年代別・手書き手紙 昭和10年刊行『手紙講座』平凡社より
1894年以降に生まれた人の手書き文字へ戻る 論文へ
*それぞれの人物については、昭和10年刊行平凡社『手紙講座』にリンクしている詳細説明へ
*「な」の古い字体を気にしているのは、秦郁彦『南京事件』p289の、写真版宇和田弥市日記で、これが目立つため。
*変体がなの説明について
☆☆ 注意:手書き画像から、こちらの画面に戻れないものがあります。
その場合は、メニューバーの「←」キーで戻ってください ☆☆
1890(明治23)年から1893(明治26)年の間に生まれた人・12名 (南京事件時、45歳〜47歳)
第1巻 土田杏村 (明24・1891年生) 昭和12(1937)年の南京事件時、46歳。
(つちだ きょうそん、1891年(明治24年)1月15日 - 1934年(昭和9年)4月25日)は、大正・昭和を通じての哲学者・評論家。
筆記年不明。口語文。「こ(古)」に変体がな。普通漢数字。ペン字。
安成二郎(1886年生)あて。
西條八十 (明25・1892年生) 昭和12年時、45歳。
(さいじょう やそ、男性、1892年(明治25年)1月15日 - 1970年(昭和45年)8月12日)は、日本の詩人、作詞家、仏文学者。
筆記年不明。口語文。草書、簡略変体がな「に(尓)」「た(多)」「か(可)」。異体字の「ま」「わ」。
普通漢数字。ペン字。
安成二郎(1886年生)あて。
第2巻 芥川龍之介 (明25・1892年生) 昭和12年時、45歳。
(あくたがわ りゅうのすけ、1892年(明治25年)3月1日 - 1927年(昭和2年)7月24日)は、日本の小説家。
大正9年筆。候文。簡略変体がな「者(は)」以外は現代かな表記。「な」の字体はよくわからない。
普通漢数字。筆書き。
近藤博あて(今のところ、この人物のデータなし)
久米正雄 (明24・1891年生) 昭和12年時、46歳。
(くめ まさお、1891年(明治24年)11月23日 - 1952年(昭和27年)3月1日 )は、日本の小説家、劇作家。
筆記年不明。口語文。簡略変体がな「に」「た」。筆書き。現在では書道系文字とも呼べる異体字の「ま」「て」。
直木三十五 (明24・1891年生) 昭和12年時、46歳。
(なおき さんじゅうご、1891年2月12日 - 1934年2月24日)は、日本の小説家である。また脚本家、映画監督でもあった。
現在、エンターテインメント系の作品に与えられる直木三十五賞は、彼に由来する。
筆記年不明。「に」が簡略変体がな。他は現代かな。筆書き。
(三上於菟吉あて)
吉川英治 (明25・1892年生) 昭和12年時、45歳。
(よしかわ えいじ、1892年(明治25年)8月11日 - 1962年(昭和37年)9月7日)は、日本の小説家。
本名、英次(ひでつぐ)。神奈川県生まれ。
昭和8年筆。口語文。「す(春)」「か(可)」「あ(阿)」が簡略変体がな。
「く」が「具」の変体がな。異体字の「ま」。普通漢数字。ペン字。
佐々木味津三(1896年生)あて、病気見舞い。
岸田劉生 (明24・1891年生) 昭和12年時、46歳。
(きしだ りゅうせい、男性、1891年6月23日 - 1929年12月20日)は、大正〜昭和初期の洋画家。
大正13年筆。口語文。「に」「す」「か」が変体がな。「い」「な」「ま」に異体字。普通漢数字。筆書き。
八木利一あて。(画会への入会斡旋を依頼する内容)
第4巻 佐藤春夫 (明25・1892年生) 昭和12年時、45歳。
(さとう はるお、1892年(明治25年)4月9日 - 1964年(昭和39年)5月6日)は日本の小説家、詩人。
大正12年筆。口語文。現代かな表記。普通漢数字。
ある婦人記者あて、とある。
三上於菟吉 (明24・1891年生) 昭和12年時、46歳。
(みかみ おときち、1891年2月4日 - 1944年2月7日)は、小説家。
昭和10年筆。口語文語文。現代かな表記。「な」はどうだろうか。ペン字。普通漢数字。
宇野浩二 (明24・1891年生) 昭和12年時、46歳。
(うの こうじ、1891年7月26日 - 1961年9月21日)は、日本の小説家・作家。
昭和3年筆。口語文。現代かな表記。ペン字。普通漢数字。
伊藤孝あて。
第8巻 今井邦子 (明23・1890年生) 昭和12年時、47歳。
(いまい くにこ、明治23年(1890年)5月31日 - 昭和23年(1948年)7月15日、徳島市出身の「アララギ」の歌人。
昭和6年筆。口語文。現代かな。「な」の異体字。1字ごと。ペン字。普通漢数字。
細田源吉 (明24・1891年生) 昭和12年時、46歳。
(ほそだ げんきち、1891年(明治24年)6月1日 - 1974年(昭和49年)8月9日)は、日本の小説家。
昭和3年筆。口語文。「な」の異体字が1個、それ以外は現代かな表記。ただし漢字は草書が多い。ペン字。普通漢数字。
前田晁(1879年生)あて。
1885(明治18)年から1889(明治22)年の間に生まれた人・27名 (南京事件時、48歳〜52歳)
第1巻 川端龍子 (明18・1885年生) 昭和12年時、52歳。
(かわばた りゅうし、1885年(明治18年)6月6日 - 1966年(昭和41年)4月10日)は、戦前の日本画家、俳人。
筆記年不明。口語文。変体仮名あり。異体字の「ま」。筆書き。
(「春(す)」は、江戸時代にふりがなに多用された簡略字体。
「可(か)」は、江戸時代にふりがなに多用された簡略字体。
*漢詩混じり文・「俳人」というのがポイントか。韻文をよくする人は、変体がなを好む。
加藤 あて。
岡本一平 (明19・1886年生) 昭和12年時、51歳。
(おかもと いっぺい、1886年6月11日 - 1948年10月11日)は、日本の漫画家、作詞家。
筆記年不明。口語文。連綿に混じる「た」1字が消えるような形の簡略変体がなだが、他は現代かな。普通漢数字。筆書き。
永田龍雄あて。
北原白秋 (明18・1885年生) 昭和12年時、52歳。
(きたはら はくしゅう、1885年1月25日 - 1942年11月2日 )は、日本の詩人、童謡作家、歌人。
筆記年不明。活字に直すと現代文風の口語文だが、真筆は激しい草書、簡略変体がな混じり。普通漢数字。ペン字。
吉田絃二郎 (明19・1886年生) 昭和12年時、51歳。
(よしだ げんじろう、1886年11月24日 - 1956年4月21日)、日本の小説家、随筆家。
筆記年不明。口語文。「か(可)・「た(多)」の簡略変体がな、古い字体の「な」混じりの現代かな。
八木利一あて。
