5、 元東大総長が書いた東大教科書との衝突
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私が大学で専攻したのは歴史学だった。
生きる意味を考えるには、歴史の大きな流れの中で考えることが必要だと思ったのだ。
それに、それまでに得た知識から考えると、
社会について、決定打と言えるような学問がないような気がして、それが気になった。
サイエンスの体系のような確実さを伴う何かが、社会に関する学問には存在していない。
そう思えたことが、私を社会に関する学へと向かわせたのである。
なぜ決定打を放つような頭脳は、サイエンスへと向かうのか。
傑出した頭脳は、みな危険な世界に背を向けているような気がした。
例えば当時、子供の伝記の世界では有名だった、
ガリレオ、ニュートン、キュリー婦人、あるいはまたアインシュタインなど。
相対性理論によって、膨大なエネルギーを取り出せることを予言し、
原爆開発の可能性を理論的に示したアインシュタインも、
結局は政治に振り回されたのではないか。
そして原子爆弾の実現や、生命操作の可能性をはらむ科学技術の発達は、
科学が人間に向かう刃物であることも示唆していた。
そうした政治情勢の中で悪魔的に働く科学者というのは、
当時のマンガやSF小説の中にも登場していて、
こういう操作されるだけの立場しか取れない科学者というのも、
自分とは立場が違う感じだった。
自分は振り回されたくない。
できれば高みから観察し続けて、何が問題なのか、
的確に把握できる姿勢を取りつづけたい。私はそう思ったのだ。
私が思う歴史とは、2章で述べたように、少々変わった認識が背景にあった。
宇宙全体の組成を極小粒子とエネルギーとして捉えなおす。
地球という生命を含む物質圏の組成を、極小粒子とエネルギーとして捉えてみる。
人体も根本的にはこれらでできている。
原子核と電子の動きが刻一刻時を刻むように、地球上の歴史も、
原子の動きとして捉える、という考え方が、成立しないわけではない。
その歴史は、人間が考えるような意味を持たない。物質の変化だけの世界である。
巨視的に見れば、その「社会」という名前の物質世界は、
あくまでも宇宙空間から見た地球という物質系にある。
その物質の変化だけの世界と、
通常の、歴史と言われている世界の比較を考えることによって、
宇宙的な時の流れの中にある、この世界に生きる自分の命の意味を知りたい。
このように、歴史と言っても、私の場合は相当変わっていただろう。
それに、長大な宇宙的時間の中にある自分の命の意味を知りたくて歴史学に入った人なんて、
果しているのだろうか。
しかし自分が非常に変わっているなんて、自分では全く気付かなかった。
歴史学を選んだ目的を考えると哲学みたいだったが、
新聞縮刷版で昭和の歴史を見ていたような者にとっては、
哲学はあまりにも考える材料がなさすぎるような気がしたのだった。
それほどに昭和の歴史は暴力と戦争に満ちていて、世界の危険を感知しつつ考えるには、
歴史学がふさわしいような気がしたのだ。
そう思って選んだ学部だったのだが、2年で専門講義が始まると、すぐに自分の勘
違いに困惑することになった。時は1975年(昭和50年)。
専門講義のテーマがあまりにも具体的で細か過ぎる。
しかも具体的な事実にたどりつくまでに、解読にやっかいな技術が必要な、
史料という媒介物があって、それをこなさないと、歴史学的な手続きを踏んだとは言えない。
よく考えてみたら、自分は過去の事実を探究するために、
大学に来たわけじゃなかったのだ。
こんなことを勉強しても、自分の目的にとっては全然意味がない。
それでも自分は歴史について、学ぶべきものがあるというイメージを抱いていたはずだ。
それは何だったのか。
私が考えていたのは、宇宙の始まりから現在に至るまでの、
極めて長い時間の尺度の中で、世界史を考え、近代や現代を考え、
自分が生きている現在について考えたいということだった。
自分が生きることを中心に考えたら、世界を知るには、
社会を対象に含んだ世界史を学べばいいような気がするわけである。
