第一節 史料には二種類ある

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     今井登志喜著『歴史学研究法』
        http://1st.geocities.jp/rekisironnsyuu/genndaibunn.siryougaku.html
     を基本にして、私は考える。



第一節:史料には2種類ある。

   (1)史料が物質存在として、ある歴史的事件・歴史的対象と、物質的に関係しているもの。

   (2)史料が歴史的対象に対して、
      人間の認識を経由して、人間の論理で整理され、言語で表現されている
      という関係にあるもの。
  

 たとえば、
(1)は、モノ的に関係する世界、やわらかい地面を歩けば足跡が残る、
というような世界での、「足跡」。(遺物)

(2)は、人が歩いているのを見て、誰それが歩いていた、
証言する世界での、「証言」である。(証言)


(1)を考察の範囲に入れないものは、歴史とは言えない。
歴史は、物語や文学ではないのだ。



私注:
 普通、歴史学では、「史料」と言うと「文献」である。

 「史料がなければ、その事象の存在について、論及できない」、
という風によく使われる。

 「史料が残されたものが歴史になる」という表現をされた方もいた。これも念頭にあったのは文献だと思われる。

 しかし私は、ここでは「史料」を、「歴史事象の存在を証明するすべてのもの」という意味で使っている。

 考古学では「資料」という言葉を使うようだが、考古学資料も史料に含めて考えている。

 「文献がなければ歴史にならない」というのは、思考パターンを表す言葉によって、すでに壁ができているようなものである。
私は、これを修正するべきだと考えている。

 文献がなくても痕跡があれば、それは歴史事象として論及対象になる。