第3巻 菊池寛 (明21・1888年生) 昭和12年時、49歳。
(きくち かん、1888年(明治21年)12月26日 - 1948年(昭和23年)3月6日)は、小説家、劇作家、ジャーナリスト。
文藝春秋社を創設
大正8年筆。口語文。現代かな表記に、「に(丹)」の簡略変体がな。筆書き。普通漢数字。
武者小路実篤(明18・1885年生) 昭和12年時、52歳。
(むしゃこうじ さねあつ、本名同じ、1885年5月12日 - 1976年4月9日)は、日本の小説家。
筆年不明。口語文。現代かな表記。筆書き。
第4巻 安井 曾太郎 (明21・1888年生) 昭和12年時、49歳。
(やすい そうたろう、1888年5月17日 - 1955年12月14日)は、大正〜昭和期の洋画家。
昭和5年筆。少しのかなは全部現代かなの、短文の候文(はがき)。普通漢数字。ペン字。
引頭百合太郎あて。
和辻哲郎 (明22・1889年生) 昭和12年時、48歳。
(わつじ てつろう、1889年3月1日 - 1960年12月26日)は、『古寺巡礼』『風土』などの著作で知られる日本の哲学者、
倫理学者、文化史家、日本思想史家。
昭和6年筆。口語文。現代かな表記。「た」と「に」が簡略変体がな。普通漢数字。ペン字。
窪田榮あて。
山田 耕筰 (明19・1886年生) 昭和12年時、51歳。
(やまだ こうさく、1886年(明治19年)6月9日 - 1965年(昭和40年)12月29日)は、日本の作曲家、指揮者。
筆記年不明、口語文。「な」の古い字体が目立つ。他は現代かな表記。ペン字。普通漢数字。
八木利一あて。
第5巻 加藤武雄 (明21・1888年生) 昭和12年時、49歳。
(かとう たけお、1888年5月3日 - 1956年9月1日)は、小説家。
昭和8年筆。口語文。「に(尓)」が簡略変体がなの、現代かな表記。ペン字。普通漢数字。
安成二郎(1886年生)あて
藤澤衛彦 (明18・1885年生) 昭和12年時、52歳。
(ふじさわ もりひこ、1885年8月2日 - 1967年5月7日)は、日本の小説家、民俗学者。
昭和10年筆。口語文。「に(尓)」あり。現代かな。「な」の字体が古い。ペン字。普通漢数字。
八木澤清あて。
谷崎潤一郎 (明19・1886年生) 昭和12年時、51歳。
たにざき じゅんいちろう、1886年7月24日 - 1965年7月30日)は、日本の小説家。
昭和10年筆。口語文。「か(可)」「に(尓)」の簡略変体がな。「こと」「る」の連綿部分が江戸期の表記。
「な」の古い字体。現代かな表記。筆書き。普通漢数字。
菅忠雄(1899年生)(すがただお・作家・編集者)あて
里見ク (明21・1888年生) 昭和12年時、49歳。
(さとみ とん、1888年(明治21年)7月14日 - 1983年(昭和58年)1月21日)は横浜市生まれの小説家。
昭和3年。口語文。「か」「に」の簡略変体がなが混じる、現代かな表記。ペン字。普通漢数字。
内田百聞 (明22・1889年生) 昭和12年時、48歳。
(うちだ ひゃっけん、1889年(明治22年)5月29日 - 1971年(昭和46年)4月20日)は、夏目漱石門下の日本の小説家、随筆家。
昭和9年筆。カタカナ漢字口語文。ペン字。普通漢数字。
中里介山 (明18・1885年生) 昭和12年時、52歳。
(なかざと かいざん、男性、1885年(明治18年)4月4日 - 1944年(昭和19年)4月28日)は、日本の小説家。
明治42(1909)年、24歳時の筆。候文。「に(尓)」ペン字。普通漢数字
新聞社向け。文章掲載の依頼に対して、承知の連絡。
第6巻 中村武羅夫(明19・1886年生) 昭和12年時、51歳。
(なかむら むらお、1886年(明治19年)10月4日 - 1949年(昭和24年)5月13日)は、日本の編集者、小説家、評論家。
昭和5年筆。口語文。「に」が簡略変体がなの、現代かな表記。ペンか筆。普通漢数字。
柳原Y子(白蓮)あて。
鶴見祐輔 (明18・1885年生) 昭和12年時、52歳。
(つるみ ゆうすけ、1885年1月3日 - 1973年11月1日)は、日本の官僚・政治家・著述家。
昭和2年筆。草書候文。「り(里)」、候文のやや硬い変体がな。簡略変体がな「た」。筆書き。普通漢数字。
高島米峰(1875年生)、仏教運動家あて。
木下利玄 (明19・1886年生) 生きていたら昭和12年時、51歳。
(きのした りげん、1886年(明治19年)1月1日 - 1925年(大正14年)2月15日)は日本の歌人。
大正12(1923)年、37歳時の筆。草書候文。筆書き。普通漢数字
永田龍雄あて。関東大震災(1923年9月1日)直後。
第7巻 九条武子 (明20・1887年生) 生きていたら昭和12年時、50歳。
(くじょう たけこ、1887年(明治20年)10月20日 - 1928年(昭和3年)2月7日)は、教育者・歌人、後年には社会運動活動家
大正15年、筆。口語文。変体がな多い。「か(可)」「な(那)(奈)」「た(多)2種類」「は(者)」「つ(徒)」、「ま」も古い字体。
江戸期風「こと」。「る」の連綿で横棒がない江戸期風。比較:宮本百合子の「る」の連綿は横棒あり。
ペン書き。普通漢数字。
若山牧水 (明18・1885年生) 生きていたら昭和12年時、52歳。
(わかやま ぼくすい、1885年(明治18年)8月24日 - 1928年(昭和3年)9月17日)は、戦前日本の歌人
大正11年筆。口語文。文字がかなり崩れているが現代かな。
横線のない「る」。「ふ」も他にもしばしばあるが、特徴的なもの。ペン字。
安成貞雄(1885年生)評論家あて。
前川千帆 (明21・1888年生) 昭和12年時、49歳。
(まえかわ せんぱん 1888〜1960)は、新聞の連載漫画で活躍した京都生まれの版画家。
昭和5年筆。口語文。1字毎の現代かな表記。ペン字。普通漢数字。
安成二郎(1886年生)あて。
第8巻 折口信夫 (明20・1887年生) 昭和12年時、50歳。
(おりくち しのぶ、明治20年(1887年)2月11日 - 昭和28年(1953年)9月3日)は、
日本の民俗学、国文学、国学の研究者。釈迢空(しゃく ちょうくう)と号した詩人・歌人でもあった。
昭和10年筆。口語文。「に」「た」の変体がな。歌の中に簡略の「た」「し(志)」。横棒なしの「る」。ペン字。普通漢数字。
安成三郎(二郎か?)あて。
池田蕉園 (明19・1886年生) 生きていたら昭和12年時、51歳。
(いけだ しょうえん、1886年5月13日 - 1917年12月1日)は、明治から大正にかけての女性日本画家。
