旧かな遣い「ゐる」
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旧かな遣い「ゐる」について、戦前の教育体験を語る、unhooさんの詳細コメント
(YAHOO掲示板「南京大虐殺・従軍慰安婦強制連行は事実」トピ・2011年1月12日より許可転載・適宜改行)
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「井家又一日記」が贋物であることを証明するには、変体仮名を詮索する必要はない。
その日記の中に「ゐる」が無いことだけで贋物であることの動かぬ証拠になる。
それだけで十分なのだが、更に追加するとしたら、「いる」が有ることが贋物なることの鉄証である。
昭和12年にすでに兵隊になっていて、日記などが書けた人は、
どんなに慌てても「兵隊がいる」「支那人がいる」「女がいる」とは書かなかった。
必ず「兵隊がゐる(ゐた)」「支那人がゐる(ゐた)」「女がゐる(ゐた)」と書いた。
小学1年の国語読本の第4ページ以後の数ページで「ヰマス」「アリマス」の使い分けを教えられたのである。
その教え方は簡単明瞭であって、先生が「生きてゐる物にはヰマスと言ひます。
生きてゐない物はアリマスと言ひます」と教えると、
たったこれだけで小学校1年生にも理解できたのである。
戦前は教科書は言うに及ばず、如何なる文書にも「いる」「いた」はなかった。
戦後新仮名遣いを提唱した文部省官吏は、ゐ、ヰを追放した。
それが大成功を収めて、戦前の教育を受けた人までが、文章を書かせると必ず「いる」「います」と書き、
「ゐる」「ゐます」とは書けなくなった。
戦後の教育を受けた人は、たとい大學の先生になっていても、「ゐる」「ゐます」とは書けない。
今どき戦前の文書を贋造しようとする人は、どうしても「いる」「います」が出てきて、馬脚が現れる。
わしはこのことを掲示板に書くべきかどうか、かなり迷った。文書を贋造しようとする人に、贋造の仕方を教えてしまうからである。
だが、終に書いた。
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「ハナハト読本」と呼ばれていて、戦前の小学国語読本のうちで、最も優秀とされている。
大正の中ごろから昭和6年までに小学生になった人たちはこの読本で国語を学んだ。
わしは昭和5年に入学したから、この読本で学ぶ幸福を享けた。以下は第1頁から第8頁(?)までである。
このように入学早々ヰマス、アリマスの使い分けを教える。
昭和7年(又は8年?)からは第1頁が「サイタ サイタ サクラガサイタ」に変わったが、
満州事変の影響で国家主義傾向が現れたと言われている。
ハナ
ハト マメ マス
ミノ カサ カラカサ
カラスガ ヰマス。
スズメガ ヰマス。
ウシガ ヰマス。
ウマガ ヰマス。
ウシトウマガ ヰマス。
ハサミガ アリマス。
モノサシガ アリマス。
ヒノシモ アリマス。
オミヤガ アリマス。
オテラガ アリマス。
ヤクバモ アリマス。
イヌガ ヰマス。
シロイイヌトクロイイヌガ ヰマス。
オヤネコトコネコガ ヰマス。
コネコガ二ヒキ ヰマス。
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ホームページ作成者注:
ひらがなでは「ゐる」、カタカナでは「ヰル」と書く。
たとえば、戦前の読売新聞縮刷版では、以下のように「ゐる」が使われている。
昭和18年9月10日の、イタリア、米英と休戦協定・無条件降伏発表、の記事では、
「右休戦協定の期間については明らかにされてゐない。」
昭和20年8月10日、ソ連、帝国に宣戦布告、の記事では、
「我が軍はーーーーソ聯軍を邀(むか)へて、自衛のため、
果敢な邀撃(ようげき)戦を展開してゐる」