しかしながら、世界史に答えが書いてあるわけではない。
私は世界史を通じて、自分が生きる意味の答えを見つけ出したかったのだ。
世界とは何か、歴史とは何か、人間とは何か、人間が生きる意味は何か。
より正しい納得のいく世界観が見つかれば、
それが自分が生きる意味につながるような気がした。
それを考えるためには、まずは歴史を把握する方法を知った方がいいような気がする。
具体的な史料に埋没することなく、全体を見通す、歴史を把握する、
その方法を考えるにはどうしたらいいか。
そういうことなら、もっと直接的に、歴史とは何か、社会とは何か、
そういう疑問に答える本がありそうだ。
そこで見てみるのが歴史学の方法論関連の本だった。
何とかして把握の方法を手に入れたい。そう思って手に取るのは方法論の本なのだ。
大学生協の書籍部に、それらしき題名の本は数冊しかない。
林健太郎著『史学概論』(有斐閣・昭和28年刊)、E・H・カー著『歴史とは何か』(岩波新書)、
手に入れられる範囲としてはこれくらいしかない。
それ以上は初学者には首を突っ込む気にもなれない。
カー著『歴史とは何か』は比較的易しい表現だったが、
冒頭でひっかかる表現に出会った。
しかし私にとってはあまりにも問題外の表現だったので、何と読むのかわからなかった。
歴史とは過去と現在の対話であるという、本の売り込み文句だけを心に留めた。
これはとりあえずは後に回そう。
もう一方の林健太郎著『史学概論』は、パラパラめくっただけで難しさに圧倒された。
必死の思いで目をこらし、最初の方は何とか読める、気に入った文句がある、と、
読んでいてこれが真っ青になるしろものだったのだ。
最初のほうはまあ良かった。こんなふうに書いてある。
「先ず最も広い意味に考えれば、
およそ人間の認識の対象はすべて過去の事実であるということになる。
何となれば万物はことごとく時間の中にあり、
しかも現在とは常に過ぎゆく一瞬に過ぎないからである。
故にマルクスはかつて
『我々の知る科学はただ一つしかない。歴史の科学これである。』
と書いた。
そして我々もまたそのような意味で、
すべての科学は歴史の科学であるということが出来る。」
(「第二章歴史学の対象とその範囲」P7)
こういう考え方は私も好きなのだ。しかし続いてこういう文章が出てくるのである。
「しかしながら、いうまでもなく一般に歴史学と称せられるものはこのようなものではない。
歴史学の対象となるものはもっぱら人間の歴史であって、
天体の歴史、人類発生以前の地球の歴史はこれに含まれない。」(P7)
えっ、そんな馬鹿な!
私には、宇宙の歴史、地球の歴史の中での、人類の歴史というものが大事だったのに。何これ?
「要するに自然科学として総称される諸科学はすべて歴史ではないのであって、
歴史学とはもっぱら自然から区別された人間の事物を研究対象とする学問をいうのである。」(P8)
ええっ?私は、世界認識の最も基本となるものは自然科学だと思っていたのに。
そしてこれには注がついていて、マルクスも、
歴史は自然の歴史と人間の歴史に分けられる、
人間の歴史に自然科学は関係ないと言っていると、あった。
思いがけないところに政治臭のあるマルクスが出てきて、これも驚きだった。
実のところ、かつては多くの方がご存知だったように、
マルクス主義は「歴史は自然科学的な法則で動く」と宣伝していたはずである。
要するに林氏は、マルクス自身の発言の中から、
「主義者たち」の宣伝の否定になるものを探してこられたみたいだった。
それが、「歴史と自然は別」という本文の発言の補強の形を取りつつ、
注で引用されているのだった。
そこには、当時の日本の思想状況についての林氏の思いが、
かなりひねった形で表出しているようだった。
つまりこの本の出版の3年前、昭和25年(1950年)には、
レッドパージと呼ばれる占領軍による共産党追放の動きがあったし、
国内のみならず世界的に見ても、
資本主義と共産主義の対立は、極めて明白なものだったからである。
しかしながら、林氏の自然科学と歴史学の切り離しは、表面的には、
歴史の自然法則的理解を標榜する共産主義運動に対して反対するというような、