筆年不明。草書変体がな候文。筆書き。普通漢数字。
簡略変体がな「に(尓、丹)」「は(者)」「た(多)」「し(志)」「す(春、須)」「れ(連)」「か(可)」、
異体字の「せ(世)」など、多用されている。
光永真三あて。
白井喬二 (明22・1889年生) 昭和12年時、48歳。
(しらい きょうじ、1889年9月1日 - 1980年11月9日)は、日本の時代小説作家。
筆年不明。候文。「に」が変体がな。他は現代かな。ペン字。普通漢数字。
佐々木味津三あて。
原阿佐緒 (明21・1888年生) 昭和12年時、49歳。
(はら-あさお) 1888−1969明治-大正時代の歌人。
大正14年筆。口語文。簡略変体がな「か」「に」「た」、「な」の異体字、草漢字風の「し(志)」。筆書き。普通漢数字。
葛西善蔵 (明20・1887年生) 昭和12年時、50歳。
(かさい ぜんぞう、明治20年(1887年)1月16日 - 昭和3年(1928年)7月23日)は、日本の小説家 。
大正11年筆。口語文。現代かな表記。ペン字。普通漢数字。
三上於菟吉あて。
石川啄木 (明19・1886年生) 生きていたら昭和12年時、51歳。
(いしかわ たくぼく、1886年(明治19年)2月20日 - 1912年(明治45年)4月13日)は明治時代の歌人・詩人・評論家。
筆年は不明だが明治期。文語・候文。簡略変体がな「に(尓)」「わ(王)」、「な」の異体字。筆書き。普通漢数字。
大信田落花あて。
1880(明治13)年から1884(明治17)年の間に生まれた人・22名 (南京事件時、53歳〜57歳)
第1巻 永井柳太郎 (明14・1881年生) 昭和12年時、56歳
( ながい りゅうたろう、1881年4月16日 - 1944年12月4日)は昭和時代の日本の政治家。
憲政会・立憲民政党に所属していた。大日本育英会(現:日本学生支援機構)創立者。
筆記年不明。口語文。「に(尓)」「く(久)」が簡略変体仮名。横棒付き「る」、現代ひらがなの「ま」。普通漢数字。筆書き。
高島米峰あて。
相馬御風 (明16・1883年生) 昭和12年時、54歳
(そうま ぎょふう、1883年(明治16年)7月10日 - 1950年(昭和25年)5月8日)は日本の詩人・歌人・評論家。
筆年不明。口語文。変体がな「す」「か」「た」。「ま」「な」の異体字。ペン字。
斉藤茂吉 (明15・1882年生) 昭和12年時、55歳
(さいとう もきち、1882年5月14日(戸籍では7月27日) - 1953年2月25日)は、
山形県南村山郡金瓶村(現在の上山市金瓶)出身の歌人、精神科医。
筆記年不明。漢字かな混じりの候文。かなはすべて現代ひらがな。アラビア数字・ローマ数字。筆書き。
第2巻 竹久夢二 (明17・1884年生) 生きていたら昭和12年時、53歳
(たけひさ ゆめじ、明治17年(1884年)9月16日 - 昭和9年(1934年)9月1日)は日本の画家・詩人。
昭和4年筆。候文。変体がな「す(春)」、江戸風「こと」、異体字「ま」、棒なし「る」。筆書き。
濱田耕作 (明14・1881年生) 昭和12年時、56歳
(はまだ こうさく、もしくは浜田 青陵(はまだ せいりょう)、1881年2月22日 - 1938年7月25日)は、日本の考古学者。
京都大学名誉教授(京都帝国大学総長)。
筆年不明。候文。簡略変体がな「た」「に」「す(春)」、異体字「ま」。ペン字
山本鼎 (明15・1882年生) 昭和12年時、55歳
(やまもと かなえ、1882年(明治15年)10月24日 - 1946年(昭和21年)10月8日) は、
美術の大衆化、民衆芸術運動のなかに身を投じた版画家、洋画家、教育者、官僚、政治家。
筆年不明。候文。連綿の「なる」に注目。
新聞記者へ、記事の礼状。
第3巻 志賀直哉 (明16・1883年生) 昭和12年時、54歳
(しが なおや、1883年2月20日 - 1971年10月21日)は、日本の小説家。
筆年不明。口語文。簡略変体がな「か(可)」、「こ(古)」。他は現代かな。ペン字。普通漢数字。
中村武羅夫あて。
白柳秀湖 (明17・1884年生) 昭和12年時、53歳
(しらやなぎ しゅうこ、1884年1月7日 - 1950年11月9日)は、日本の小説家、社会評論家、歴史家。
昭和8年筆。口語文。簡略変体がな「に」。
第4巻 小山内薫 (明14・1881年生) 生きていたら昭和12年時、56歳
(おさない かおる、1881年(明治14年)7月26日 - 1928年(昭和3年)12月25日)は、
明治末から大正・昭和初期に活躍した劇作家、演出家、批評家。
昭和2年筆。候文。簡略変体がな「に」「く」「は」、ちょっと不思議な形の「れ(連)」、異体字の「な」「も」。ペン字。
永田龍雄あて。
藤蔭静樹 (明13・1880年生) 昭和12年時、57歳
(ふじかげ せいじゅ、1880年(明治13年)10月13日 - 1966年(昭和41年)1月2日)は、日本舞踊家。
芸能関係での華麗な交遊録。
大正10年筆。口語文。あまり崩していない「し(志)」「た(多)」、
簡略の「は(者)」「か(可)」「す(春)」「た(多)」、異体字の「な」「ま」。普通漢数字。筆書き。
汚れがあるのが惜しいが、しっとりした着物姿の大正の女性を彷彿とさせる。
安成二郎あて。
石原純 (明14・1881年生) 昭和12年時、56歳
(いしわら あつし(じゅん)、1881年1月15日 - 1947年1月19日)は、東京府出身の理論物理学者・科学啓蒙家・歌人
筆年不明。口語文。簡略変体がな「に」、「な」「ま」が異体字。ペン字。普通漢数字。
田中貢太郎 (明13・1880年生) 昭和12年時、57歳
(たなか こうたろう、1880年(明治13年)3月2日−1941年(昭和16年)2月1日)は日本の作家。
筆年不明。口語文。現代かな表記。ただし「に」が簡略変体がな。筆書き。
吉植庄亮 (明17・1884年生) 昭和12年時、53歳
( 1884−1958)大正-昭和時代の歌人,政治家。 明治17年4月3日生まれ。
昭和7年。候文。簡略変体がな「に」「か」「た」。異体字「ま」。筆書き。普通漢数字。
柳田新太郎(1903〜1948・歌人)あて。
山口剛 (明17・1884年生) 生きていたら昭和12年時、53歳
(やまぐち たけし、1884年3月1日 - 1932年10月8日)は、国文学者。
昭和3年。候文。簡略変体がな「す(春)「れ(連)」、異体字「ま」。筆書き。普通漢数字。
安藤更生(1900年生・美術史家)あて。
第5巻 和田三造 (明16・1883年生) 昭和12年時、54歳
