写真版・宇和田弥市日記の疑問       (秦郁彦著『南京事件ー虐殺の構造・増補版』p289より)

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「朝日新聞との闘い・われらの場合」(文芸春秋87.5)
http://www.history.gr.jp/~nanking/books_bungeishunju875.html

によれば、宇和田弥市は当時23歳の上等兵で、日記はもう人に見られることはないだろう、
と書いてある。それなのに、この本には、写真版が掲載されているのである。

      参:上記「朝日新聞との闘い」より
        「新聞は嘘つかん」の章、
           <<問題の記事によれば、日記を書いた兵士は当時23歳の上等兵で
              「帰国後、農林業を営み、49年に腎臓病で死去した」という。>>

        最下段「もう一つの戦史」の章、下から4行目、
           <<問題の日記は永久に陽の目を見ることはないだろう。>>


私が、この写真版を見て首を傾げた点、を以下に列挙する。

「な」の字体が古いこと。1894年以降に生まれた人の文字には、これは見られない。

「る」の横棒がないこと。書道では連綿途中は書かない例が多いが、見たところ区切っているところも、使用頻度が高い。

「ま」が、上部を上に湾曲させて、二本目の横棒を書かない、書道系の古い字体であること。

    1894年以降に生まれた人たちの筆跡の内、
    この種の「ま」を書いているのは吉屋信子と宮本(中条)百合子で、

    吉屋信子では、大正天皇の従姉妹・柳原白蓮あての、礼状に出てくるものである。
    宮本百合子は、目が悪い人への気遣いの文である。

    
以下に宇和田弥市日記を紹介するが、恐ろしいことをするものだ、と、
たじろぎながら読むようなことを、していてはいけない、と、思うのだ。

***12月21日前半部分

今日も又罪のいニーヤを突き倒したり打っ
たりして半殺しにしたのを壕の中に入れて頭か
ら火をつけてぶり殺しにす。退屈
れに皆おもしろがってやので有が、これが内地
だったら大した事件を引き起す事だらう。
まるで犬や猫を殺す位のものだ。これでたた
かったら因果関係とかんとか云ふものはトントンで無○と云ふことにる。

○○に手紙を書く。久し振りなので
書く事がま○○○ーーー今村伍長外
二名上海まで遺骨護送のため出発す
る。ーーーーーーーーーー
ーーーーーーーーーーー心をまぎらはす。