政治的な意味あいでは書かれていない。
それは、後に見るように、歴史に関する哲学的な答えを継承している、
という建前で書かれていた。
つまり、その当時は、歴史哲学的な問いを辿ってくると、
自然科学と歴史は別だという考えが、導き出されてくる状況だった、
ということになっている。
自然科学と歴史は別だという考えが、特にマルクス主義を指して、これに反対なのだ、
という説明にはなっていない。ごく一般的にそうだという風に書かれている。
しかしその書き方は、既に高校時代に、
自然科学で社会の姿を描いていた私にとっては、
まるで自分に対する全面否定のように思われた。
ページ数を見ればおわかりいただけるように、これはごく始めのほうの文章なのだ。
こんなところで私は大きくつまずいたのだった。
自分の世界認識から自然科学を切り離す。どうしてそんなことができるだろう。
高校時代までに得た知識を元に、
あれだけ細かく物質だけの世界・人間・社会というものを、一生懸命描いたのだ。
それは誰でも知っている知識でできているはずだった。
そして誰も反対するはずのない世界であるはずだった。
それなのにこの本では、
自然科学と歴史(つまり社会も含まれていると思う)は関係ないと言っている。
自分は誰もが認める世界の枠組みだと思って考えてきたのに、
これから勉強しなければならない難しそうな学問の本が、
自然科学を基本にして歴史(社会)を考えるのは間違いだと言っているのだ。
そんな馬鹿なことがあるだろうか。
これでは、世界など、描かなくてもいいと言っているのに等しい。
それは私にとって、全くの正面衝突だった。
仰天し、混乱をどう収めたらよいかわからない。
いろいろ書いてきたように、私の中の、正確な世界観を築きたいという思いは、
非常に強いものだった。
私は、長い長い宇宙的な時間や、出現して時わずかな人類という認識は、
科学的で正確な認識だと思っていた。
これはつまり、人類史を越える、自然科学の世界の話なのだ。
人間社会の学問について、誰もが文句なく認める学説というのを、
未だに聞いたことがなかったので、
とりあえずは自然観の中で明確なものから材料にしていこうと考えた。
そのことについては、第1章で述べた。
地球をとりまく宇宙環境、地球の形状等、
世界史というものの自然科学的環境がまず大事だった。
つまり、いつも宇宙空間に浮かぶ地球上の出来事として世界史をとらえようとしていたのだ。
宇宙が微粒子に還元されるように、地球も元素に還元されるものだった。
人体も元素に還元されるものである。
個々の人間を取り巻く物質関係というのは、
酸素や窒素の混合物である空気、水、炭水化物やたんぱく質やミネラルなどの食物、
などによって生命を維持しているということであり、
あるいは光、気温、気圧、重力、等々の物理的要素の中で生きているということだった。
一人一人の人間の体は、そういう物質環境の中で、
実に精緻な仕組みでもって生命を維持している。
そういうことが私にとっての物質関係だった。
世界史も、視点を変えれば、物質の変化として見ることができる。
それは、宇宙から地球を見た時の、物質としての社会であり、
人間が知りうる歴史とは、違う次元の世界であるはずのものだった。
私は、そのような見方も、世界史の一面を正確に反映していると考えていた。
それは、自然科学を徹底したら世界史がどう見えるかという問題の出発点だった。
このような私の考え方にとって、人間の科学と自然の科学は別だという考えは、
全く受け入れられないものだったのである。
その本をめくっての私の理解度の印象というのは、かなり極端だった。
三章までは何とか今までの予備知識が使える。
それ以降は飛び飛びに拾える部分のある箇所が少しあるだけで、
280ページの圧倒的大部分が、読めない、感じだった。
それにしても書き出しでこれだけ重大なつまづきを感じたのだ。
中身はどうなっているんだろうと気になってしかたがない。
結論を読めば推測できるかとそれを読む。
しかし書き出しのつまづきは、
結論部分の「むすび」を読んで、さらに深い疑問となって広がるのだった。