(わだ さんぞう、1883年3月3日 - 1967年8月22日)は、明治・大正・昭和期の日本の洋画家
昭和7年年賀状。楷書。筆書き。普通漢数字。
辻永 (明17・1884年生) 昭和12年時、53歳
(つじ ひさし、1884年2月20日 - 1974年7月23日)は、洋画家。
昭和6年年賀状。行草書。筆書き。普通漢数字。
正宗得三郎 (明16・1883年生) 昭和12年時、54歳
(まさむね とくさぶろう、明治16年(1883年)8月21日 - 昭和37年(1962年)3月14日)は、日本の洋画家。
筆年不明。口語文。簡略変体がな「に」。ペン字。普通漢数字。
石井柏亭 (明15・1882年生) 昭和12年時、55歳
(いしい はくてい、1882年3月28日 - 1958年12月29日)は日本の洋画家、美術評論家。
昭和9年筆。行楷書候文。筆書き。普通漢数字。
第6巻 川田順 (明15・1882年生) 昭和12年時、55歳
(かわだ じゅん、1882年1月15日 - 1966年1月22日)は、歌人、実業家。
ハガキに和歌3種。異体字「な」。他は現代かな表記。
第7巻 花田比蕗思(明15・1882年生) 昭和12年時、55歳
(はなだ ひろし) 1882−1967明治-昭和時代の教育者,歌人
筆年不明。草書現代かな候文。ペン字。普通漢数字。
第8巻 生田長江 (明15・1882年生) 生きていたら昭和12年時、55歳
(いくた ちょうこう、1882年(明治15年)4月21日 - 1936年(昭和11年)1月11日)は、日本の評論家、翻訳家、劇作家、小説家
大正4年。口語文。「に」が簡略変体がな。他は現代かな。筆書き。普通漢数字。
片上 伸 (明17・1884年生) 生きていたら昭和12年時、53歳
(かたがみ のぶる、1884年2月20日〜1928年3月5日)は、日本の文芸評論家、ロシア文学者
昭和3年筆。口語文。簡略変体がな「に」「た」。異体字「な」「ま」。漢字は草書が多い。ペン字。普通漢数字。
前田晃あて。
1875(明治8)年から1879(明治12)年の間に生まれた人・19名 (南京事件時、62歳から58歳)
第1巻 高野辰之 (明9・1876年生)
(たかの たつゆき、1876年(明治9年)4月13日 - 1947年(昭和22年)1月25日)は、
長野県下水内郡豊田村(現中野市永江)の豪農出身の国文学者、作詞家。
筆記年不明。候文。草漢字風変体がな「の(乃・能)」「ち(知)」「る(流)」。筆書き。
*「乃」は「の」の元字だが、異体字「の」ではなくて、「草漢字風変体がな」にしてある。
こういうところをどう整理するべきか?
有島武郎 (明11・1878年生)
(ありしま たけお、1878年(明治11年)3月4日 - 1923年(大正12年)6月9日)は、日本の小説家。
筆記年不明。口語文。普通漢数字。筆書き。
簡略変体がな 「は(者)」「に(尓)」「か(可)」「あ(阿)」「た(多)」「れ(連)」、
(上記の「簡略変体がな」は、吉田豊『古文書をはじめる前の準備講座』柏書房の、
「明治20年代の小学生向けの3冊の本に採用されている表音文字」を基準に、
簡略変体がなとして、取り上げている)???
*「れ(連)」などは草漢字風だと思うのだが、明治20年代に仮名として通用すると認識されていた、
という意味で、簡略変体がなとしてある。
草漢字風の変体がな「り(里)」「の(之)」「め(免)」、
(吉田豊著の「明治20年代の小学生向けの本に採用されていない」表音文字
異体字の「ま」「て」「な」。
安成次郎(二郎?)あて。原稿料なしに、無断で自分の童話を出版されたという、出版社への苦情の手紙。
第2巻 与謝野晶子 (明11・1878年生)
(よさの あきこ、1878年(明治11年)12月7日 - 1942年(昭和17年)5月29日)は、戦前日本の歌人、作家、思想家。
筆記年、番町にいた頃、とある。候文の事務的な招待状。筆書き。
平福百穂 (明10・1877年生)
(ひらふく ひゃくすい、1877年(明治10年) - 1933年(昭和8年)10月30日)は、日本画家。
筆年不明。候文。普通漢数字。筆書き。
鏑木清方 (明11・1878年生)
(かぶらき きよかた、1878年(明治11年)8月31日 - 1972年(昭和47年)3月2日)は、明治〜昭和期の日本画家。
昭和3年筆。口語文。簡略変体がな「は」「た」。異体字「ま」。他は現代かな。ペン字(?)。
柳田國男 (明8・1875年生)
(やなぎた くにお、1875年(明治8年)7月31日 - 1962年(昭和37年)8月8日)は日本の民俗学者。
筆年不明。口語文。「に(尓)」が簡略変体がな。ペン字?
第3巻 正宗白鳥 (明12・1879年生)
(まさむね はくちょう、明治12年(1879年)3月3日 - 昭和37年(1962年)10月28日)は、
明治〜昭和期の小説家、劇作家、文学評論家。
筆記年不明。文末は候だが、現代表記風。「に」が簡略変体がな。ペン字。
吉野作造 (明11・1878年生)
(よしの さくぞう 1878年(明治11年)1月29日 - 1933年(昭和8年)3月18日)は、
大正年間を中心に活躍した政治学者、思想家。
大正15年筆。口語文。全体現代かなに、時々「に」「か」の簡略変体がな、異体字の「ま」「な」が混じる。
ペン字。普通漢数字。
斉藤省三あて。
小栗風葉 (明8・1875年生)
(おぐり ふうよう、本名磯夫、1875年2月3日 - 1926年1月15日)は日本の小説家。
大正14年筆。候文。簡略変体がな「わ(王)」「に」。ペン字。普通漢数字。
安藤正輝あて。
第5巻 辻善之助 (明10・1877年生)
(つじ ぜんのすけ、 1877年(明治10年)4月15日 - 1955年(昭和30年)10月13日)は、戦前の日本の歴史学者。
昭和6年筆。候文。変体がな、なし。筆書き。
吉沢義則 (明9・1876年生)
(よしざわ よしのり、1876年8月22日 - 1954年11月5日)は、国語・国文学者、歌人。京都帝国大学名誉教授。
昭和8年筆。草書候文。簡略変体がな「に」「わ(王)」。筆書き。
第6巻 近松秋江 (明9・1876年生)
(ちかまつ しゅうこう、1876年5月4日 - 1944年4月23日)は、日本の小説家、評論家。
筆年不明。草書候文。はがき。ペン字。普通漢数字。
臼田亜浪 (明12・1879年生)
(うすだ-あろう ・1879−1951大正-昭和時代の俳人。)
昭和9年筆。草書候文。簡略変体がな「に」「か」。普通漢数字。
真山青果 (明11・1878年生)
(まやま せいか、1878年(明治11年)9月1日 - 1948年(昭和23年)3月25日)は、日本の劇作家・小説家。
