「祖母の奇妙な話」
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私は祖母から奇妙な話を聞いています。
実家は、祖母の時代には、荒物・雑貨を中心に何でも売っている商店でした。
子供のいなかった祖父母は、北海道まで移住していた祖父の妹の息子(甥)と、祖母の弟の娘(姪)を見合わせて、2人を養子とし、父の代には、父が起こした製材業をいとなんでおりました。
この寄せ集めの家族構成で、40年くらい前、晩年近くになって祖母がもらした奇妙な話は、家族にゴタゴタをもたらしました。
詳しい話は省略しますが、その中のいくつかは、どうしても気になるのです。
一つは東大寺正倉院の国宝に関する話です。
祖母は、教科書に載っている下絵だけの正倉院御物の鳥毛立女屏風の写真を見て、
「これは鳥の羽を貼ってあるのだろう、そう、きれいな色をしたオウムの羽だ。」
もう一つは、
「私は巻いてしまうものである竹簡を見た。」
このような話ですが、こういう話に対して、両親が激しく反発しました。
これは忘れなければならないと思った私は、完全に忘れていました。
10年くらい前(15年くらい前?)に、私はこれらの祖母の話をひょいと思い出しました。しかもその時に、自分も実家の二階の納戸で、夥しい品物の中で、竹のまきすのようなものがたくさん入ったみかん箱くらいの箱を、4箱見たのを思いだしたのです。
「これ、何?」と祖母に聞いたら、「昔の本」という答えが返ってきました。
竹簡と言いますと、日本では未発見の、中国では2千200年前の秦の時代によく使われたものですが、私が手にとって見たものは、そんなに古い感じはしませんでした。
磨いて角を取ってある薄い竹の板(長さ20〜30センチ、幅1センチに満たない)を、横に糸を貫通させて、結び目を作っては、次の板に糸を通す、そんな風にして綴じてある物でした。子ども心に、この数ミリの薄い竹の板を、1センチに満たないとはいえ、どうやって横に穴を貫通させるんだろうと、不思議でした。
太巻き・細まきと、いろいろな太さのものが、箱に7割ほど詰まっていて、寿司を巻く「まきす」にしては様子が変でした。
紙の巻物がそうであるように(今思えば、です)、平紐でぐるぐる巻きにしてあったのを、ほどこうとしたら、祖母がきびしくとがめたので、中をみないままでした。
私はこれを思い出して、これは大変だと思って、探しまくったのですが、家の中にはありません。
正倉院御物の下絵だけの鳥毛立女屏風の写真を見て、「これは鳥の羽を貼ってあるのだろう、そう、きれいな色をしたオウムの羽だ。赤・橙・桃色・青・黄色・」と祖母が言ったのも、おかしな話です。(「桃色」以外の色の名前は適当です。)
かつて正倉院御物複製事業がありました。私はテレビで見たのですが、ビデオで売っていたこともあるようです。鳥の羽は日本産というのにこだわってやってみたら、全体が茶色にしかなりませんでした。
私はこの複製事業の過程も「変だ」と思いました。なぜなら、日本史事典などには、古くから「美しい鳥の羽が貼ってあった」という伝承が掲載されているからです。
全体を茶色にして、そこで終わってしまい、なおかつ鳥の羽は日本産だと主張する東大寺系の人々?の意図は何でしょうか。そして祖母は、鳥の羽、しかもきれいな色のもので、外国産、そんなことを知るはずもないのに、言い当てたのです。
家の中には何もない、そう確認してから、私の探索は歴史の見直しのほうに向かいました。
私が竹簡のようなものを見たのは確かですが、もう捨てられて何もないかもしれない、それでも、どこかに預けられているかもしれない。一体何を書いてあったのか。
やめろ、そんなもの、ありはしない。そう言われたって、私にとっては、手にとって見た物なのだから、こだわらないわけにはいかないのです。
それに、鳥毛立女屏風の方は、海部氏が東大寺領へ、盛んに船で物を運んでいたことが、後ではっきりしてきて、それがやたらと消される、という奇妙な事態に遭遇しているので、ますます気になるのです。
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