そこで私が大きくつまずいたのは
「人間によって知られなかった歴史というものは本来存在しない筈である」(P217)
という部分だった。
私は、存在したものはすべて歴史を構成しているのだと思っていた。
大体自分が育った所は僻地ともいうべき所だ。
しかし自分も田舎も、しっかり歴史の中に組み込まれているつもりでいたのである。
書かれなくても、知られなくても、歴史というのはそういうものだと、思っていたのだった。
次の時代を担うのは君達だという、教育のメッセージの影響もあるだろう。
全員が歴史の担い手だと思っていた者からすると、
またまた、えっ?と思う一文だった。
確かにその前に、
「しかし一方において我々は、
人間の意識の前に事実が客観的に存在するということを
承認しないわけにはゆかない。
・・・歴史そのものは認識者の主観に関わりなく存在するものである
としなければならない。」
とも書いてある。
しかし「客観的な存在である事実」とは何なのかということに触れないまま進む
その論理の主眼は、
「知られなかった歴史というものは存在しない」ということの方に置かれているのだ。
それを前提にして書き進められているのである。
「歴史とは過去において人間が行った一切の事柄である。
その一切の事柄の中で、我々によって知られたものが我々の歴史となる。」(P218)
「それら知られた歴史の本質を知りその意味を考えることが
歴史学の究極の任務であることはいうまでもない。
それらの間に法則を発見することも、
又それらの事実を価値観点から個性的に理解することも、
皆同一の要求から出たことであった。」(P218)
これも変だった。
あったはずのものをあったはずだと考えることの、どこがおかしいのかわからない。
そうでなければ、今生きている人の多くは、ある時突然、無から生じたことになってしまう。
今生きている人のすべてに、
すべての時代を通じて祖先が存在し続けたであろうという考えは、
自然の連続性認識がなければ出てこない。
自然科学を歴史から切り離し、知られた歴史から歴史を考えるなら、
消されたもの、落ちたものは、なかったことになってしまうのに、
現代に至って、それは生きつづけている人となって、突然出現するのだ。
知られなかったものがたくさんあるのに、その事について考察のないままに、
知られた歴史の本質を考えることが歴史学の究極の任務だというのもわからない。
「知られなかったことは歴史にはならない」ということについての違和感も、
私にとっては、結局は自然科学を基礎にするか否かの問題として、とらえられた。
私にとってはあったはずのものはあったはずと考えるのに、
自然科学抜きでは考えられなかったからである。
その後、理解できる範囲であちこち拾い読みしたが、
それにしてもこの本の中では
「人間の科学と自然の科学は別だ」
という考え方に対して、林氏ご自身を含めて、古今の哲学者や思想家が、
列をなしてその肯定理由を述べていた。
むしろ、当時思想界を二分していたマルクス主義や唯物史観の系統の本がよく語る、
「歴史や社会の『科学的理解』」という表現についての説明が、
単刀直入には出てこないのだった。
マルクス主義の人達がそもそも持っていたのは、
19世紀の自然科学の目ざましい成果を踏まえての、
「歴史や社会をも自然科学的に理解したい」
という願望だった。
しかしそうしたマルクス主義者の「歴史の科学的理解」という目的が、
この本ではさっぱり見えない構成になっていた。
つまり、マルクス主義や唯物史観についての、
その自然科学的歴史法則に対する信仰のことは、直接的には説明していないのだった。
唯物史観について随分詳しく説明はしてあるのだ。
しかしそれは、歴史の発展段階説としての検証であったり、
歴史認識の社会的主観性の問題として扱われていたりする。
つまり発展段階説としての検証の部分では、
海外のマルクス主義者(日本ではない)を例に、
その欠点と検証方法の問題点を列挙し、
そうすることによって、読者には、
日本のマルクス主義の現況を批判的に見る目を養うことができるようになっている。