昭和6年筆。行書候文。草漢字風「に(尓)」、簡略変体がな「こ(古)」。ペン字。普通漢数字。
神谷鶴伴あて。
第7巻 林銑十郎 (明9・1876年生)
陸相(はやし せんじゅうろう、1876年(明治9年)2月23日 - 1943年(昭和18年)2月4日)は、日本の陸軍軍人、政治家。
昭和7年筆。候文。草漢字風「た(多)」。ペン字。普通漢数字。
細井 氏あて。
長谷川時雨 (明12・1879年生)
(はせがわ しぐれ、1879年(明治12年)10月1日 - 1941年(昭和16年)8月22日)は、女性劇作家・小説家。
筆年不明。口語文。草書かな連綿。簡略変体がな「た(多)」「す(須)」「か(可)。異体字「ま」「な」。ペン書き。
新村出 (明9・1876年生)
(しんむら いずる、1876年(明治9年)10月4日 - 1967年(昭和42年)8月17日)は言語学者、文献学者。
昭和3年筆。草書かな混じり候文。簡略変体がな「に」「た」「か」「あ(阿)」「す(春)」。判別、難しい。
筆書き。普通漢数字。
八木利一あて。
薄田泣菫 (明10・1877年生)
(すすきだ きゅうきん、1877年5月19日 - 1945年10月9日)は、日本の詩人。
昭和9年筆。口語文。簡略変体がな「に」「か」。
第8巻 窪田空穂 (明10・1877年生)
(くぼた うつぼ、1877年6月8日 - 1967年4月12日)は、歌人、国文学者。
昭和3年筆。草書候文。簡略変体がな「た」「か」「に」。異体字「つ(川)」「さ(左)」
筆書き。普通漢数字。
前田晁(1879年生の人物か?)あて。
1868年から1874(明治7)年の間に生まれた人・32名 (南京事件時、69歳から63歳)
第1巻 内田魯庵 (1868年生)
(うちだ ろあん、慶応4年4月5日(1868年4月27日) - 昭和4年(1929年)6月29日)は、明治期の評論家、翻訳家、小説家。
筆記年不明。口語文。変体仮名あり。普通漢数字。ペン字。
原稿用紙に書いた、ばあやが辞めた事情と、代わりの人を探している事情を書いた文。
(元の字がわからない「と」、簡略変体がな「わ(己)」、「し(志)」。異体字「ま」。
宮田脩夫人あて
島崎藤村 (明5・1872年生)
(しまざき とうそん、1872年3月25日(明治5年2月17日)- 1943年(昭和18年)8月22日)は、日本の詩人、小説家。
筆記年不明。口語文。簡略変体がな「た(多)」「に(尓)」「は(者)」。普通漢数字。ペン字?。ハガキ。
読売新聞文芸部あて。
綱島梁川 (明6・1873年生)
(つなしまりょうせん 1873.5.27-1907.9.14)
明治期の思想家。備中国上房郡有漢市場(岡山県・高梁市)の生まれ。本名は綱島栄一郎。
筆記年不明。文語文。簡略変体がな「に(尓)」「て(弖))」あり。普通漢数字。筆書き。
宮田脩あて。
藤井乙男 (1868年生)
(ふじい おとお、慶応4年7月16日(1868年9月2日) - 昭和21年(1946年)1月17日)は、国文学者、俳人。
筆記年不明。候文。簡略変体がな「か(可)」「に(尓)」「れ(連)」。普通漢数字。筆書き。
高峰米峰あて。
第2巻 樋口一葉 (明5・1872年生)
(ひぐち いちよう、1872年5月2日〈明治5年3月25日〉- 1896年(明治29年)11月23日)とは、日本の小説家。
明治25年筆記。江戸時代の女筆そのままに草書・かな連綿多用の候文。筆書き。
簡略変体がな「か(可)」「に(尓)」「は(者)」「け(个)「た(多)」。
草漢字風変体がな「の(乃・能)」「つ(津)」「れ(連)」「は(盤)」「た(多)」「り(里)」「に(耳)」「へ(遍)」
「ろ(路)」「ふ(婦)」。 異体字「な」「む」
三宅花圃(田辺龍子)あて。
五十嵐力 (明7・1874年生)
(いがらし-ちから )(1874-1947) 国文学者。山形県生まれ。東京専門学校卒。坪内逍遥に師事。
文章研究に力を注ぎ、独自の理論と分析を示した。本『手紙講座』監修者の一人。
大正13年筆。口語文。簡略変体がな「に(尓)」「た(多)」「は(者)」「れ(連)」「の(能)」。異体字「て」「な」。
和歌中、「け(个)「と(登)」「に(耳)」「は(盤)」。異体字「り(利)」、最後の「い(以)」。筆書き。
博士号取得の際の祝宴の礼状。
三宅花圃 (1868年生)
(みやけ かほ)1868(明治元.12.23)〜1943. 7.18(昭和18)
明治時代の歌人・小説家・随筆家。本名は竜子(龍子)
昭和4年筆。候文。簡略変体がな「に(尓)」、草漢字風「さ(佐)」。
和歌中の草漢字風変体がな「か(可)」「ま(満)」「と(登)」「つ(津)」「め(免)」。筆書き。
安成二郎あて。
徳富蘆花 (1868年生)
(とくとみ ろか、1868年12月8日(明治元年10月25日) - 1927年(昭和2年)は、日本文学の小説家。
明治38年筆。候文。簡略変体がな「に(尓)」。筆書き。
石川三四郎あて。
西田幾多郎 (明3・1870年生)
(にしだ きたろう、1870年6月17日(明治3年5月19日) - 1945年(昭和20年)6月7日)は日本を代表する哲学者。
京都大学教授、名誉教授。京都学派の創始者。
筆年不明。文語文。簡略変体がな「に(尓)」「か(可)」。異体字「ま」。口語・文語混じり。筆書き。
安成三郎あて。
島村抱月 (明4・1871年生)
( しまむら ほうげつ、1871年2月28日(明治4年1月10日)- 1918年11月5日)は日本の文芸評論家、
演出家、劇作家、小説家、詩人。
筆年不明。候文。簡略変体がな「た(多)「し(志)」「に(尓)」。異体字「も」。普通漢数字。筆書き。
*異体字の簡略「も」は、これまで数えてきていない。
徳田秋声 (明5・1872年生)
(徳田 秋聲、とくだ しゅうせい、男性、1872年2月1日(明治4年12月23日) - 1943年(昭和18年)11月18日)は、
石川県金沢市生まれの小説家。
大正14年。口語文。簡略変体がな「に(尓)」。異体字「な」。不思議な「ま」があるが、「末」だろうか。ペン字。
三上於菟吉あて。
第3巻 小泉策太郎 (明5・1872年生)
(こいずみ さくたろう、1872年(明治5年) - 1937年(昭和12年)7月28日)は、日本の政治家。
昭和9年筆。候文。簡略変体がな「に(尓)」。異体字「も」。ペン書き。普通漢数字。
山室軍平 (明5・1872年生)
(やまむろ ぐんぺい、1872年9月1日(明治5年7月29日戸籍上は8月20日) - 1940年(昭和15年)3月13日)は
日本の宗教家。説教者。
大正5年筆。カタカナ候文。ペン字?
