児玉幸多編『日本交通史』p119の、小林保夫『土佐日記』による海賊説
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海賊の横行
海賊については、古くは承平4年(934)に
土佐守の任期を終えて帰路の途についた紀貫之が、
その恐ろしさを『土佐日記』に記している
ことはよく知られた事実であるが、
律令国家、鎌倉幕府の厳しい取り締まりにもかかわらず、
その活動はやむことがなかった。
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以上は「3、交通の障害」の一節である。
『土佐日記』には海賊の恐ろしさが書かれている、と書かれているが、
実際には、『土佐日記』には、海賊は全く出てこない。
紀貫之がこわがっているのがわかるだけである。
不思議なことに、海賊に襲われて何かを取られたとか、傷つけられた、とか、
そういう話も全く出てこない。