また、マルクス主義者としてはあまり通俗的ではないと思われる考え方の紹介もある。
最高の歴史認識に立つためには、
特定の主観を選択する(プロレタリアートの立場に立つ)ことが最も真理に近いのだ、
という主張の紹介などはそれである。
普通のマルクス主義者がこんなにマルクス主義の認識は主観的だと言っていたかなぁ、
という感じのものが載っている。
ここには、よく世間でマルクス主義者が使っていたような、
「歴史の客観的・科学的・法則的理解」というような表現が出てこない。
結局この本では、「自然の科学と人間の科学は別だ」と言うことが、
つまりは「通俗的マルクス主義の否定」にもなるのだ、
ということは、本自体ではわからない構成になっていた。
しかしそういうスタイルで、林氏はマルクス主義の通俗宣伝
「歴史の客観的・科学的・法則的理解」を排していたのである。
それにしても私は困った。自分が描いた世界の、どこがいけないのか。
いくらその「自然の科学と人間の科学は別だ」
という多くの主張を読んでも、納得できない。
まるで関係ない話をしているみたいに、全くかみ合わないのだ。
たったそれだけの話なのに。
話は変わるが、大学へ行ってみて、私の思索歴の関係上、
一番大きな意外だったのは、実のところ、
「マルクス主義がまだ学問として生きていた」ということ、
「社会認識に自然科学は無用」という考え方が、極めて厳然とあったこと、
この二つだった。
私は、政治の世界と学問の世界とは、関係ないように思っていたのだ。
私が世の中の喧騒として知っているマルクス主義は、政治の世界のものであって、
学問には関係ないような気がしていた。
まして歴史学に登場するなんて思ってもいなかったし、
学問の世界で決定論的法則観とかいうものが、正面から取り上げられている事態
というのに、びっくりしていた。
しかし大学の現状が、学生運動はさすがにほとんどない状態だったとは言え、
共産党下部組織とかいう民青の人達がいて、
「歴史の必然」「史的唯物論」なんて言葉の載ったビラが配られたり、
しているようでは、いかに呑気な田舎者でも、
マルクス主義の存在に気がつかないわけにはいかなかった。
そして何よりびっくりしたのが、
経済史の講義がマルクス主義の史的唯物論にのっとったものだったことである。
まさか大学でマルクス主義の講義を受けるなんて夢にも思わなかったので、
ここに至って、学問上の真偽の問題として、
マルクス主義がまだその成否に決着がついていないと、
認識せざるを得なくなったのだった。
しかとそう認識した上で林健太郎著『史学概論』を読むと、
この本も、まだなお歴史学上の問題として、マルクス主義と戦っている、
と、そう読めるのだった。
この『史学概論』は、そもそもは昭和28年に書かれたものである。
私が仰天した部分は、その昭和28年に書かれた旧版の部分に書いてあった。
しかし私がこの本を手にした昭和50年(1975年)には、
「付論」を付け加えた新版となっていた。
昭和44年12月筆の新版序で林氏は言う。
本文はそれでまとまっていてしかも根本思想には変更の必要がないので、
これに、第二次世界大戦以後のヨーロッパ学界の動向にふれた「付論」を付け加えて
新版とすることにした、と。
では、新しく加わった「付論」では、何か新しい考え方が載っているだろうか。
「付論」で展開している旧版と違った部分とは何か。
旧版の「歴史学とはもっぱら自然から区別された人間の事物を研究対象とする学問をいう」
(P8)という部分に対応する部分をなぞると、その表現はこうである。
「今日においては、純粋に方法論的な意味においては、
自然科学と文化科学ないし歴史的科学とを、
リッケルトのようにカテゴリカルに峻別することは、
歴史認識にとってむしろ有害である。
われわれは逆に自然科学
(それはすでにニュートン時代の「全体論」からは完全に開放されているのであるから)」
の新しい方法論から学ぶべきのが多いであろう。」(P264)・・・棒線部私・・・
リッケルトは旧版部分(P150)に出てくる19世紀末から20世紀初頭の、
ドイツの哲学者である。
自然科学と文化・歴史科学の区別に力を注いだ人である。