大町桂月 (明2・1869年生)
(おおまち けいげつ、1869年3月6日(明治2年1月24日)- 1925年(大正14年)6月10日)は高知県出身で、
近代日本の詩人、歌人、随筆家、評論家。
大正8年筆。候文。簡略変体がな「に(尓)」「た(多)」。異体字「も」。筆書き。普通漢数字。
第4巻 高山樗牛 (明4・1871年生)
(たかやま ちょぎゅう、 1871年2月28日(明治4年1月10日) - 1902年(明治35年)12月24日)は
明治時代の日本の文芸評論家、思想家。
明治35年筆。候文。異体字「も」「く」。簡略変体がな「に(尓)」「た(多)」。ペン字。普通漢数字。
雑誌文芸界あて。
江木翼 (明6・1873年生)
(えぎ たすく、明治6年(1873年)4月24日 - 昭和7年(1932年)9月18日)は、明治、大正、昭和時代の官僚政治家。
筆年不明。カタカナ候文。カタカナだが連綿風になっている部分あり。普通漢数字。
岡本綺堂 (明5・1872年生)
(おかもと きどう、明治5年10月15日(1872年11月15日) - 昭和14年(1939年)3月1日) は、小説家、劇作家。
昭和8年。候文。簡略変体がな「す(須)」。筆書き。普通漢数字。
塚本靖 (明21869年生)
(つかもと やすし、明治2年2月15日(1869年3月27日) - 昭和12年(1937年)8月9日)は、日本の建築家。
大正13年筆。候文。簡略変体がな「に(尓)」。筆書き。普通漢数字。
吉岡弥生 (明4・1871年生)
(よしおか やよい、1871年4月29日(明治4年3月10日) - 1959年(昭和34年)5月22日)は、日本の教育者、医師。
昭和8年。候文。簡略変体がな「に(尓)」。筆書き。普通漢数字。
第5巻 佐々木信綱 (明5・1872年生)
(ささき のぶつな、明治5年6月3日(1872年7月8日) - 昭和38年(1963年)12月2日)は、日本の歌人、国文学者。
昭和4年筆。草書候文。簡略変体がな「に(尓)」。筆書き。
東京日々記者あて。
巌谷小波 (明3・1870年生)
(いわやさざなみ、明治3年6月6日(1870年7月4日) - 昭和8年(1933年)9月5日)は、明治、大正期の作家、児童文学者。
大正9年筆。候文。簡略変体がな「に(尓)」。筆書き。普通漢数字。
馬場孤蝶 (明2・1869年生)
(ばば こちょう、1869年12月10日(明治2年11月8日(旧暦)) - 1940年(昭和15年)6月22日)は、
英文学者、評論家、翻訳家、詩人、慶應義塾大学教授。
大正9年筆。候文。簡略変体がな「に(尓)」「れ(連」。異体字「て」。筆書き。普通漢数字
高浜虚子 (明7・1874年生)
(たかはま きょし、明治7年(1874年)2月22日 - 昭和34年(1959年)4月8日)は明治〜昭和期の俳人、小説家。
明治40年筆。草書候文。簡略変体がな「に(尓)」
「れ(連)」(前にもあった不思議な連。書き癖によってはなりやすいのか?)、連綿横棒なしの「る」。
筆書き。普通漢数字。
金尾種次郎(1879年生・出版経営者)あて。「ちゃん」付け。
第6巻 三浦周行 (明4・1871年生)
(みうらひろゆき・1871〜1931) 明治から昭和時代前期にかけての歴史学者。
筆年不明。草書候文。筆書き。普通漢数字。
木村小舟(1881年生)あて。
土井晩翠 (明4・1871年生)
(どい ばんすい、1871年12月5日(明治4年旧暦10月23日) - 1952年10月19日)は、日本の詩人、英文学者。
昭和8年筆。口語文。簡略変体がな「に(尓)」「か(可)」「す(春)」「れ(連)」、
難読「も」、江戸連綿字「こと」。異体字?「さ」。
服部嘉香(詩人・国語学者、口語自由詩運動者)あて
富田幸次郎 (明5・1872年生)
(とみた こうじろう、明治5年10月1日(1872年11月1日) - 昭和13年(1938年)3月23日)は
日本の新聞人、政治家、第32代衆議院議長、
昭和9年筆。候文。簡略変体がな「に(尓)」。異体字「ま」。筆書き。普通漢数字。
田中貢太郎(1880年生・作家)あて。
田山花袋 (明5・1872年生)
(たやま かたい、1872年1月22日(明治4年12月13日) - 1930年(昭和5年)5月13日)は、日本の小説家。
筆年不明。候文。簡略変体がな「か(可)」「た(多)」「す(須)」。病後の見舞いの礼状。筆書き。普通漢数字。
小川芋銭 (1868年生)
(おがわ うせん、本名:小川茂吉、1868年3月11日(慶応4年2月18日) - 1938年(昭和13年)12月17日)は、
日本の画家。
昭和10年筆。かな混じり草書候文。
簡略変体がな「か(可)」。草漢字風「を(越)」。棒なし「る」。異体字「な」。筆書き。普通漢数字。
望月満あて。(データなし)
第7巻 姉崎正治 (明6・1873年生)
(あねさき まさはる、1873年7月25日 - 1949年7月23日)は、京都府生まれの評論家・宗教学者(キリスト教・仏教)
筆年不明。口語文。一字毎に書いてある。簡略変体がな「か」「に(尓)」「す(春)」。ペン字。普通漢数字。
木村小舟(1882年生)あて。
近角常観 (明3・1870年生)
(ちかずみ じょうかん、明治3年4月24日(1870年5月24日) - 昭和16年(1941年)12月3日は、
日本の明治〜昭和期に活動した真宗大谷派僧侶、宗教家
昭和4年筆。候文。筆書き。普通漢数字。
高島米峰(1875年生、仏教運動家)あて。
第8巻 宇垣一成 (1868年生)
朝鮮総督(うがき かずしげ、慶応4年6月21日(1868年8月9日) - 昭和31年(1956年)4月30日)は日本の陸軍軍人、
政治家
昭和8年筆。候文。簡略変体がな「に(尓)」。異体字「な」。ペン字。普通漢数字。
浜口雄幸 (明3・1870年生)
(はまぐち おさち、明治3年4月1日(1870年5月1日) - 昭和6年(1931年)8月26日)は、日本の大蔵官僚、政治家。
筆記年不明。候文。簡略変体がな「に(尓)」。異体字「て」「ま」。筆書き。普通漢数字。
細井肇(1886年生、新聞記者・評論家)あて。
1860年から1867年の間に生まれた人・25名 (南京事件時、77歳から70歳)
注意:検討したのは、中村不折・夏目漱石・坪井正五郎・竹本土佐太夫。
漢文調候文の中の「かな」は本目的に合いにくいため。
第1巻 中村不折 (1866年生)
(なかむら ふせつ、慶応2年7月10日(1866年8月19日) - 昭和18年(1943年)6月6日)は
明治、大正、昭和期に活躍 した日本の洋画家、書家。
筆記年不明。候文。簡略変体がな「は(者)」「に(尓)」「し(志)」。筆書き。
*このような、一見して漢文と見えるような、ほとんど「かな」が見えない候文の中で使われたもので、
