井家又一日記の日本語
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以下の文章を読む前に、必ず秦郁彦著 『南京事件』中公新書を手にとって、
現代人には読めない変体仮名(へんたいがな)を使った、手書きの文章写真を見てください。
***から下の文は、秦郁彦『南京事件・増補版』中公新書2007年P131にある、
井家又一日記12月16日の、手書きの文章写真を活字に直したものです。
日本語としておかしな部分、画数の多い正式漢数字(大字)、
戦場に合わない、時代錯誤の変体仮名(へんたいがな)交じりの凝った文字使い、
戦前の旧仮名遣いではあり得ない間違い「いる」、 *旧かな遣い「ゐる」についての戦前の教育体験者の話
用語の間違い、 ↑上記発言は強烈ですので、是非見てください↑
自然現象としてあり得ない月の高さの描写など、
疑問点がたくさんあります。
最後の8行はグーグル検索で出てきた「井家又一日記」です。
昭和12(1937)年には、これほどの変体仮名を書ける人は少なく、
(明治33年(1900年)の小学校令で、「現代ひらがな」使用が固定化
著名人と「かな遣い」・昭和10年平凡社『手紙講座』手書き実例170点)
1894年以降に生まれた人の、昭和10年の手書き文字「写真版」
さらには、文語韻文系の文ならまだしも、これを口語平叙文で書くようなことは、
日本人の常識としては、なかったはずです。
それが、虐殺記事のある文章に出てくるのです。
凝った文字の多用は、それだけで、戦場虐殺日記にしては異常に思われます。
(適宜改行、「」は疑問部分に私が入れました。
(赤字)は変体仮名(へんたいがな)の字母(元の漢字)です。
緑の文字は草書です。)
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●手書き 井家又一日記の写真版を追加掲載しました。2012.1.16
■「写真版・手書き 井家又一日記」
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◇拾貳月拾六日
拾貳月も中を過ぎ去ってしまった。
(志満っ多)
金沢召集を受けて満三ケ月に成ってしまった。
(志満っ多) *現代かな字母「
只無の世界の様である。午前拾時から残敵掃蕩に「出ける」。
(尓) *現代かな字母「
高射砲一門を「捕獲」す。 ☆「捕獲」は使わない。「鹵獲(ろかく)」が正しい。
当時に関する従軍記には鹵獲という用法しかない。
午後又出ける。 例:藤崎武男『歴戦1万5000キロ』中公文庫
若い奴を三百三十五名を捕えて来る。 藤原彰『中国戦線従軍記』
(へ?)
避難民の中から敗残兵らしき奴を皆連れ来るのである。
全く此の中には家族も居るであろうに。
(久) (尓) (尓)
全く此を連れ出すのに只々泣くので困る。
(久) (尓)
手にすがる、体にすがる全く困った。
(尓)(可) (尓) (久) (多) *現代かな字母「
新聞記者が此を記事にせんとして自動車から下りて来るのに
(可) (丹) (志) (尓)
日本の大人と想ってから十重二重にまき来る支那人の為、
(?) (尓)
流石の新聞記者もつひに逃げ去る。
(飛)(尓) *現代かな字母「
はしる自動車にすがり引づられて行く。
(?) (里) (久)
「本日新聞記者に自分は支那売店に立って「いる」 時、一葉を取って行く。」 ☆「(〜して)いる」戦前の旧仮名遣いでは「ゐる」
(尓) (尓) (?) (久)
巡察に行くと夕方「拾四日の月」が空高く渡って「いる」。 ☆月齢14の月は夕方には空低く見える。
(尓)(久) (可) (久)
外人家屋の中を歩きな が ら しみじみと「眺めらされる」のである。
(奈)(可)(羅?)(志) (登) *現代かな字母「
揚子江付近に此の敗残兵三百三十五名を連れて他の兵が射殺に行った。
此の寒月拾四日皎々と光る中に永久の族に出ずる者そ何かの縁なのであろう。
皇道宣布の犠牲となりて行くのだ。
日本軍司令部で二度と腰の立て得ない様にする為に若人は皆殺すのである。
憲兵隊が独逸人家屋に侵入を禁ずと筆太く書かれている。
市街の何処に行けど日ノ丸の旗は掲げられている。
肩に荷いて歩く物でさえ旗を手に持って歩く奴も居るし、
又腕に巻きつけている奴も多数あるのである。
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