この「付論」の一文は、要するに、
「自然科学と文化・歴史科学という、違った二つの学問を、
全くの別物ですよと、きっちり分けて考えることは有害です。」
と言っているのだ。
まるで林氏が旧版の最初の部分で言っていたこと、
つまり「自然科学は歴史学には関係ない」とは、反対みたいである。
しかし、では私が考えていたように、
基本を自然科学に置くのかと言えば、そうではない。
それは、「歴史の方法論」を考える際に、進歩してきた物理学などの、
「自然科学の『方法論』」から学ぼうと言っているのだ。
つまり自然科学の中に起きた、「法則概念の変化、科学概念の変化」によって、
歴史や社会を「決定論的法則観」から開放することができる、
ということが主眼らしい。
ねらいは、当時も決定論的法則観の代表的存在みたいだった、
マルクスも含んでいるらしかった。
自然科学の法則観が決定論的でなくなってきたから、
人間社会の法則観も決定論的に考えるべきではない。
ここにあるのは、「自然科学の法則観」と「人間社会の法則観」の、二本立ての考え
である。
前文では確かにリッケルト流の二分論を否定したのに、
直後にはまた二分論が出てきているのだった。
結局のところ、自然科学描く世界と社会科学描く世界とは別のもので、
その別々の世界に立てられた法則観の、理解の仕方だけを、
互いに連動させようということなのである。
むしろ、自然科学と社会科学は、その対象が別々だから、
と、論議の対象にもならない自明のこととして扱われ、
前提として隠れてしまっているだけのことらしかった。
リッケルトと後者では別のものということで取り上げているらしい。
しかし、結局のところ、
「自然科学と社会科学は別のものだ」という点に関しては、同じなのだった。
私のように、自然科学的知識で徹底的に世界の形状を描いておこうとした者にとっては、
全く何も変わらない。
そしてそれはまた、最初に明確な二分論を述べた林氏からしても、
二分論の立場においては変える必要なし、ということだったのだ。
だから、人間の社会に自然科学の認識方法を持ち込むことを拒否する考えは、
林健太郎『史学概論』の中では貫徹している。
結局、旧版の、自然科学と人間科学は別物だ、という考えは一貫しているのだった。
旧版と新版で、根本思想には何ら変更の必要がないと林氏が言うのは、
確かにその通りだったのだろう。
どこまで行っても私の考えていたこととは違うのだ。
私はなにしろ自然科学の方法論など、考えもしなかったのだから。
ただ高校時代に勉強した知識を組み立てて、自然の世界における社会の形状を、
つぶさに、なるだけ正確に描いておこうとしただけなのである。
宇宙空間から地表を眺める。
そうした構図を本の中に見い出そうとして、目を皿のようにしたけれども、
そういう考えは全く出てこなかった。
この本を当時の私が「読んだ」というのは正確な表現ではないが、
そうした構図抜きの社会論は、私の考えていたことと同じ土台に立つ、
科学的正確さという点で、同じ意味になるとは思えなかった。
この本は、著者が、東京大学教養学部で「史学概論」の講義を受け持ったため、
一つの教科書としての使命を持ったものを、と意識して書いたそうだ。
それに付論が加わったのは5年前。
昭和28年から数えると、約20年間、不動の位置にあったものらしい。
何と考えたらいいのかわからない。そして私がいくら感覚の網を広げても、
人間の科学と自然の科学は別だという考え方に対して、
私の言うような意味での違和感というのは、
どこの誰からも何も感じられないということが、じわりと私を打った。
歴史学の方法論は進歩した自然科学の方法論に学ぼうと言ってはいても、それは、
人間社会が地球の自然界の一部であることを前提する私の考えとは、
どうも違うのだった。
そして私は、それから数カ月もしない内に、
林健太郎氏が前東大総長だったことを知ることになる。
私にとっては、正にデッドロックのように立ちはだかる本の著者が、
少し前までは東大総長だった人なのだった。
−−−そして私には、どうしても、自分がおかしいとは思えなかった。