明治20年代小学生向けの本でも「変体がな」として出てくる字体は、感覚的に「草漢字である」、という感じがする。
内藤湖南 (1866年生)
(ないとう こなん、1866年8月27日(慶応2年7月18日戸籍上は5月27日) - 1934年(昭和9年)6月26日)は
日本の東洋史学者
筆記年不明。候文。筆書き。
本郷房太郎 (1860年生)
(ほんごう ふさたろう、万延元年1月24日(1860年2月15日) - 昭和6年(1931年)3月20日)は、
日本の陸軍軍人。軍事参議官・青島守備軍司令官や第1・第17師団長を歴任し、階級は陸軍大将勲一等功三級。
筆記年不明。候文。筆書き
夏目漱石 (1867年生)
(なつめ そうせき、1867年2月9日(慶応3年1月5日) - 1916年(大正5年)12月9日)は、
日本の小説家、評論家、英文学者。
筆記年不明。候文。簡略変体がな「か(可)」「た(多)」「に(尓)」。難読「れ」。連綿棒なし「る」。異体字「て」「な」。
普通漢数字。筆書き。
某記者への断り状。
第2巻 小笠原長生 (1867年生)
(おがさわら ながなり、慶応3年11月20日(1867年12月15日) - 昭和33年(1958年)9月20日))は、
佐賀県出身の海軍軍人。位階勲等は、海軍中将・正二位・勲一等・功四級・子爵。
昭和6年。候文。筆書き。
床次竹二郎 (1867年生)
(とこなみ たけじろう、慶応2年12月1日(1867年1月6日) - 1935年(昭和10年)9月8日)は、日本の官僚、政治家。
筆年不明。候文。普通漢数字。
落合直文 (1861年生)
(おちあい なおぶみ、文久元年11月15日(1861年12月16日) - 明治36年(1903年)12月16日)は、日本の歌人、国文学者。
筆年不明。候文。筆書き。
第3巻 伊藤左千夫 (1864年生)
(いとう さちお、元治元年8月18日(1864年9月18日) - 大正2年(1913年)7月30日)は日本の歌人、小説家。
明治14年筆。候文。筆書き。普通漢数字。
新井石禅 (1865年生)
(あらい せきぜん、元治元年12月19日(1865年1月16日) - 昭和2年(1927年)12月7日)は、曹洞宗の僧。
大正4年筆。候文。筆書き。普通漢数字。
第4巻 幸田露伴 (1867年生)
(こうだ ろはん、慶応3年7月23日(1867年8月22日) - 昭和22年(1947年)7月30日)は、日本の小説家。
筆記年不明。候文。筆書き。
正岡子規 (1867年生)
(まさおか しき、慶応3年9月17日(1867年10月14日) - 明治35年(1902年)9月19日)は俳人・歌人・国語学研究家。
明治31年筆。カタカナ混じり。俳句あり。筆書き。
釈 宗演 (1860年生)
(しゃく そうえん、安政6年12月18日(1860年1月10日) - 大正8年(1919年)11月1日)は、明治・大正期の臨済宗の僧。
明治41年筆。候文。筆書き。普通漢数字。
八代六郎 (1860年生)
(やしろ ろくろう、安政7年1月3日(1860年1月25日)- 昭和5年(1930年)6月30日)は明治〜大正期の海軍軍人。
筆年不明。候文。筆書き。普通漢数字。
第5巻 石川千代松 (1860年生)
(いしかわ ちよまつ、1860年1月30日(万延元年1月8日) - 1935年(昭和10年)1月17日)は、日本の動物学者。
筆年不明。候文。筆書き。普通漢数字。
伊藤忠太 (1867年生)
(いとう ちゅうた 慶応3年10月26日(1867年11月21日) - 昭和29年(1954年)4月7日) は、明治〜昭和期の建築家、建築史家
昭和6年年賀状。草書連綿。ペン字。普通漢数字。
徳富蘇峰 (1863年生)
(とくとみ そほう、文久3年1月25日(1863年3月14日) - 昭和32年(1957年)11月2日)は、
日本のジャーナリスト、歴史家、評論家、政治家。
大正4年筆。草書候文。筆書き。
第6巻 箕作元八 (1862年生)
(みつくり げんぱち、文久2年5月29日(1862年6月26日)- 大正8年(1919年)8月9日)は、
江戸生まれの日本の男性歴史学者。
筆年不明。草書カタカナ候文。筆書き。普通漢数字。
穂積歌子 (1863年生)
(ほづみうたこ. 生没年, 1863-1932. 解説. 歌学国学研究者・歌人。 渋沢栄一と千代の長女。
明治43年筆。草書候文。筆書き。普通漢数字。
第7巻 三上参次 (1865年生)
(みかみ さんじ、慶応元年9月10日(1865年10月29日) - 昭和14年(1939年)6月7日)は、日本史学者
昭和6年。かな混じり草書候文。筆書き。普通漢数字。
二葉亭四迷 (1864年生)
(ふたばてい しめい、1864年4月4日(元治元年2月28日) - 1909年(明治42年)5月10日)は、日本の小説家、翻訳家。
明治32年筆。かな混じり草書候文。筆書き
町田忠治 (1863年生)
(まちだ ちゅうじ、文久3年3月30日(1863年5月17日) - 昭和21年(1946年11月12日)は、明治から昭和期の政治家
大正7年筆。草書候文。筆書き。普通漢数字。
第8巻 谷内清厳 (1867年生)
真言宗の僧。京大教授。昭和28年(1953)寂、86才。
昭和6年筆。草書候文。筆書き。普通漢数字。
若槻礼次郎 (1866年生)
(わかつき れいじろう、慶応2年2月5日(1866年3月21日) - 昭和24年(1949年)11月20日)は、日本の大蔵官僚、政治家。
昭和8年筆。草書カタカナ候文。筆書き。普通漢数字。
坪井正五郎 (1863年生)
(つぼい しょうごろう、文久3年1月5日(1863年2月22日) - 大正2年(1913年)5月26日)は、日本の自然人類学者。
筆年不明。口語文。「の(能)」、文末の「す(須)」が変体がなの他は、大体現代かな表記。筆書き。普通漢数字。
竹本土佐太夫 (1863年生)
(たけもと とさたゆう)義太夫節の太夫。6代目(文久3年9月15日(1863年10月27日) - 昭和16年(1941年)4月2日)
大正14年筆。口語文。変体がな「多(た)」「須(す)」「尓(に)」「越(お)」「里(り)」「連(れ)」の草書漢字を使っている。
簡略変体がな「か(可)」「た(多)」。
書道手紙手本の書き方。筆書き。普通漢数字。
服部嘉香(はっとりよしか・1886〜1975)あて。口語詩運動に尽力し、国語国字の諸問題の研究で知られる。)
1835年から1859年の間に生まれた人・23名
第1巻 清浦奎吾 (1850年生)
(きようら けいご、嘉永3年2月14日(1850年3月27日) - 昭和17年(1942年)11月5日)は、日本の司法官僚、政治家。
筆記年・昭和甲戍(昭和9年)、カタカナ混じり楷書多用の文語文、普通漢数字、筆書き。
第2巻 九代目・市川団十郎(1838年生)
