古バビロニア時代の政治的変化(イシン・ラルサ時代)
岩波講座『世界歴史1・古代1』「ハンムラビ時代の国家と社会」(古バビロニア時代)より
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古バビロニア時代の政治的変化(イシン・ラルサ時代) 岩波講座『世界歴史1・古代1』p129より
(シュメール)ウル第3王朝末期にセム系の半遊牧アムル人はメソポタミアの各地に定着し、
小国家を建て、その首長はウルの王朝の有力な諸侯となっていた。
ウル第3王朝最後の王イビ・シンの治世第12年には、イシュビ・エラがイシンで独立し、
それより以前にナプラヌムがラルサに新しい王朝を興した。
イシュビ・エラやナプラヌムはアムル人の首長であった。
アムル人の侵入と首府における物価騰貴に悩まされたイビ・シンは、治世第24年に、
エラム人とスー人との戦闘の際にシマシュの王に捕えられ、アンシャンに連れ去られた。
ウル第3王朝は滅亡し、ウルの市街はエラム人により徹底的に破壊された。
ウル第3王朝の後継者としてバビロニアの秩序を回復することに成功したのはイシン第T王朝である。
イシュビ・エラ(在位BC1947〜17)はシュメールの主神エンリルをまつるニップールを奪い返し、
エラム人からウルを取り戻した。
イシュビ・エラはバビロニアにおけるウル第3王朝の旧領域の主要部を領有し、「四界の王」と称した。
しかしメソポタミア南部ではラルサ王朝が次第に領土を拡大していった。
また北方のエシュヌンナやデールも独立した。
イシン王朝のシュ・イリシュ、イッディン・ダガン、イシュメ・ダガンの時代には、
イシンの勢力はシュメール地方に浸透し、エリドゥ、ウルクを確保し、さらにデールを占領した。
イッディン・ダガンはシュメールの古都の神殿を再建し、祭祀を復興した。
イシュメ・ダガンの治世にアッシリア王イルシュマがバビロニアに侵入し、
ウル、ニップール、アワル、キスマル、デールを占領した。
イシン王朝のリビト・イシュタル(在位BC1864〜54)はアッシリア軍をバビロニアから放逐し、
ウルを奪回し、さらにリビト・イシュタル法典を編纂し、国に正義を確立した。
イシンの諸王は、ウルの王にならって神格化された。
ラルサ王朝はグングヌムの時代にイシンとならぶ勢力となった。グングヌムはイシン王朝からウルを奪い、
リビド・イシュタルの王女をウルのナンナ神のエン女祭祀(最高の祭祀)に任命した。
ラルサ王朝はさらにラガシュをも領有し、シュメール地方における覇権を確立した。
イシン王朝はウル・ニヌルタを創始者とする新しい王朝に変わった。
ラルサ王朝はスムエルの時代に北バビロニアに軍を進め、カザル、アクスムの地でも抵抗する勢力を破った。
スムエルはニップールを奪った。
スムエルの即位の年にアッカド地方に新しい王朝が出現した。
それはスムアブム(在位BC1826〜13)を創始者とするバビロン第1王朝である。
スムアブムはバビロンとキシュを領有した。
彼の後継者スムラエムは周辺のディルバト、シッパル、ボルシッパを占領した。
こうしてバビロニアには三つの主要な王朝が鼎立した。
南部バビロニアにはラルサ、中部バビロニアにはイシン、北部バビロニアにはバビロンが、その支配を確立した。
しかしバビロニア全土にはアムル人が建てた小国家が乱立していた。そして
エシュンナ、カザル、マラド、シッパル、キシュ、スムヤムトバル(Sumjamutbal)、キスラ、ウルク
などの小国家は互いに抗争しあったが、
やがてイシン、ラルサ、バビロンに併合されていった。
イシン王朝のアル・シン、リピト・エンリル、エッライミッティ、
ラルサ王朝のヌル・アダド、バビロン第一王朝のサビウム、アビル・シン、シン・ムバリット、
の時代には大きな政治的変化がおこらなかった。
一方ディヤラ河流域を支配したエシュヌンナは、イピク・アダド2世の時代に
ユーフラテス河流域のラピクにまで遠征し、領域を拡大した。
その子ナラム・シンはカクラティムを占領し、その後継者ダドッシャはマンスキムを奪った。
これら3王は神格化された。
(参:頂上に星を描いたナラム・シン戦勝記念碑で有名、頂上の星は菊花紋との比較でもよく出てくる)
ラルサは前1765年にエラム王朝に変わった。
エラムに服属したヤムトバル(Jamutbal)の族長クドゥル・マブクはラルサを占領し、
その子ワラド・シンをラルサの国王の地位につけた。
ワラド・シンはカザルを破壊した。
彼はラルサ、ニップール、エリドゥ、ウル、ラガシュの諸神殿を再建した。
ワラド・シンの弟リム・シン(在位BC1753〜1693年)は治世第21年にウルクを占領し、
第30年にはイシンを併合して中部および南部バビロニアを統合した。
リム・シンはハンムラビと同盟した。
彼の治世の大半は、各都市の諸神殿の再建、城壁の整備、運河の開墾についやされた。
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以上、大和(ヤマト)の読みの語源は
ヤマトバル(英語表記のJamutbalはヤマトバルとも読めるのではないかということ)ではないか、という仮説。
その他、秦に通じるような「シン」という名前もよく出てくる。
現在のインド首相の名前もシン。