15・終わりに
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私は、本当のこととは何かを追ってきて、最後に、
物質世界が証明する、人間精神の虚構性にぶつかったような気がしている。
それにしても、この人間精神の生み出す虚構の、スケールの壮大なこと。
私達は、毎日の日常から一歩引いて、
それを虚構として考察してみる必要があるのではないだろうか。
みんなで実現させようと思えば、それは『事実』になる。
しかしそんなみんなそろっての思いは、実際にはほとんどない。
利害対立や考えの違いで成立しない。
それを、法律が調整して強制力でもって実現させる。
その点、日本の社会的合意を成立させる仕組みについては、
現在のところ、かなり信頼度が高いようだ。
暴力を使わずに合法的な手段で、というのは常識になっているのだから。
しかしこの不況の中で、貧富の差が拡大していると聞くのは、いただけない。
それで良いと支持すれば、ますます貧する者は窮する。それでいいのだろうか。
社会の仕組みは公正だろうか。
また、冷戦が終わったら、今度は世界各地で頻発するテロが問題になってきた。
暴力は根本的な解決にはならない。
問題は、社会を成立させている情報構造にあるのであって、
部分的な人間の問題ではないからだ。
私は、問題解決の糸口は情報構造にあると考える。
ここで言う情報構造・情報システムとは、もちろんIT関連ではない。
人間の脳の認識にたたき込まれた、社会情報の意味構造に対して、
人が共有認識でもって支持している状況を言うのである。