(くだいめ いちかわ だんじゅうろう、天保9年10月13日(1838年11月29日) - 明治36年(1903年)9月13日)は
明治時代に活躍した歌舞伎役者
筆記年不明。候文。普通漢数字。筆書き。
坪内逍遥 (1859年生)
(つぼうち しょうよう、1859年6月22日(安政6年5月22日)- 1935年(昭和10年)2月28日)は
主に明治時代に活躍した日本の小説家、評論家、翻訳家、劇作家。
明治40年頃筆。草書候文。筆書き。
伊藤博文 (1841年生)
(いとう ひろぶみ、天保12年9月2日(1841年10月16日) - 明治42年(1909年10月26日)は、元長州藩士、政治家。
筆年不明。黒田清隆あての候文。
会議がうまくいかず、辞職を願い出、黒田清隆に臨時総理大臣を頼みたいという内容。筆書き。
田中光顕 (1843年生)
(たなか みつあき、天保14年閏9月25日(1843年11月16日) - 1939年(昭和14年)3月28日)は、
土佐藩家老深尾氏家臣、官僚、政治家。
筆年不明。候文。普通漢数字。筆書き。
第3巻 有栖川宮熾仁親王 (1835年生)
(ありすがわのみや たるひとしんのう、天保6年2月19日(1835年3月17日) - 明治28年(1895年)1月15日)は、
江戸時代後期〜明治時代の皇族、政治家、軍人。
筆年不明。伊藤博文あて。伊藤参議・黒田参議の文字がある。候文。筆書き。普通漢数字。
西園寺公望 (1849年生)
(さいおんじ きんもち、嘉永2年10月23日(1849年12月7日) - 1940年(昭和15年)11月24日)は、
日本の公家、政治家、元老。
昭和9年筆。小泉策太郎あて候文。筆書き。巻紙。普通漢数字。
森鴎外 (1862年生)
(もり おうがい、1862年2月17日(文久2年1月19日)- 1922年(大正11年)7月9日)は、
明治・大正期の小説家、評論家、翻訳家、劇作家、陸軍軍医(軍医総監=中将相当)、官僚(高等官一等)。
明治36年筆。かな交じり候文。「お(於)」「か(可)」「に(尓)」「は(盤)」の変体仮名。筆書き。普通漢数字。
大山巌 (1842年生)
(おおやま いわお、天保13年10月10日(1842年11月12日) - 大正5年(1916年)12月10日)は、
政治家、元老、軍人。
伊藤博文あて候文。筆書き。普通漢数字。
犬養毅 (1855年生)
(いぬかい つよし、安政2年4月20日(1855年6月4日) - 昭和7年(1932年)5月15日〉)は、日本の政治家。
筆年不明。平凡社あて文語文。筆書き。
寺内正毅 (1852年生)
(てらうち まさたけ、嘉永5年2月5日(1852年2月24日) - 大正8年(1919年)11月3日)は、
日本の陸軍軍人、政治家。
大正8年筆。候文。筆書き。普通漢数字。
初代・三遊亭円朝 (1839年生)
(さんゆうてい えんちょう)(天保10年4月1日(1839年5月13日) - 明治33年(1900年)8月11日)は、
江戸時代末期(幕末)から明治時代に活躍した落語家。
三宅花圃の父あて。候文。筆書き。普通漢数字。
第4巻 山県有朋 (1838年生)
(やまがた ありとも、天保9年閏4月22日(1838年6月14日) - 大正11年(1922年)2月1日)は、
元長州藩士、陸軍軍人、政治家。
西南の役の陣中から伊藤博文にあてたもの。候文。筆書き。普通漢数字。
富士松加賀太夫 (1856年生)
1856−1930明治-大正時代の浄瑠璃(じょうるり)太夫。
筆年不明。無料入場券付きの招待状。「下さい」という口語文交じりの候文。
筆書き。変体仮名「に尓)」「す(春)」「あ(阿)」「ま(満)」「く(九)」、異体字の「さ」「い」「よ」。普通漢数字。
第5巻 山岡鉄舟 (1836年生)
(やまおか てっしゅう、 天保7年6月10日(1836年7月23日) ー 明治21年(1888年)7月19日 )は、
元幕臣、政治家、思想家。
筆年不明。草書候文。筆書き。普通漢数字。
岡崎邦輔 (1854年生)
(おかざき くにすけ、嘉永7年3月15日(1854年4月12日) - 昭和11年(1936年)7月22日)は、
日本の政治家・実業家。
昭和9年筆。草書候文。変体仮名「け(希)」「れ(連)」、異体字「て」「な」「せ」。筆書き。普通漢数字。
白柳秀湖あて。
第6巻 品川弥二郎 (1843年生)
(しながわ やじろう、天保14年閏9月29日(1843年11月20日)- 明治33年(1900年)2月26日)は、
元長州藩士、政治家。
筆年不明。草書候文。筆書き。普通漢数字。
中山慶子 (1836年生)
(なかやま よしこ、天保6年11月28日(1836年1月16日) - 明治40年(1907年)10月5日)は、明治天皇の生母。
孝明天皇の側室。号は中山一位局など。
筆年不明。散らし書き女筆。変体仮名が多いが、必要上「ま(満)」の字があることだけ指摘しておこう。
井上哲次郎 (1856年生)
(いのうえ てつじろう、安政2年12月25日(1856年2月1日) - 1944年(昭和19年)12月7日)は
明治時代に活躍した日本の哲学者。
昭和9年筆。草書候文。ペン字。普通漢数字。
渋沢栄一 (1840年生)
(しぶさわ えいいち、天保11年2月13日(1840年3月16日) - 昭和6年(1931年)11月11日)は、
幕末の幕臣、明治〜大正初期の大蔵官僚、実業家、二松學舍第3代舎長
筆年不明。女性あて、変体仮名混じり草書候文。筆書き。普通漢数字。
内藤鳴雪 (1847年生)
(ないとう・めいせつ)弘化4.4.15 (1847.5.29)- 昭和1.2.20 (1926) 明治大正時代の俳人。
明治40年筆。草書候文。筆書き。普通漢数字。
第7巻 尾崎行雄 (1858年生)
(おざき ゆきお、安政5年11月20日(1858年12月24日) - 昭和29年(1954年)10月6日)は、日本の政治家
大正6年筆。楷書候文。筆書き。普通漢数字。
第8巻 斉藤実 (1858年生)
(さいとう まこと、安政5年10月27日(1858年12月2日) - 昭和11年(1936年)2月26日)は、
日本の海軍軍人、政治家
昭和7年筆。草書カタカナ候文。筆書き。普通漢数字。
生年がよくわからない人・4名
富本憲吉 (明19・1886年生) (富本憲吉自身は昭和12年時、51歳。妻が書いた手紙なのでこちらに移動)
(とみもとけんきち、1886年6月5日 - 1963年6月8日)は日本の陶芸家である。1955年、人間国宝。
昭和10年、夫人による代筆。口語文。簡略変体がなが目立つ。「す(須)」「た(多)」「か(可)」「に()」「は(者)」。
普通漢数字。
窯をひらくので、作品を見に来てください、との内容。小原銀之助(1898年生)あて。
一枝夫人は1893年生まれ、とわかったが、夫の名前の代筆というのは、ちょっと迷ってしまう。
(以下は未検討)
広津直人
謝介石
花柳珠實