女屏風には鳥の羽が貼ってあるんだろうと祖母が言った時(注)、
教科書の他の写真ページを繰って指でなぞりながら見ていたのだが、
その指が白瑠璃碗で止まって、「こんなものならうちにもたくさんある」と、言ったのである。
あの時の祖母の様子から考えると、
正倉院御物の教科書への写真掲載は、7歳年上の兄の頃にはなかったのではないかと思われる。
「うちにもたくさんある」という発言は、まったく意味不明だった。
国宝と書いてある。それに、うちにそんなもの、ありそうにない。
ひっかかりまくる発言だらけの記憶である。
私は、ひょっとしたら、祖母が鳥毛立女屏風や白瑠璃碗を見たのではないかと思って、ここ15年近く探していた。
「世界に冠たる大和民族の血統」などというまやかしの国家宣伝の中で、
多数異民族の血統だの、それを証明する、奇妙な見たことも聞いたこともないような物品だのを突然見せられたら、
微妙な年頃の心のやわらかい人は、あっと言う間に極端な自己否定に陥ってしまうのではないだろうか。
人間の世界の情報は、常に矛盾する理屈が混在している。
私たちは、ある理屈からある理屈へと、矛盾する理屈をわたりあるいて、その間にある矛盾に気づかないことも多い。
世の常識に従って、みんなそうなんだな、と、そこで安心して暮らしている。
おかしくても、大勢がそうであれば、大勢にしたがった方が、精神的にも生活上も、安定・安全なのである。
気づかない間は、それなりに平穏?に生きている。
しかしながら、世間と極端に相反する情報は、それが自己存在にかかわることであればなおさら、
心のバランスを失わせるに十分である。
奇妙な証拠物件は、危険物としかみなされなくなったため、どこかへ隠されたのではないか。
あり得ないことを証明する実物が、実在するのではないかと思って、私は探していた。
このページを誰が見るだろうか。しかし私は、書き残しておかなければならないと考える。